覚悟を問う
俺がまだ、母国のイタリアにいたころ――
俺はその日、シキと一緒に、
そこは偶然にも俺の家の近所で、最悪なことに、俺の両親も事件に巻き込まれていた。
暴走した遺産の持ち主は、俺の親父の親友で、親父と同じく、ピアノの演奏家だった。
何でも、事件が起こる少し前のピアノコンクールで、親父が最優秀賞に選ばれたのが悔しかったらしい。
そいつは、遺産にこう願ったんだ。
「親友よりもずっと素晴らしい演奏ができるようになりたい」
その願いはあまりにも強すぎて、
そしてそいつは、暴走した異能力で、親父と、親父を守ろうとしたお袋を殺したんだ。
――親父たちを殺せば、自分が一番の演奏家になれるから。
現場に俺達がかけつけた時、親父もお袋も、もう手遅れだった。
頭の中が真っ白になって、俺は何もできなかった。
ただ、目の前で冷たくなっていく二人の手を握って、ぼうぜんとしていることしかできなかった。
その事件の原因だった遺産は、シキがすぐに破壊して、それ以上の被害者は出なかった。
あいつも警察に捕まった。然るべき処罰を受け、二度とピアノを弾くことはないだろう。
だが、俺はあの事件が終わって以来、やりきれない思いを抱えることになったんだ。
どうして親父やお袋が死ななきゃいけなかったんだ。
それもこれも、遺産なんていうふざけた物があるからじゃないか。
人の願いや想いを暴走させて、あげく人殺しをさせる、そんな物が存在していてたまるか。
だから、俺は誓ったんだ。
遺産は全て、俺がこの手で壊すと。
もう二度と、遺産の力のせいで悲しむ人間を生み出したりしないと。
「そういうこと、やったんやね」
ソル君の話が終わって、あたしは、どうにもいたたまれない気持ちになっていた。
遺産の力と、契約した人の悪意が暴走した結果、自分の両親を亡くしたソル君。
だからこそ、遺産の存在に対するにくしみは、人一倍大きい。
遺産の契約者の心までも守りたいと考えるじっちゃんと、道を違えるのは仕方のないことだったんだろう。
「俺は、これから先も遺産を破壊し続ける。それで救われる命があるなら、遺産と契約したやつの心が死のうがどうだっていい。こんな考えを持つことで、何らかの報いを受けることになろうと構わない」
テーブルの上で、ぐっとこぶしを握って、ソル君は言う。
怒りを押し殺して、ただ自分のやるべきことを心の中で見つめている人の、決意を込めた声色だった。
「……お前はどうなんだ、オオミヤ・チハル」
ふと、鋭い目が、あたしに向けられる。
「お前は、誰かの命を救うために誰かの心を壊してもいいと――そこまでの覚悟を持って
その一言を最後に、あたしの部屋を、長い長い沈黙が包み込んだ。
正直、どう答えていいのか、分からなかった。
遺産のせいで、犠牲が出るなんてことはあってはいけないと思う。
だからこそ、あたしは、はやちゃんの時もライブ会場の時も、全力で遺産を回収しようとした。
でも、いざという時――暴走を止めるのが難しいと判断した時に、迷いなく遺産を壊せるのかな?
遺産と契約している人の心が壊れることに、お構いなしでいられるのかな?
……そんなの、無理に決まってる。
いくら遺産と契約して、危険な事態を引き起こしていたとしても、その人の心が壊れていいっていう理由にはならない。
でも、そんな綺麗事だけを言っていたんじゃ、ソル君の言う通り、怪盗は務まらないんだろう。
だったら、あたしは?
あたしは一体、どうすればいいんだろう?
ソル君の言う通りに、怪盗をやめればいいの?
でも、それは嫌だ。
あたしだって、じっちゃんの跡を立派に継ぎたくて、怪盗になったのに。
……あれ、でも、ちょっと待って。
あたしが、じっちゃんの跡を継ぐためだけに怪盗になったんだとしたら。
――あたし自身の、怪盗として活動する意味は、一体どこにあるんだろう?
「……うちは」
答えを導き出すことができなくて、黙り込む。
そんなあたしを見て、ソル君は小さくため息をついた。
「答えが出せないということなら、なおさら――」
怪盗はやめたほうがいい、とでも言おうとしたんだろうか。
ソル君の言葉をさえぎるように、突然、着信音のようなメロディーが鳴った。
「はい。こちらソル」
ポケットから電話を取り出して、何やら話し始めるソル君。
「ああ。……なに? ……了解。急行する」
短い会話を終えて通話を切ると、ソル君は静かに立ち上がった。
「どうしたん、ソル君?」
「たった今、この近所で新たな遺産の反応が検知されたという報告があった」
「え?」
この近所で?
だったら、あたしも――
「ついて来るつもりか?」
「っ」
「先に行っておく。迷いを抱いて動けなくなるようなら、最初から来るな。邪魔になるだけだ」
突き放すように、あたしをにらみつけるソル君。
……それでも、あたしは。
「あたしだって、今は一応、まだ怪盗や。遺産を回収する義務がある」
「……はあ」
ソル君は、ため息をついて、窓辺に歩いていく。
そういえば、さっきそこから入って来たんだっけ。
本当、どうやって上がってきたんだろう。ここ、二階なのに。
「ついて来るなら、さっさとしろ。俺は待たないからな」
「……うん!」
ありがとう、とソル君に言えば、彼は一足先に窓から飛び降りて、部屋を出ていった。
あたしも大急ぎで探偵服に着替えて、猫耳帽子をかぶる。
それから、少し迷って、机の上に置きっ放しだった猫型のルーペを手に取る。
『これらを使うようになったその時は――わしの代わりに、人々を笑顔にしておくれ』
じっちゃんが、ずっと前にくれた言葉が、頭の中でよみがえる。
あの時、わざわざじっちゃんが猫耳帽子と一緒に渡してきたっていうことは、これも、何かの役に立つかも。
ぎゅっとルーペの持ち手を握りしめて、部屋を飛び出す。
ついさっきまで、熱があって眠っていたことなんか、頭からすっかり抜け落ちていた。
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