宣戦布告
放課後。
あたしは、黄色いメモ帳を手に、情報を整理していた。
悪いことをしているとは思ったけれど、これも、ねずみ小僧を止めるためだ。
重い息を吐きだしながら、あたしは、自分の持っていた情報も合わせて、はやちゃんがメモに書いていた情報を一つ一つ確認していく。
被害者は、現在誰かに対していじめを行っているか、もしくは去年、いじめを行っていた人ばかりだった。
被害者の机には、『(盗まれた物)はねずみ小僧が預かった』という内容の手紙が残されている。
ただ、最初の5件は手紙の内容が違っていて、『(盗まれた物)は然るべき者のもとへ返された』というものになっている。
これは、今日の放課後に聞き込みをしてはっきりしたことだった。
そして、ここからが、はやちゃんのメモにだけのっていた情報。
なんと、ねずみ小僧の特徴が、小さく書かれていたのだ。
この学校の男子制服に、パーカーを着用していること。
見た目は男子っぽいけれど、身長が低くて、160センチもないだろうということ。
箇条書きで記されたそれを見ながら、うーん、とうなる。
「誰にも目撃されてへんはずのねずみ小僧の姿を、何ではやちゃんだけは、はっきり見られたんやろう……」
教室に戻りながら、ぶつぶつとつぶやく。
思いっきり眉をひそめながら、教室のドアを開けた時だった。
『大宮千春』
どこからか、低くて暗い声が、あたしを呼んだ。
慌てて、夕暮れ時の、影が落ちた教室の中を見渡す。
けれど、そこには、人ひとりの姿も見当たらなかった。
「誰!」
鋭く声を上げる。
ゆっくりと教室中を見回していると、教室の一番後ろにあるロッカーのほうに、不気味な何かが現れた。
人の形を何とか保ちながら漂っている、黒い霧のようなもの。
その、ちょうど右手にあたる部分に、あたしはあるものを見つけた。
黒い霧がふき出す、巻物のような形をした何か。
もしかして、あれは――
「
あたしの言葉に、人の形をした黒い霧がゆらりとうごめく。
それは、日陰のほうに移動すると、また見えなくなってしまった。
「待って!」
あたしが思わず呼び止めれば、また、あの不気味な声がする。
『これ以上、我に――ねずみ小僧に関わるな。さもなくば、お前にも制裁を加えることになる』
制裁?
一体、何の話をしているの?
あたしが戸惑っていると、ガラリとドアの開く音がする。もちろん、あたしが今立っているほうのドアじゃない。
あわてて音のしたほうを見れば、教室後方のドアが半分開いている。
「待って!」
急いで廊下に出たけれど、そこには誰の姿もなくて、廊下を走っていく足音だけが反響している。
姿の見えない何かと会話をしていたこと。
それに、今さらながら恐怖がこみ上げてきて、へなへなと床に座り込む。
「……何やったんよ、今の……」
つぶやいた声は静かに、教室の床にこぼれ落ちる。
暗く影の落ちていた教室が、窓から差し込む夕陽に照らし上げられて、まぶしく輝くオレンジ色に包まれ始めていた。
☆
すっかり陽が落ちて、街はどこを見回しても真っ暗。
家に帰ろうとしたけれど、どうしてもじっちゃんに会いたくなって、あたしは自然と、じっちゃんの家に足を運んでいた。
「じっちゃん、おるー?」
玄関の明かりはついているけれど、一応声をかけながら、チャイムを鳴らす。
少し遠くから廊下を歩いてくる足音がした後、程なくして、ランポさんを頭にのせたじっちゃんが、ひょっこりと顔を出した。
「おや、千春。どうかしたのかのう?」
「ううん。ちょっと、じっちゃんに会いたくなってん」
あたしがそう言うと、じっちゃんは少し何かを考えるように黙り込んで、それから家の中に入れてくれた。
「ちょうど、今から夕飯にするところだったんじゃよ。千春も、よかったら食べておいき」
「え、でもうち、お母さんがご飯作ってくれとる……」
「家には電話しておくから、大丈夫じゃよ。ほれ、上がりなさい」
そう言って、じっちゃんはあたしを居間に案内してくれた。
ちゃぶ台には、一人分の食事が用意されている。
サバの塩焼きに、ほうれんそうのおひたし。
豆腐となめこのお味噌汁に、ほかほかの白ごはん。
ちゃぶ台の真ん中には、ちりめんじゃこをまぶしたサラダが入ったガラスボウルが、どんとのっかっていた。
「今日は千春が来そうな予感がしたからのう。サバを多めに焼いておいてよかったわい」
