回想、そして――

 いじめを、受けていた。

 暴力を受けるところまではいかなくても、誰にも助けてもらえずにじっと耐え忍ぶ日々は、辛くて苦しかった。

 僕がいじめられていることを、クラスの誰もが知っていたと思う。


 けれど、誰も、助けてはくれなかった。

 いじめっ子たちに注意をする人も、僕をかばってくれる人も、いなかった。

 けれど、それも仕方ないんだと思って、諦めていた。

 だって、いじめっ子に口出しをすれば、僕をかばおうとすれば、自分だっていじめられるかもしれない。

 それは、とても怖いことだ。


 だから誰も、僕を助けない。

 だったら、僕が耐え忍べばいいんだと、必死で言い聞かせていた。

 僕が耐え忍ぶしかないんだと、思い込もうとしていた。




 2月。

 もうすぐ進級するという時期には、いじめは少しずつ落ち着いていた。

 いじめがいけないことだと気付いたのか、それとも単純に飽きただけだったのかは分からない。

 それでも、このままいじめが収まれば、また、安心して学校生活を送れるようになる。


 ――そう思っていたのに。




「何だよ、これ。ご当地キャラか何かか?」




 その日、運悪く、僕の宝物のストラップに、いじめっ子が目を付けた。


「シノビネコ? 忍者か? だっせえ! こんなのが好きなのかよ、お前!」

「か、返してほしいでござる! それは拙者の宝物で!」

「宝物? こんなもんがか?」


 そいつは、嫌らしい笑みを浮かべて、僕の宝物をながめていた。


「いいこと聞いちまった。これ、俺が預かってやるよ」

「! だ、だめでござる! 返して!」


 僕がそう言っても、彼は聞き入れてはくれなかった。


「お前の代わりに、俺が大事にしてやるよ」


 そう言って、彼は、僕から大切な宝物を――母上に買ってもらったストラップを、うばったのだ。


 許せなかった。

 飛びかかって、なぐりかかってでも、取り返したかった。

 だけど、僕にはそんな勇気はなくて。

 結局、ストラップを取り返すことは、できなかった。




 時々、何となく周りを見るようになった。

 日の当たらない、人の目につかないところで、僕と同じように、いじめに苦しむ人がたくさんいた。

 僕は知ってしまった。

 僕のように、誰にも助けてもらえずに、苦しい思いをしている人が、たくさんいることを。

 僕のように、大切にしていた物を取り上げられて、泣き寝入りするしかない人が、思いのほかたくさんいることを。


 けれど僕には、勇気がなかった。

 自分のことだってどうにもできないのに、他人を助けられる余裕なんてなかった。

 声を上げるのが、怖かった。


 それでもやっぱり、僕だって、誰かの力になりたかった。

 助けたかった。

 大切なものを、取り返してあげたかった。

 けれど、どうしたらいいか、僕には分からなかった。

 他人を助けるために行動するだけの勇気が、無かった。




 そんな時だったんだ。


 家の倉庫に眠っていた、不思議な巻物の声を聞いたのは。




     ☆




「今思い返しても、まこと不思議な体験だったでござるよ。巻物がしゃべるというのは」


 ふところから、黒い表紙の巻物を取り出して、はやちゃんは薄く笑う。


「この巻物の力を使えば、あこがれている忍者のようになれる。いじめられている人たちがうばわれた物を、気付かれることなく、いじめっ子たちから取り返すことができる。もちろん、相手に危害を加える危険もない。そう言われたのでござる」


 その笑顔は、どこか、こんな手段に出てしまった自分を、あざ笑っているように見えた。


「……やっぱり、君は、いじめられている人たちのために、活動していたんだね」

「それも最初だけでござるよ。今の拙者は、ただのうす汚い盗人でござる」


 吐き捨てるように笑うと、はやちゃんは、「でも、でござるよ」と言葉を続けた。


「拙者は、自分のしていることが間違っているとは、思わないでござる。誰かを傷つけ、苦しめるような真似をした悪人には、それ相応の報いがあるべきなのでござる」

「…………」

「これは制裁なのでござるよ、シャトンどの。誰かをいじめ、悲しませてきた人間に対する、罰なのでござる」


 その言葉に、あたしはぐっと息を詰まらせた。

 そりゃあ確かに、いじめはいけないことだと思う。

 誰かをいじめて、悲しませるようなことは、やってはいけないことだ。

 だからって、それに対して過度に仕返しをする資格は、はやちゃんにだってないはずなのだ。


「これ以上、盗みをしないっていうわけにはいかないの? どんな理由があっても――」


 ちくり。

 自分の言おうとした言葉。

 その続きが、口に出す前に、あたしの胸を刺す。


『どんな理由があったって、他人の物をうばうのは、やってはいけないこと』


 それは、怪盗になるって決めたあたしにだって、十分言えることなんじゃないの?

