第6話 夏花食堂にて

「ただいまー、お父さん」


店の入り口の方から入って呼び掛けると、厨房の奥から「おかえりー」という返事が聞こえてきた。


「おじさん、こんちはー!」

「お邪魔します」


凪咲に続いて夏澄と玲夏が入ってくる。

二人の声を聞いて、養次は待ってましたと言わんばかりの笑顔で料理の皿を手に厨房からやってきた。


「おう。いらっしゃい、二人とも。ちょうど唐揚げ揚がったところだから、食ってきな」


そう言って、唐揚げののった皿を店のテーブルの上に置く。

揚げたてとあって芳ばしいいい香りが店内に広がる。


「おおー! めっちゃうまそーッ! ありがとー、おじさん」

「いつもすみません」


いまにも飛びつこうとする夏澄と礼儀正しく頭を下げる玲夏に、養次は柔らかく微笑んだ。


「いいのいいの。二人には凪咲がいつも世話になってるから、遠慮しないでいっぱい食べてって」


お昼頃、凪咲の携帯に養次からメールが届いていた。

「食材余ったから、学校終わったら友達に店寄ってもらいな」という、いつもと同じような内容のメールだった。


「ほわっ! はにほれッ! へっひゃほいひィーッ!」

「ちょっと夏澄。いつもあなた食べ過ぎよ」


一度に二つの唐揚げを爪楊枝に刺してほおばる夏澄に、玲夏が冷ややかな視線を送る。


「私と凪咲の分もちゃんと残しておきなさいよ」

「わ、私は大丈夫だから。二人でいっぱい食べて」

「甘やかさなくていいのよ、凪咲。この手のことについては、夏澄は止まるところを知らないのだから」

「あたしは部活でエネルギーいっぱい使うからすぐ腹減っちゃうの。だからこーやってエネルギーをチャージする必要があるのだぁー!」

「でもあなた、今日は部活休みでしょう。運動もしないのに人一倍食べたら太るわよ?」

「あー、それは大丈夫大丈夫! あたし、いくら食っても太らな――」


言いかけたところで、何やら隣から不穏な空気を感じ取った夏澄が言葉を止める。見ると喉元に爪楊枝の鋒が向けられ、眼前では玲夏が背後に黒いオーラを揺らめかせながら目をギラつかせていた。


「その先を口にするのはやめておきなさい……二度と唐揚げが食べられなくなるわよ」

「……は、はい」


世の女性を代表する鋭い殺気に気圧され、夏澄は唐揚げと一緒に続く言葉を呑み込んだ。


美味しそうに頬を綻ばせながら唐揚げを食べる三人を見て、養次は我が子を見守るような優しい笑みを浮かべる。


今日のような養次からの誘いのメールは、しばしば凪咲の元に届いた。彼は二人に深く感謝していたからだ。


母が死んだ悲しみで凪咲の気が参っていたときに、手を差し伸べてくれたのがこの二人だった。

夏澄の明るさ、玲夏の思慮深い優しさが、いつも凪咲を支え、元気づけてくれた。いまこうして残された親子二人が前を向いていられるのは、凪咲が一番辛いときに二人が側にいてくれたからだと彼は思っていた。


