第12章 それは、いつか託されたもの

体調不良

 ピピッ、と短い電子音が鳴る。


「三八度。やっぱり、お熱あるなあ」


 体温計を取り出して見せると、お母さんが心配そうに額に手を当ててきた。


「うーん、風邪かなあ。とりあえず、今日は学校休みなさいや」

「えー……別に大丈夫やで」


 ベッドから起き上がろうとすると、お母さんに視線で制される。


「あかんに決まってるやろ。もっと具合悪くなったらどないするん」

「ならへんってば」

「だーめ。学校には連絡しとくから、今日は休みなさい」


 そうして、無情にもあたしをお布団に戻すと、お母さんは部屋を出て行ってしまった。

 A☆Iアスタリのライブに行った次の日、つまり今日は月曜日。

 気持ちを切り替えて、今日からまた一週間頑張るぞと意気込んでいたら、何となく頭が痛くて、体もだるくて。

 いつまでたっても朝ごはんを食べに来ないあたしの様子を見に来たお母さんに、具合が悪そうだと言われて、念のためにと熱を測ったらこの体温。

 この分じゃ、今日は本当に学校には行かせてもらえないだろうなあ。

 あきらめて枕に頭をしずめると、それはふわふわの雲みたいにやわらかく、頭の重みを引き受けてくれる。

 それが何だか気持ちよくて、波のように、少しずつ眠気が押し寄せてきた。


 ああ、このまま、何も考えずに眠ってしまいたい。

 そう思いながらも、あたしの頭のかたすみには、昨日の出来事や、ソルっていう男の子の言葉、それに、じっちゃんの話がこびりついて、はなれなかった。


『遺産を――遺産と強く結びついた、自分の〝願い〟を壊された人間は、心が死ぬ。そういう運命だ』

『俺は、遺産を回収する者じゃない。遺産を、破壊する者だ』


『確かに、遺産は人間と契約する時、その人間の心――その中にある願いと強い縁を結ぶ。そして、遺産が破壊されたとき、遺産が結びついた人間の心も壊れてしまうんじゃ』

『ソル……あの子は、わしが怪盗をしていた頃の弟子じゃ。事情があって、わしとは道を違えてしまったがの』


 遺産を壊されたら、契約していた人の心も壊れてしまう。

 ソル君とじっちゃんは、あたしの知らないところでつながっていた。

 あたしの知らなかった色んなことを、昨日一日でいっぺんに教わりすぎた気がする。

 だからかな。

 さっきから、頭の痛みがひどくなっている気がする。

 ぽろぽろと、涙があふれてきて止まらない。


「ふっ……ううー……」


 あたし、今、怖いと思ってる。

 じっちゃんに言われて引き受けた、怪盗ハンターとしての任務。

 でも、それは、単に遺産を回収すればいいっていうだけのことじゃないんだって、分かってしまった。

 遺産が暴走しちゃって、どうしようもない時は、ソル君みたいに、遺産を壊すっていう判断もしなきゃいけないんだと、知ってしまった。


 だから、怖い。

 あたしにも、いつかきっと、誰かの願いをこの手で壊さなきゃいけない時が来る。

 そう思うと、怖くてたまらない。

 昨日、遺産を壊された後に見た、あの女の人の目。

 黒々とした闇をたたえた、あの瞳の色を思い出してしまって、震えが止まらない。

 夢も希望も、何もかもを映さなくなった、空っぽになってしまった瞳を。


「うっ……ぐすっ……」


 布団にくるまって、声を押し殺して泣いた。

 昨日まで何も知らなかった自分が、情けなかったから。

 怪盗ハンターの任務が、どれだけ重いものなのかを知らなかったのが、悔しかったから。

 ――この先、怪盗ハンターとして活動していくのが、怖くなってしまったから。


 でも、こんなこと、誰にも相談できない。

 ましてや、じっちゃんになんて、言えるわけがない。

 怪盗ハンターとしてやっていくのが怖いです、なんて。

 いざというときに、遺産レガシーを――誰かの〝願い〟を壊すなんてできません、なんて。

 とてもじゃないけど、言えないよ……


 そうして泣いているうちに、すうっと頭の痛みが引いていく。

 さっきからうすうす感じていた眠気が、だんだん強くなってくる。

 やがて、ゆっくりとまぶたが下り、視界が暗くなっていって――

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