自分だけが知らない

「おや? 千春じゃないか」


 あたしが訪れたのは、じっちゃんの家だった。

 どうかしたのか、と言いかけたところで、あたしが傷だらけなのに気付いたのだろう。

 じっちゃんは少しの間言葉を失っていたけれど、すぐにあたしを玄関に入れてくれた。


「どうしたんじゃ、千春。今日は、出かけていたんじゃなかったのか?」

「……なあ、じっちゃん」


 あたしは、じっちゃんの問いに答えることなく、たずねた。

 あたしに心の余裕がないことが分かったのか、じっちゃんはすぐに、引きしまった表情になった。


「じっちゃんは、遺産が壊れたら、その持ち主の願いも――心も壊れちゃうって、知っとったん?」


 あたしの言葉に、じっちゃんは、大きく目を見開く。


「その話を、どこで」


 そうつぶやいたじっちゃんに、あたしは、今日あったことを説明した。

 ライブ会場で、遺産の持ち主と出会い、戦ったこと。

 その人に全然歯が立たなかったところで、謎の男の子が助けてくれたこと。

 その子が、戦いながら、女の人の持っていた遺産を破壊してしまったこと。

 そして――遺産を破壊されてしまった女の人が、好きなはずだった音楽のことを、どうでもいいと吐き捨てたこと。


「男の子の名前な、ソルって言うねんて。自分は、遺産を破壊する者やって言うてた。じっちゃんのことも、知っとるみたいやった」


 うちは、なんにも知らへんかったのに。

 あたしがそんな言葉を呑み込んだところで、じっちゃんは、天井をあおいでため息をついた。

 それから、あたしに向かって、深々と頭を下げてくる。


「すまなかった。お前に、大切なことを黙っていて」


 じっちゃんは、頭を下げたまま話を続けた。


「確かに、遺産は人間と契約する時、その人間の心――その中にある願いと強い縁を結ぶ。そして、遺産が破壊されたとき、遺産が結びついた人間の心も壊れてしまうんじゃ」


「……っ」

「そして、ソル……あの子は、わしが怪盗をしていた頃の弟子じゃ。事情があって、わしとは道を違えてしまったがの」


 そんなふうに話すじっちゃんが、何だか今日は、ずっと遠い所にいる人みたいに思える。


 じっちゃんも、ソルっていうあの男の子も、大切なことをちゃんと知っていた。

 それなのに、あたしだけが何も知らなかった。

 遺産が、危険なものであるっていうだけじゃなくて、すごく繊細な存在であることも。

 怪盗をしていたころ、じっちゃんに弟子がいたことも。

 何も知らないで、軽い気持ちで、じっちゃんの役目を引き継ぐだなんて言って。

 それで、今、こんなにも怖いと思っている。

 遺産に関わるのが、怖いと感じている。

 あの子のように、冷徹でいないと、遺産には関わってはいけないんじゃないかと思っている。

 それに何だか、ひどく疲れてしまった。


「……ごめん、じっちゃん。今日はもう、帰るね」

「千春」

「話なら、また今度ね」


 あたしは、じっちゃんの言葉を半ば無視して、じっちゃんの家をあとにした。

 じっちゃんが、なぜかひどく傷ついたような顔をしていたのには、気付かなかったことにして。

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