自分自身の名にかけて
「わ、わわわっ!?」
何? 何が起こってるの?
思わずルーペを放り出しそうになった時、レンズに何か、短い文章が映し出された。
”Detection Hope”
「……でぃてくしょん、ほーぷ?」
思わず文字を読み上げると、今度は、レンズの前面に、照準器のような模様が浮かぶ。
……なんだろう。
何となく、このルーペの使い方が、分かるような気がする。
レンズの真ん中に、陽にいを映す。
すると、どうしたことだろう。
『どうして、こうなっちゃったんだろう』
頭の中に、自然と陽にいの声が響いてきたのだ。
『こんなことが起こるのなんて、望んでない』
『僕はただ、僕の書いた物語で、誰かに笑ってほしかっただけなのに』
『もう、どうやっても、誰に笑ってほしかったのか、思い出せない』
『こんな形で、誰かを傷付けるくらいなら、物語なんて書かなければよかった』
『――助けて』
……ああ、そうか。
次々と頭の中に響いてくる声に、気付かされる。
陽にいは、ただ面白い物語が書きたいわけじゃなかった。
自分にしか――陽にいにしか書けないような物語を書きたがっていた。
そして、その物語で、誰かに笑顔になってほしかったんだ。
じゃあ、陽にいが物語を読んでほしいと願う、“誰か”。
それは、どんな人?
そう思い返すうちに、頭の中で、この前陽にいが言っていた言葉がよみがえる。
『僕の小説って、児童書の文章みたいだってよく言われちゃうんだ』
『でも、だからこそ今、はっきり、ちいみたいな子に読んでほしいなって思ったよ』
……うん、そうだ。
陽にいが、自分の物語を読んでほしいと思うのは。
自分でも気付かないうちに、物語を届けたいって願ったのは、あたしみたいな子どもたちなんだ。
陽にいの書く物語を読みたいと胸を弾ませる、そんな子どもたち。
「――“見つけた”よ、陽にいの、願い」
そうつぶやいて、あたしは、一歩一歩、陽にいに近付く。
来ないで、と言うように、黒い霧の中で後ずさる陽にいに、ルーペをびしっとつきつけて、あたしは言った。
「『自分の物語で、子どもたちを笑顔にする』こと。それが、あなたの願い!」
陽にい、どうか思い出して。
その万年筆にかけた、自分の純粋な願いを!
そう強く願うと、ルーペから、さっきと同じあたたかな桜色の光があふれ出した。
光に包まれたルーペが、私の手から離れてふわりと浮き上がると、その姿がみるみるうちに変わっていく。
レンズの周り、猫の顔の形はそのままに、大きさが二回りくらい大きくなる。
持ち手も伸びたその姿は、まるで、魔法少女のステッキみたい。
光を放つそれをぎゅっと握れば、私を中心にして、つむじ風が巻き起こる。
レンズを囲むフレームの下、持ち手とつながる、ちょうど猫の首の部分に結ばれた赤いリボンが、ひらひらと風におどった。
次から次へ、目まぐるしく起こっていく不思議な事態に、目が回りそう。
でも、何でかな。
私の頭は、ものすごく冷静に、今、私がやるべきことを思い描いていたんだ。
ルーペ……ううん、今はステッキかな。
手の中で、バトンみたいにくるくるっと回したそれの先を、陽にいに向ける。
レンズの真ん中に、陽にいを――ううん、陽にいの持つ万年筆を映して、頭の中に浮かんだ言葉を口にした。
「【
瞬間。
赤、青、黄、緑、オレンジに紫……
色とりどりの光が、まるでボールみたいに、レンズの上に浮かび上がる。
光のボールは、一瞬で弾けたかと思うと、流れ星みたいに陽にいに降り注いで、その体をおおっている黒い霧を消し去り始めた。
「何だ……? 何が起こっている……?」
ソル君が、呆然としたようにつぶやく。
戸惑っているのは、どうも、ソル君だけじゃないみたいだ。
『願いの暴走が、鎮まって――いや、
万年筆から聞こえる『声』に、明らかな動揺がにじんだ。
あたしにも、何が起こってるのかは全然わかんない。
わかんないけど、
「いっっっ……けぇええ――――!」
万年筆の
そんな気持ちとともに、ぎゅっとステッキの柄を握りしめれば、黒い霧に降り注ぐ光が、いっそう強くなった。
そして、完全に黒い霧が消えた時。
「あ……」
陽にいが、糸の切れた人形のように、ゆっくりと膝から崩れ落ちた。
倒れそうになったところを、とっさにかけよったソル君が支えてくれる。
「陽にい!」
あわてて二人のところへ行って、様子をうかがう。
「……そうだ、僕は」
ソル君に抱えられた陽にいが、つぶやく。
「笑ってほしかったんだ。ただ、誰かに」
そう言いながら、陽にいは、どこかぼんやりした目であたしを見る。
「ちい……」
「うん……うん。なあに? 陽にい」
あたしが答えると、陽にいは小さく笑った。
「君みたいな……子どもたちに……読んで、ほしかったんだ……。僕の、物語を……」
そこで、陽にいの言葉は途切れた。
穏やかな表情で、目を閉じる陽にい。
しばらくして聞こえてきたのは、すう、すう、という静かな寝息。
「心配するな。気絶しているだけだ」
「……よかったあ……」
ソル君の言葉にほっと息を吐いた、次の瞬間。
――カツン、コロコロ……
陽にいのそばに、音を立てて何かが転がった。
それは、3センチくらいの、小さくて真っ黒なキューブだった。
手に取ると、それは、まるで心臓のようにどくんどくんと脈を打っている。
不思議な物を手にしている緊張感で、あたしは思わず、ゴクッとつばをのみこんだ。
気づけば、一階で戦っていた白黒の騎士たちは消えていて、豪華絢爛なこの空間も、少しずつ歪んで、普通の一軒家の室内に戻ろうとしている。
多分、
『私の持つ
気を失った陽にいの手の中で、
そうか。
このキューブが、
『しかも、主の真の願いを見抜き、思い出させることができただなんて。君は一体――』
『声』の言葉に、あたしは少し考えて、答える。
ようやく見つけた、あたしだからこそできることを、自分自身に言い聞かせるように。
「うちは、
本当はきっと今の今まで、そんなの全然できてなんかいなかった。
けれど、やっと分かったんだ。
その人たちが、自分の願いを見失って、
そして、その人が本当に願っていたことを、もう一度見つめ直す手伝いをすること。
それは、きっとあたしにしかできないことで、あたしのやるべきことなんだ。
だから、あたしはこれから、本物の
それが、あたしが
黒いキューブを、真上に軽く放り投げる。
窓から差し込む夕陽が、それをまぶしく照らし上げた。
「
輝かしい幻想を現実に変えてしまう力を持っていた、その
落ちてきたキューブを、目の前でキャッチする。
そして、あたしは、みんなの前にそれをかかげながら、不敵に笑ってみせたんだ。
「――『
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