第11章 壊れた心と、遺産の真実

壊れた遺産、壊れた×××

 無残に切れた、銀色の弦。

 割れたピック。

 くだけ散った、黒色のボディー。

 あの男の子が撃ったのは、女の人が持っているギター……つまり、遺産のほうだった。


「え……?」


 思わず、がくぜんとする。

 壊しちゃったの? 遺産を?

 銃を握ったままの男の子を、ぼうぜんと見上げる。

銃を軽く振って、ゆらゆらと立ち上っていた青い煙を振り払うと、彼は銃を腰のベルトに収めた。

 そして、何事もなかったかのように女の人に背を向けると、お客さんたちの間をぬうようにして、ライブ会場を出ていこうとする。


「ま、待って!」


 思わず、あたしが彼を追いかけようと立ち上がった、その時だった。

 ドサッと音がして、何かが落ちるような、倒れるような、そんな音がした。

 振り返ると、そこには、さっきまであたしたちを襲っていた女の人が倒れている。


 それで、あたしはハッとした。

 遺産は、人間と契約することで力を発揮する。

 そうなると、遺産とその人は、強いつながりを持つことになるはずだ。

 じゃあ、その遺産が破壊されてしまったら――


「安心しろ」


 女の人を見つめるあたしの背中に、短い言葉がかけられる。

 振り返ると、あの男の子が、無表情にあたしを見ていた。


「死んではいない。気を失っているだけだ」

「そ、そうなんや……」


 よかった。

 もしかして、死んじゃうんじゃないかとひやひやしていたから、そこは一安心だ。

 ほっと息を吐くあたしを、男の子は無言で見下ろしている。

 どうしたんだろうと思って首をかしげていると、彼は短くため息をついた。


「死なないのであれば一安心だ、とでも言いたげな顔だな」

「へっ?」


 びっくりした。

 心の中を読まれたのかと思った。

 でも、男の子の言う通り、安心しているのは事実だ。

 黙って小さくうなずく。

 すると、彼はもう一度ため息をついて、目つきを鋭くした。


「呑気なものだな」

「え?」

「見てみろ」


 彼がくいっとあごで示した先には、うめきながらゆっくりと起き上がろうとする女の人がいた。


「お姉さん!」


 あわてて駆け寄って、お姉さんを抱え起こす。


「ここ、は……?」


 まだ意識がぼんやりしているのか、お姉さんは焦点の合わない目で周りを見回していた。


「ライブ会場やで。お姉さん、A☆Iアスタリのライブを見に来はったん、覚えてない?」


 ギターを弾きながら暴れていた、とはあえて言わずに説明すれば、ゆっくりと首を横に振られる。

 次にお姉さんが口にしたのは、あまりにも衝撃的な一言だった。


「私、どうしてここにいるのか、分からない……音楽にはもう、興味、ないから……」


 ……え?

 音楽にはもう、興味がない?

 ウソ、そんなのウソだよ。

 だって、さっき……


「お姉さん、みんなに演奏をもっと聴いてもらいたいんやって、叫んではったやん! それは、音楽が好きやからやろ!?」

「…………」

「せやのに、何で興味がないなんて言うんよ! みんなに聴いてもらいたいっていう願いがあるんなら、何で!」


 だって、あんなに強い願いがあったはずなのに、急に「興味がない」なんて、おかしいよ。

 お姉さんの肩をつかんで、強く揺さぶっていると。


「離して」


 ゾッとするほど冷たくて、暗い声が、聞こえた。

 それは、まぎれもなく、目の前にいるお姉さんの声で。

 怖くなって、あたしは思わず手を離した。


「……私、もう、嫌なの。どんなに練習して上手くなっても、どんなに音楽が好きでも、誰も私の音楽に振り向いてくれないのが」


 お姉さんの表情を見て、気付いてしまった。

 話しているお姉さんの目が、遺産に支配されているときと同じくらい――それ以上に暗い色をしていること。

 光が灯っていない、どこまでもうつろな目。

 黒々とした穴が二つ、ぽっかりと開いているようで、思わずひっと息を呑んだ。


「だから、もう、音楽はやらない」


 ふらりと立ち上がって、お姉さんは、出口のほうへ向かっていく。


「もう、どうでもいい。音楽なんて――大嫌い」


 つぶやかれた言葉に、強く頭を殴られたようなショックを受けた。

 どうして。

 どうして、こんなことになっちゃったの?


「人間というのは、〝願い〟によって生きている。何かを成し遂げたいと願い、何者かになりたいと願い、さらに言えば、生きたいと願うからこそ、人は生きている」


 男の子が、静かにそう口にした。

 願いによって生きている。

 その言葉に心当たりがあって、あたしは目を伏せた。

 あの女の人で言えば、多くの人に演奏を聴いてもらいたいということ。

 この間の、はやちゃんの時で言えば、いじめられている人の力になりたいということ。


「遺産は、そういう、人間の心の中の〝願い〟と契約し、そこに寄生する。遺産が破壊されれば、契約者の願いも壊れる。契約者の心と、遺産の存在は、つながっているんだ」


 その言葉に、あたしは気付いてしまった。

 それじゃあ、もしかして、遺産が破壊されてしまったら、その持ち主の心は――

 けれど、その真実を認めたくなくて、あたしはただただ、首を横に振り続ける。

 そんなあたしに現実を突きつけるように、男の子は、言った。


「遺産を――遺産と強く結びついた、自分の〝願い〟を壊された人間は、心が死ぬ。そういう運命だ」


 目の前が、真っ暗になっていくようだった。

 足元の地面が沼のようになって、ずぶずぶと体が沈みそうな感覚を覚える。


「その様子だと、何も知らなかったんだろう」


 床にへたり込んだまま、ショックで動けなくなっているあたしに、そんな声がかけられる。

 顔を上げれば、あの男の子が、じっとあたしを見下ろしていた。

 幻滅した。

 その子の目が、あたしにそう言っているようだった。


「遺産の真実を知って、立ち上がれるような覚悟すらない。本当に、なぜお前のようなやつを後継者にしたのか……シキの気が知れない」


 あきれたように言う、男の子。


 後継者。

 シキ。


 その言葉から導き出される人物は――


「……じっちゃん?」


 男の子は、うなずくことも首を振ることもせずに、あたしに背を向ける。


「ま、待って!」


 遠ざかる背中に、あわてて声をかける。

 黙って足を止めた彼に、あたしは聞いた。


「君は……一体何者なん? 怪盗ハンター? それとも、別の何かなん?」


 しばしの沈黙。

 やがて、男の子は首だけであたしのほうを振り返った。


「――ソル」


 ソル。

 それが、彼の名前。

 外国人なのかな、と思っていると、彼はどこかぼんやりした様子で続ける。


「シキの言葉を借りれば、俺は一応、怪盗ということになるんだろう。だが、俺は――お前とは違う」


 そして、あの大型の拳銃を抜いて、じっと見つめながら、ぽつりとつぶやいた。




「俺は、遺産を回収する者じゃない。遺産を、破壊する者だ」

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