知りたくなかった現実

 次の日の朝。

 いつもよりちょっとだけ早く学校に来たあたしは、靴を履き替えて教室に行こうとした時、「あっ……」というか細い声を聞いた。

 振り返る。

 体育の授業で見たことのある、別のクラスの女の子が、青ざめた顔で自分の下駄箱を見つめていた。


「おはよう! どうしたん?」


 そう声をかければ、その女の子は、ぱっとこっちを振り向く。


「大宮さん」


 震える唇がそうつぶやいた後、きゅっと引き結ばれて、その子は「何でもないですよ」といびつに笑った。

 ……ウソだ。何かあったのは、目に見えてる。


「ちょっと、見せて」

「だ、だめ!」


 見ないでください、と言う女の子に構わず、あたしは半ば無理やり、その子の下駄箱を覗き込む。

 そして、絶句した。

 その子の下駄箱には、たくさんの生ごみが、突っ込まれていたのだった。


「……君、3組やんね」


 ひどいにおいに鼻をつまみたくなるのをこらえながら、あたしはたずねる。

 怒りで、視界が真っ赤になりそうだった。

 誰が、誰がこんなことを。

 小さくうなずいたその子の手を引っ張って、あたしは3組の教室へ向かった。

 もちろん、その子の手を掴んでいない手には、その子の上履きを持って。

 勢いよくドアを開けると、3組の人たちの視線が、一斉にこっちに向けられる。

 何だ何だとざわつく人たちに上履きを突き出して、あたしは言った。


「誰! この子の上履きにこんなことしたん!」


 さっきまで生ごみにまみれていて、すっかり汚れてしまった靴を見ると、みんなは気まずそうに目を逸らした。

 まるで、何かを知っているけれど、言いたくないのだというような顔だ。

 正直に申し出れば先生に言いつけられる、そんなふうに思っているのだろうか。

 あたしは肩をすくめて、ふうと息を吐いた。


「別に、先生に言いつけようとか思ってへん。でも、こんなことして相手に謝らへんのは、良くないってうちは思う」


 そして、それに見て見ぬフリをする人たちも、ひどい人間だと思う。

 言い過ぎかもしれないけれど、どうしたって、あたしは許すことが出来ない。


「……あの」


 やがて、教室の隅のほうから、真面目で気弱そうな男の子が、手を挙げてつぶやいた。


「僕、知ってます。誰が、その子にこんなことしてるか」

「ほんま?」

「はい」


 仕返しが怖いから何も言えなかったのだけれど、と言うその子に、あたしは苦笑する。

 そりゃそうだよね。

 きっと、普通は誰だってそうなんだ。

 先生にいじめがあったことを報告して、いじめっ子が正当なお説教をされたとして。

 そこから、「お前のせいで叱られた」っていじめっ子に責められるのは、誰だって怖いと思うんだ。あたしだって、ちょっとぐらいは怖い。

 だけど、そこから一歩勇気を持ってふみ出してくれたことが、あたしは嬉しかった。


「ありがとう。それで、その人って誰なん?」


 だから、彼にはちゃんとお礼を言って、あたしはたずねた。

 彼は、あたしのところに歩み寄ってきて、こっそりと教えてくれた。


「あの子をいじめているのは――」






 男の子から話を聞いた後、あたしは、重い気分で教室に入った。

 朝の教室はいつも通り賑わっていて、教室に入ってくる人に明るくあいさつをしたり、楽しげに友達と会話をしたりしている。

 けれど、今日はそれに混ざる気にはなれない。

 あたしは、自分の席で楽しそうに友達と話しているその人のもとへと、大股で近付いて行った。


「あっ、大宮さん。おはよ」


 クラスの中でも中心的な存在の、その女の子。

 少し制服を着崩し、髪を巻いている、いかにもリーダー格ですよというような見た目の子。

 ――転校してきた初日、ねずみ小僧からの手紙を見せてくれた、あの子。

 人当たりのよさそうな笑みを浮かべた彼女からのあいさつを、けれどあたしは、この時ばかりは無視した。