大きなお盆に、もう一人分の晩ごはんをのせたじっちゃんが、戻ってくる。
あたしの前に手際よくそれらを並べると、じっちゃんは温かいお茶を出してくれた。
「さ、食べようか。いただきます」
「……いただきます」
「うむ。めしあがれ」
手を合わせて、いただきますをして、まずはサバを一口。ほどよく脂がのった身が、じゅわっと口の中でほぐれて、おいしい。
サラダも、お味噌汁も、おひたしも、白ごはんも、どれもこれも本当においしい。
だけど、何だろう。
のどの奥に何かがつっかえたような感覚がして、素直においしく食べられないんだ。
「何か、悩んでおるようじゃな?」
つい、はしを持つ手を止めて、ぼうっとしていたあたしに、じっちゃんが声をかけてくる。
じっちゃんは、何もかもを分かっているかのような、優しい微笑みを浮かべていた。
「……なあ、じっちゃん」
だからあたしは、思い切って、じっちゃんに聞いてみることにした。
「もし、もしもよ? 自分の周りで、何か悪いことが起こったとするやん」
「うむ」
「その犯人が、自分の知っとる人で、しかも、仲がええ人やとするやん」
「ふむ」
「うちは、怖いねんな。どんな動機があろうと事件を起こすんは悪いことやけど、その犯人の思いを否定することになるんちゃうかと思ったら、怖いねん」
しゃべりながら、あたしは、放課後に聞いた言葉を思い出した。
『これ以上、我に――ねずみ小僧に関わるな』
あの言葉は、あたしが犯人を問い詰めれば、その相手と築いてきた関係が壊れてしまうという、最後の警告だったのかもしれない。
「なあ、じっちゃん。じっちゃんやったら、こういう時、どうする? あたしは、どうしたらええと思う?」
じっちゃんは、黙ってあたしの話を聞いていた。
ごはんに手を付けることもせずに、あたしの話を聞いて、あたしへの返答を考えてくれているようだった。
「本来ならば、その答えは自分で考えるべきだと言うところじゃが」
ふいに、じっちゃんが口を開く。
「千春は優しいから、犯人の行いを根底から否定するのが、怖いんじゃろうな」
「そんなこと……」
じっちゃんの言葉に答えられなくて、うつむく。
あたしは、根っこから優しいなんてことはないと思う。
正しいことは正しい、間違っていることは間違っている、はっきりさせないと気が済まないし、間違ったことをする人は許せない。
それでも――犯人が事件を起こすのには、絶対に何らかの理由があるはずだから。
それを考えると、本当に犯人を追い詰めてもいいものかと、迷ってしまうのだ。
「じゃがなあ、千春」
じっちゃんの、しわくちゃになった手が、あたしの頭をそっとなでてくれる。
「お前の友人が、もしも犯人だというなら。なおさら、その間違いを正してやるべきだとは思わんか?」
その言葉に、あたしはハッとした。
そうだ。
あたしは探偵。
事件の真相と、犯人の行動の理由を正しく解き明かすのが、あたしの役目。
あたしは
だったら、迷っている暇なんてない。
あたしは、あたしのやるべきことを、きちんとやらなくちゃ!
「ありがとう、じっちゃん!」
そう言って、あたしはじっちゃんの作ってくれたごはんにがっついた。
くよくよしていたら、お腹が減っちゃったから、仕方ない。
『彼を、救ってほしいと思っているでござるよ』
そんな、はやちゃんの言葉を思い出しながら、あたしは、家に帰ってからやるべきことを考え始める。
考え事をしながらもごはんを食べるのはやめないあたしを、じっちゃんは、ずっと優しい目で見守ってくれていた。
☆
次の日の放課後。
あたしは、昨日寝るまでかかって一生懸命書いた手紙を、ある人の机に突っ込んだ。
こんな手紙、気にも留められないかもしれない。
何の冗談だと、無視されてしまうかもしれない。
それでも、これは、あたしなりの決意表明であり、宣戦布告の証だから。
だから――
「ちゃんと読んでよね、『ねずみ小僧』さん」
ぽつりと言い残して、あたしは教室を出る。
窓から差し込む夕陽が、影が落ちた教室の中で、スポットライトのように、彼の机だけを照らし上げていた。
【ねずみ小僧様
明日の一七時、【
―― 怪盗シャトン】
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