動き出す、

 その日、僕の目の前で何が起こっていたのか、さっぱり分からなかった。


 ライブ中に、ギターを演奏してライブ会場をめちゃくちゃにした人がいたこと。

 その人を相手取って、ちい――大宮千春が戦い、苦戦していたこと。

 ぼろぼろになったちいを、見知らぬ男の子が助けたこと。

 女の人が持っていたギターを破壊した彼が、ちいに何か話したかと思うと、彼女は、ものすごくショックを受けた顔をしていたこと。


「……はあ」


 ライブが中止になった後、ちいと別れて帰ってきて、僕はすぐにベッドに倒れこんだ。

 特別何もしていないはずなのに、ものすごく疲れたような感覚がある。


「(……ちい)」


 可愛い妹のようにも思える、大切な友人。

 それなのに、僕は、ちいのことを何も知らないのだなと、今日一日で実感してしまった。

 どうして、ちいは、あんな風に誰かと戦っているのか。

 あの不思議なギターは何だったのか。

 ちい自身も初対面みたいだったけれど、あの男の子は、何者なのか。


「(本当、僕って何も知らないんだな)」


 友人だからといって、彼女の何もかもを知っておくのは、不可能だと思う。

 それでも、あんな危険なことに首を突っ込んでいるのなら、僕にだって相談してほしいと思ってしまう。

 わがままなのは、分かっているのだけれど。




 気を取り直してベッドから起き上がり、僕は机に向かった。

 机の上には、書きかけの小説の原稿が広げっぱなしになっている。

 夏休み明けには提出しなければいけないそれは、けれど、まだほとんど白紙のままだ。

 文化祭で出す文集は、ページ数も多いっていうのに、全然中身を書き進められていない自分が、情けなくなってくる。


「早く、ジャンルくらいは決めなきゃな……」


 そうつぶやいて、いつも使っているペンとは違う、とっておきの万年筆を取り出す。

 父さんが、僕が文芸部に入部したのをきっかけにプレゼントしてくれた、大切なもの。

 これを使えば、平凡な僕にだって、少しは面白い物語が書けるような気がした。

つまりは、執筆中の心のよりどころにしたかったのだ。


 原稿用紙の紙面に、ペン先をとんとんと当てる。

 この間、ちいにも読ませてあげると約束したばかりだから、少しくらいは書き進めておきたいところだ。

 さて、どんな物語か書こうかと、考え始めた時だった。




『物語を創り上げるのにお困りかい? 我が主』




 落ち着いた、青年のような声が、僕以外に誰もいないはずの部屋に響き渡ったのは。

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