「なあ、ちょっと来てもらってもええ?」


 努めて冷静に、怒っているのを悟られないように声をかける。

 彼女は少しだけ、怪しそうな顔をしたけれど、特に嫌がることもなく、あたしの言葉に頷いた。


 二人で訪れたのは、人気のない美術室。

 ここなら、誰かに話を聞かれることも無いだろう。


「聞きたいんやけどさ」


 あたしは、変に前置きをしたり、遠回しな話をしたりするのは苦手だ。

 まっすぐズバッと、単刀直入にたずねる。


「3組の女の子をいじめとるんって、あんたなん?」


 その言葉に、彼女は明らかに表情をこわばらせた。

 けれど、すぐに教室で見たあの笑顔に戻って、何事も無かったかのように言う。


「何のこと?」


 やっぱり、簡単には話してくれそうにないか。

 だったら、あたしから、ハッタリを仕掛けるしかない。


「うち、見てしもたんよ。今朝、あんたがあの子の下駄箱に、生ごみを入れとるところ。頑張って、朝一番の誰にも見られへん時間に来たのに、残念やったね」


 そう言うと、みるみるうちに、目の前の彼女の顔が青ざめていく。

 思ったよりもずっと、効果はあったらしい。


「先生たちに、言うつもり?」


 その子の言葉に、あたしは首を横に振る。


「言わへん。だってうちは、あんたのしたことが許されへんから」

「許せないって、何で? アンタとあの子は、別に友達でも何でもないでしょ?」


 その言葉に、あたしは唇をぎゅっと噛んだ。

 この子は、知らないんだろうな。

 下駄箱の前で、どんなにあの女の子が悲しそうな顔をしていたか。

 どんなにあの女の子が、ショックを受けた様子だったか。

 悔しさに力いっぱいこぶしを握って、あたしは息と共に言葉を吐き出す。


「あんたは、人として最低なことをした。せやから、自分から白状して謝らへん限りは、あんたを許したくない」

「許したくない、って……別にアンタに許されなくても、私は困らないけど?」


 鼻で笑うような声。

 カチンときて、冷静さを失いそうになるけれど、ギリギリのところで怒りを押し止める。

 そして、スウッと冷えていく頭の中で思い浮かんだ言葉を、ぽつり、口にした。


「そりゃあ、ねずみ小僧に物を盗られるわけやわ。あんたみたいな性悪は、義賊に大事な物を盗られたってしゃあないわ」


 ……ん?

 あれ?

 今あたし、何て言った?

 あたしの言葉にわめく女の子をよそに、あたしは、自分の発言を必死で思い返す。


 誰が、大事なものを盗るって言った?

 ねずみ小僧?

 そうだけど、違う。

 悪い人の元から物を盗み出す、ねずみ小僧。

 彼が、伝説の中で何と位置付けられていたか。


 それは――義賊。


 義賊っていうのは、お金持ちから金品を盗んで、貧しい人々に分け与える泥棒のこと。

 お金持ち以外で盗みの対象になる人もいて、それは例えば、民衆から見て悪いことをしている領主だったり権力者だったりする。

 校内で盗みをしているのは、ねずみ小僧という、実在した義賊を名乗る人間。

 だったら、この学校のねずみ小僧が盗みを働く相手――『民衆の敵』は誰になるのか。




「なあ!」


 目の前の女の子の肩を、ガッと掴む。


「この際、あんたがしたことはええわ! いや、よくはないけど! ちゃんとあの子には謝ってもらわな気が済まんけど!」

「は、はあ!?」

「あんた、他にねずみ小僧に手紙もらった人が誰かはわかる?」

「……分からないことはないけど、何でアンタなんかに教えなきゃいけないのよ」


 苦虫を噛み潰したような顔でそう言うその子に、あたしはまくし立てるように言った。




「分かるかもしれへんのよ! ねずみ小僧が、どういう法則で盗みをしとるかが!」



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