自分の娘を大切に思ってくれて、仲良くしてくれる友人がいることは、それだけで父親というのは嬉しいものだ。

そう思う度、養次は食材が余ったという名目で凪咲に催促のメールを送り、二人を店に招いていたのだった。



「そういえばね、今日、朝海くんがバスケ部だったって春沖くんに聞いたんだけど、夏澄ちゃん見たことある?」


養次が仕込みのため、厨房に戻った後、凪咲は何気なく話を切り出してみた。

バスケ部の夏澄なら、何か知っているかもしれないと思ったからだ。

だが、


「朝海?」


腕を組んで記憶の中を探る夏澄。そうしながらも、唐揚げをつまむことは忘れない。


「うーん、あいつ、一週間もしないでいなくなっちまったからなぁ。あたしは見てないな」

「そっかぁ」

「けど、拓海がよく朝海の話をしてたぜ。あいつが休学して部活来なくなってからもライバル視してたみたいだし」

「ライバル視?」

「ああ。拓海がバスケ上手いのは知ってるだろ? あいつは部内でも頭ひとつ抜けてて、一年のときからレギュラー入りしてチームを全国まで引っ張ってったんだ」


凪咲は頷いた。有名な話なので、たぶん知らない生徒は少ないだろう。


「んで、その拓海と1on1で唯一互角に競えたのが、朝海だったって言ってたな」

「そうなのッ!?」

「へぇ。それはすごいわね」


凪咲は目を剥き、玲夏は感心するように言った。


去年の拓海の活躍は、校内にちょっとした衝撃をもたらした。

すごい一年が入部してきた、という小さな噂話から始まり、全国大会出場を決めてからは一気に全校に知れ渡った。

一年のときは違うクラスだった凪咲も拓海の話は何度も耳にした。


校舎の壁に横断幕も貼られていたし、雑誌にも載ったことがあるとも聞いていた。

そのころから拓海のファンが爆発的に増え、現在では連日体育館が溢れかえっているほどだ。


その拓海と互角に競うことができるというのは、空も相当バスケが強いということなのだろう。

もし、空が休学せずにバスケを続けていたら、あるいは拓海と一緒に全国でもさらに上を目指せたのかもしれない。

そんな大舞台で活躍する空の姿を見てみたいな、と凪咲は思った。


「拓海は今でこそウチのエースって呼ばれてるけど、入部したての頃はよく朝海と競い合ってたんだって。いつかあいつに勝つ、って朝海が休学した後もいつも言ってたよ」

「青春ね。嫌いじゃないわ、そういう話」


玲夏が優しく微笑みながら言う。


「もしあいつが休学してなかったら、もっとすごいことになってたかもなぁ」

「仕方ないわ。休学するほどだから、きっとよっぽどの事情があったんじゃないかしら」

「そういえば、前にも聞いたかもしれないんだけど、朝海くんが休学するときって、理由とかなにも言ってなかったんだよね」


凪咲はあらためて対面に座る二人に訊ねる。


「あ、そっか。凪咲、あいつとはちょうど入れ違いになったんだったか」

「うん。一年の初めの一ヶ月くらいは学校行けてなかったから、私が来たときにはもう朝海くんは休学してて」


あのとき、彼がいないと聞かされたときの地の底に落とされたような感覚を思い出す。

それから一年、会えずにいた彼は今日復学したけれど、結局話し掛けられなかった私はまだ彼のことを何も知らない。


「でも、ほんとにいつの間にか休学してた、って感じだったよなぁ」


唐揚げを口に入れながら同意を求めて振り向く夏澄に、玲夏は頷く。


「ええ。理由も、後で担任から「一身上の都合」と伝えられただけだったわね」

「そう、なんだ……」


やはり、詳しく知る人はいない。

誰かから彼の話を聞けば聞くほど、なんだか彼が現実から遠ざかっていくような気がした。


「けど、珍しいじゃん。凪咲がクラスの男子に興味持つなんて」

「え?」


不意を突かれたようにきょとんと目を丸くする凪咲に、夏澄は悪戯っ子のような笑みを浮かべる。


「なになにィ~? もしかして凪咲、朝海のこと気になってたりすんの~?」

「ええーっ!?」


――いや気になってるっていうか、そりゃあ気になるけど、けどそういうのじゃなくて……いや、そういうのなんだけど……


「まあ、確かに顔はいいわよね」玲夏が言う。


「クラスの女子も話してたよな。さっそく声掛けてたヤツもいたらしーじゃん」


えッ、そうなの!?……凪咲はうっかり唐揚げを喉に詰まらせそうになる。


「けど彼、佇まいだとか妙に大人びてるわよね」

「あー、たしかに。同じイケメンでも、拓海とは全然タイプが違うよな」

「そこはかとなく漂わせるあの儚い感じが、春沖君とはまた違った魅力があって、女子達の母性本能をくすぐるのかしらね」


慌てふためく凪咲を余所に、玲夏が分析するように顎先を白く細長い指でつまみながら言う。


「ありゃ? もしかして玲夏も興味ある? これは強力なライバル出現だなぁ」

「残念ね。私はもっと年上が好みなの」


冷やかすような視線で言う夏澄に、玲夏は肩を竦めながら涼しげに答える。


二人の話を聞いて、そういえば今日、クラスの女子達も、教壇の前に立つ彼に向けてなにやら熱い視線を送っていたな、と凪咲は思い出す。


休み時間にはさっそく声を掛けていた女子もいて、それを背後で耳にする度に、なんだか落ち着かない気持ちになった。ただ、当の空本人はまるで興味なさそうに、適当に笑って躱していたようだったが。


「これで拓海と同じくらいバスケが上手いなんてことが知れた日にゃあ、体育館の応援団の数は倍に増えちまうな」


笑みを浮かべながら他人事のように夏澄が言う。

それはまた違った意味でも空が遠のいてしまうと凪咲は思った。もしそうなったら、もうただのクラスメイトの私なんて目に入らなくなってしまうかもしれないよぉ、などと泣き言が出てきてしまいそうだった。


「ってことで、狙うならまだ周りに知られていないいまが狙いどきだぜ、凪咲」満面の笑みで肩に手を置かれる。


「いやいや、狙うなんてそんな……」


それ以前に、まずは話し掛けるところからはじめないと……


――いや、違う。まずは――


「けど、凪咲。さっき言ってたけれど、彼とは入れ違いになってしまったのよね」


と、玲夏。


「いつ彼と知り合ったの」

「あ、うん、実は復学する前に一度だけ会ったことがあるの。だから、全然話したことはなくて、彼のことはまだよく知らないんだけど……ただ」


凪咲は通学鞄の中にあるペンケースに想いを馳せる。そして、


「大切な、約束があるの」


そっと、大切にしまっていた宝物を取り出すように呟いた。

その様子から、夏澄と玲夏は自分達が邪推していた想像とは別の、もっと特別な想いを孕んでいることを察し、ふっと優しく凪咲に微笑んだ。


「まあ、学校来るようになったんだし、明日本人に聞いてみればいいじゃん」

「席、後ろだったわよね。がんばってね、凪咲」


揃ってガッツポーズを贈る二人。

完全に誤解(というわけでもないが)されたまま、だからそうじゃなくってぇー、と思うも口にするタイミングを逸してしまった。


ただ、二人が言うことももっともだったし、凪咲にとって希望を与えてくれる言葉だった。凪咲は心の中で拳を握り締めた。


――明日こそ、がんばって話し掛けよう。


左手の薬指に嵌めてある指輪を見つめながら、凪咲はそう強く決意をあらたにした。


「さて、それじゃあそろそろおいとましようかね。おじさん! ごちそーさまー」

「ご馳走様でした。いつもありがとうございます」

「おう! また来てな、二人とも」


養次が厨房から顔を出す。

それから「あ、そうだ」と、思い出したように凪咲に声を掛けた。


「凪咲、悪いんだけど、あとで調味料いくつか買ってきてくれないか? 切らしてたのすっかり忘れてたよ」



「あ、うん。わかった。じゃあ二人送った帰りに買ってくるね」


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