 ……そう思ったけど、それ以上は考えるのをやめた。

 以前、じっちゃんの前で、怪盗ハンターになると大見得を切った以上、後戻りするような真似はしたくなかったから。


「――他人の物をうばうのは、やってはいけないことだ」


 たっぷりと間を置いて、やっと、そう言い切る。


「……拙者は……っ」


 瞬間。

 はやちゃんが、巻物を握る手に、ぐっと力を込めたのが分かった。

 とたんに、巻物からふき出した黒い霧が、足先からはやちゃんを呑み込んでいく。


「それでも拙者には、やりたいこと――やらねばならないことがあるのでござる」

「望月君……」

「拙者は! 拙者の信念を貫くために、今さら止まるわけにはいかないのでござるよ!」


 今にも泣き出しそうな表情で叫ぶ、はやちゃん。

 その悲痛な声に、ぎゅっと胸をしめ付けられる。


 はやちゃんの、信念。

 自分と同じように、いじめを受けている人の力になりたいということ。

 大切なものを取り上げられるなんていう目にあってしまった人たちのために、何としてでも持ち物を取り返したいということ。

 けれどはやちゃんは、それらをどうやって成し遂げればいいのか、分からなかったんだ。

 臆病な自分に何ができるのか、考えて、悩んで、それでもどうすればいいのか分からなくて、苦しんでいたんだ。


 そんな時に、はやちゃんは、あの巻物からの声を聞いてしまったんだろう。

 そして、自分にできることを見失っていたはやちゃんは、巻物を手に取って――『ねずみ小僧』になった。

 遺産レガシーの力に頼らざるを得なかったはやちゃんの気持ちを思うと、すごく悔しい。


「(……でも)」


 ぐっと拳を握って、口調がいつも通りのものになるのも構わず、あたしは、はやちゃんに向かって叫んだ。


「はやちゃんのやったことは、全部が全部やないにしても、間違っとるよ!」


 だって。

 もし、その巻物の力で、忍者みたいに――あるいは、伝説の義賊みたいに、誰かの大切なものをこっそり取り返せたとしても、だ。


「はやちゃんは結局、制裁とかなんとかって言うて、誰かのもとから大切な物を盗んだんやろ!?」

「っ!」

「それは、はやちゃんが、いじめっ子にされてきたことと同じことや! 下手したら、それよりも悪いことをしとるって言われたって、仕方ないんやで!」

「それ……は……」


 あたしの言葉に、一瞬、はやちゃんの瞳が迷いの色に揺れた。

 巻物を握る手が、ぴくりと震える。

 はやちゃんだって、きっと本当は、分かっているんだ。

 自分のやっていることが、正しいわけではないんだっていうことを。


「拙者……拙者……は……っ!」


 はやちゃんの目に、薄く涙の膜が張る。

 震える声で言いながら、巻物を握った右手をゆっくりと下ろしていく。

 このまま説得に成功すれば、もしかしたら、戦わずに遺産を回収することができるかも。

 そう思った矢先だった。


 ――ヒュンッ!


「えっ――きゃっ!?」


 空気を切り裂くような音とともに、何か重いものがあたしの真横の空を切った。

 とっさに頭を傾けて避けたけれど、一瞬遅れて、右のほおに鋭い痛みが走る。

 痛みのあった部分を手の甲でぬぐえば、真っ赤な血がぺとりと張り付く。

 おそるおそる振り返れば、あたしの真後ろにあった木には、一本の苦無が突き刺さっていた。


 正面を見る。

 黒い霧をまとったはやちゃんが、うつろな目であたしを見ている。

 その手には、何本もの苦無や手裏剣が握られていた。


 背筋を、冷たいものが走り抜ける。

 今――はやちゃんは、あたしに本気であれを当てるつもりで、投げたんだろう。

 たとえそれが、はやちゃん自身の意思ではなかったとしても。


「(はやちゃんは、本気だ)」


 恐怖に跳ね上がる鼓動をなんとか落ち着けながら、思う。

 今のはやちゃんは、あたしのことを完全に敵とみなして、排除しようとしている。

 だったら、情けをかける余裕は、あたしにだって残されていない。


「――すぅー……はあ」


 大きく息を吸って、吐いて。

 気持ちを落ち着けたところで、あたしは静かに構えをとった。

 じっちゃんから、いざという時のため――今にして思えば、やっぱりじっちゃんは、あたしがこうして誰かと戦う時が来ることを想定していたのだろう――に教わった、サバットの構え。


「かかってきいや、はやちゃん」


 あくまで冷静に、気持ちだけでも相手の優位に立てるように。

 にいっと口の端を上げて、あたしは言う。




「正々堂々勝負しようや。あんたの〝義賊〟でいることへの執念と、あたしの〝怪盗〟としての任務への思い――どっちが、強いか!」



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