始まってしまった“物語”

「何で、ここにおるん? ――陽にい!」


 あたしの声に、足音の主――陽にいは、「何で、って」と微笑んだ。


「ここは、そもそも僕の家だからね。まさか、表札も見ないで入ってきちゃったの?」


 そんな余裕があるわけないじゃん。

 そう言いたいのをこらえるあたしの前で、陽にいは何かに目を落とした。

 それは、立派な革表紙の分厚い本。

 そして、右手に持っているのは――万年筆?


「それにしても、驚いたなあ。まさか、本当に僕の書いたことがそのまま現実になっちゃうなんて」


 陽にいは、本に目を落としたまま、感心したようにそうつぶやいた。


「……どういう、こと?」

「ある人――いや、物って言ったほうが正しいね。彼に言われたんだよ。この万年筆で書いたことは、強く念じれば現実になるんだって」


 そこで、あたしは初めて気付いた。

 陽にいの持っている万年筆から、黒い霧が立ち上っている。

 つまり、あの万年筆こそが、あたしたちの探している遺産!


「何で、陽にいが遺産レガシーを……」

「遺産? ああ、そういえば、この前もそんな話をしていたよね。そこの男の子と」


 あたしの話を聞いているのかいないのか、陽にいはちらっとソル君のほうを見遣る。

 その目は、心なしか、暗い色をしているように思えた。


「言っておくけど、これは元々僕の物だったんだよ。ずっと前、父さんにもらった宝物なんだ」

「それは今はどうでもよくって! いつ手に入れたにしても、何で陽にいが遺産を使ってるんか、うちは聞きたいの!」


 陽にいは、答えない。

 ただ、じっと万年筆を見つめたまま、あたしのほうを見ようともしない。


「陽にい!」

「……うるさいな」


 あたしの呼びかけに、陽にいはそうつぶやいて、開いた本のページに何かを書いていく。


「『まず手始めに、剣の騎士と槍の騎士が王に命じられ、二人の敵を倒そうとした』」


 陽にいの言葉に応えるようにして、白い鎧を着た剣の騎士と、黒い鎧を着た槍の騎士が、あたしたちに襲いかかる。


「っ……!」

「邪魔だ!」


 あたしの目の前に回り込んだ、白い甲冑の剣の騎士に、回し蹴りを。

 ソル君の目の前に回り込んだ、黒い甲冑の槍の騎士に、青い銃弾を。

 それぞれ思い切り叩き込むと、ほんの少しだけ、騎士たちはバランスを崩した。

 だけど、あの巨体にはそれほどのダメージにはならなかったらしい。

 すぐに体勢を整えると、それぞれが武器を構え直した。


「『斧の騎士とレイピアの騎士が、剣の騎士と槍の騎士に続くように戦いを挑む』」


 次々と、他の騎士たちも一緒になって、二撃目、三撃目をくり出してくる。

 そこからが、乱戦の始まりだった。

 槍があたしたちをつらぬこうとし、斧が空を切り裂く。

 こん棒が床を叩き割り、いくつもの矢が飛び交う。

 あたしは、フロア中を走り回りながら騎士たちにキックをお見舞いし、ソル君は柱の陰を利用しながら、二丁拳銃で騎士たちを狙い撃つ。


「ははっ、いいね、いい。面白い。こういうアクションシーンだよ、僕が書いてみたかったのは!」


 絶えず手元の本に文字を書きつけながら、陽にいは笑う。


「そんな、陽にい……何で……」


 どうにか斧の騎士の攻撃をいなしながら、あたしは泣きそうになっていた。

 どうして、こんなことするの?

 どうして、危険だって分かってて、遺産の力を使うの?

 陽にいにも、自分が押しつぶされそうになるほどの願いがあったっていうことなの?


「っ陽にい!」


 呼びかけに答えてくれない陽にいに、つい飛びかかりそうになる。


「馬鹿! 早まるな、オオミヤ!」


 ソル君の叫び声が聞こえた瞬間、陽にいが手元の本から顔を上げる。


「――ちい、僕はね」


 その目は、どうしてか、少しだけ泣きそうに見えた。


「書きたかっただけなんだよ。色んな人を楽しませることのできる物語を」


 その瞬間。

 陽にいの瞳に、ふわりと涙が浮かんだかと思うと、弱々しい光が戻った。


「……っ!」


 万年筆をうばおうとして飛びかかったはいいけれど、陽にいの涙を見て、思わずためらってしまう。

 途端に、空中で少しだけ、体勢が崩れた。


「あ」


 まずい。

 そう思った瞬間には、目の前に、大きなこん棒の影がせまっていた。

 ドゴッ!

 重い音がしたかと思うと、真横からなぐられる強い衝撃を感じた。


「が、あっ……!」


 軽々と吹っ飛ばされて、ごろごろと階段を転げ落ちる。

 痛い。

 全身の骨が悲鳴を上げているみたいだ。


「オオミヤ!」


 ソル君の声が、やけに遠く聞こえる。

 意識を途切れさせないようにするのに精いっぱいで、正直、ちゃんと声を拾い上げる余裕が無い。


「だから、邪魔はさせないよ」


 靴音が近付いてくる。

 痛む首をどうにか動かして上を見れば、万年筆を本の上に走らせながら、陽にいが、ぼんやりとした瞳であたしを見下ろしていた。

 そこに、いつもの、おひさまみたいに温かな笑顔は、ない。


『私も存分に力を貸すよ、我が主。誰にも邪魔されることなく、思う存分、自らの望む物語をつむぐがいい』

「うん。ありがとう」


 遺産から聞こえてくる、落ち着きのある青年のような声。

 その声と話しながら、陽にいはまた、口を開いた。


「『弓の騎士は、矢を放つ。それは、敵である少女を的確に狙っていた』」


 瞬間。

 キリキリと、糸が引っ張られて引きつれるような音がした。

 階段の踊り場から、一階を見下ろす。

 あたしを狙うそれは、しなる弓にそえられた、一本の矢。


「よけろ! オオミヤ!」


 槍の騎士と戦いながらもソル君がそう叫ぶけれど、だめだ。

 さっきのダメージが思ったより大きくて、立ち上がるので精いっぱい。


「う……っく……!」


 どうにか移動しようとするより先に、弓の騎士が矢を放つ。


 それはまっすぐに、あたしの心臓に向かって猛スピードで飛んできて――

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