お兄ちゃんカッコカリ

「それにしても、あの家に引っこしてきたのが、こんなに可愛い子だったなんてね」


 制服を着た人たちの姿が、まばらに見える通学路を歩きながら、お兄さんが笑顔で言う。


「か、かわっ……そんなことあらへんって! ないですって!」


 ぱたぱたと手を振ってお兄さんの言葉を否定するけれど、お兄さんは「そうかなあ?」と笑うだけだった。


「小柄で元気いっぱいだし、話し方も可愛いと思うよ。あと、制服もよく似合ってる」

「そ、んなこと……」


 あんまりにほめられるものだから、照れてしまって、お兄さんの顔を見ていられない。

 思わずお兄さんからふいと目をそらした、その瞬間。


「四季さんから聞いてはいたけれど、まさか本当に会えるだなんて思わなかったな」


 ん?

 四季さん?

 お兄さんの言葉に違和感を覚えて、あたしは思わず「あのっ」と声を上げていた。


「何かな?」

「あの、四季さんって、ええと、じっちゃん――じゃなくて、おじいちゃん……大宮四季のこと? ですか?」

「うん、そうだよ」


 そう言って、にこにこ笑うお兄さん。

 なんで、じっちゃんのことを知っているんだろう?

 不思議に思って首をかしげていると、お兄さんが「そういえば」と言葉を続ける。


「自己紹介が遅れたね。僕は、松原まつばら陽希はるき。太陽の『陽』に、希望の『希』で、陽希だよ」

「へええ、陽希さんっていうんや!」


 陽希さん。

 陽希さんかあ。

 なんだか、名が体を表しているって感じかも。

 だって、笑顔がおひさまみたいにあったかくて、胸の中に希望がわき上がってくるようなまぶしさがあるんだもの。


「ちなみに陽希さん、じっちゃんとはどういうお付き合いで?」

「四季さんとは家が近くて、よく立ち話をするんだよ」

「そうなんや……そうなんですか」


 お兄さん……陽希さんの話を聞きながら、ふむふむとうなずく。

 じっちゃんの家は、あたしの家から通りを三つ挟んだところにある。

 その、じっちゃんのご近所さんっていうことは、確かにあたしの家からはほんの少し離れている。

 多分、引っこしのあいさつにも行っていないはずだから、あたしからすれば顔を見るのが初めてなのも、なんらおかしくはないことなのだ。

 あたしのものに比べて、ずいぶんと重たそうな通学鞄を持ち直して、陽希さんは続ける。


「君のことは、四季さんからよく聞いているよ」

「ほんまですか?」

「うん。お孫さんがたくさんいる中でも、一番小さいからか、甘やかしたくなっちゃうってね」

「あはは……確かに、めっちゃ甘やかされてはおりますけど。ほかにも、なんか言うてました?」


 あたしがたずねれば、お兄さんは少し考える素振りを見せたあと、じっちゃんがどんな話をしていたかを聞かせてくれた。


「よく猫探しの仕事を手伝ってくれるから、助かるって言ってたよ」

「えへへ。得意なんですよねえ、迷子の猫ちゃん寄せつけるんが」

「それから、見かけによらず頭の回転が速いから、将来はいい探偵になれるかもなって」

「ほんまに!?」

「うん。ああでも、勉強するのがちょっと苦手なのが心配だとも言っていたけれどね」

「じっちゃんったら……!」


 そんなことまで言わなくてもいいじゃん!

 真面目に先生の話を聞いたり、宿題したりするのは確かに苦手だけど!

 っていうか、陽希さんが自己紹介してくれたんだから、あたしもちゃんと、名前を言わないと。

 陽希さんの目をまっすぐ見つめて、あたしは胸を張って言った。


「えっと、申し遅れました! うちは大宮千春! 数字の『千』に、季節の『春』で、千春やで!」


 あたしが手を差し伸べれば、一瞬だけ陽希さんはきょとんとした顔をして、それから、嬉しそうににっこり笑って手を握ってくれた。


「千春ちゃん、だね。よろしく」

「うん! よろしくお願いします!」

「千の春で、千春ちゃんか。うん、いい名前だね」

「えへへ。そう? ですかね?」

「うん。とてもあたたかな名前だと思う。君の表情を見ていても思うけれど、色んな人に春を届けられるような……名が体を表しているような、そんな感じがするよ」


 わ、びっくり。

 あたしが陽希さんに思ったことを、陽希さんも思ってくれたなんて。

 なんだか、嬉しいな。


「へへっ、ありがとうございます!」


 ぴょこんとお辞儀をすれば、帽子ごしに、大きくて温かなものが触れる感触がする。

 少しだけ視線を上げると、陽希さんが、穏やかな笑顔であたしの頭をなでてくれていた。


「陽希さん?」

「あっ……ごめん。なんだか、妹ができたみたいで嬉しくって。僕、一人っ子だから」


 そう言って照れ臭そうに頭をかく陽希さん。

 その笑顔が可愛いくって、思わず笑い声が漏れてしまう。


「うふふっ」

「なんだよ。笑わなくてもいいだろ?」

「ごめんなさい。なんか、ちょっと可愛いなって思っちゃって」


 ちろりと舌を出してみせると、「もう」と軽く頭を小突かれた。

 全然痛くないのは、あくまでも照れ隠しのためで、力を加減してくれたからだろう。

 年上としての、ちょっと余裕があるかっこよさの中に、可愛いところがあって。

 初対面なのに優しくしてくれて、楽しくお話してくれて。

 本当に、お兄ちゃんができたみたいだ。


「うちでよかったら、なんぼでも妹扱いしてください! うちも、お兄ちゃんができたと思ったら嬉しいし!」


 だから、素直にそう言えば、陽希さんは少し目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。


「ありがとう。じゃあ、遠慮なくそうさせてもらおうかな」

「うん! どうぞどうぞ!」

「それじゃあ、敬語も使わないでもらえると嬉しいな」

「え? いいんですか?」

「だって、妹から敬語で話されたら、距離を感じちゃってさびしいからね」

「なるほど」

「それに君、敬語使うの苦手でしょ? ところどころ、しゃべり方が変になってたよ」


 うっ。ば、バレてたあ!

 ぎくりと顔を強張らせると、心底おかしそうに笑って、陽希さんは言った。


「だから、敬語はなし。わかった?」

「……分かった」

「陽希『さん』って呼ぶのも、できればなしがいいな」

「え? じゃあ、なんて呼べばええのん?」

「千春ちゃんが、年上のお兄さんやお姉さんを呼ぶのと同じように呼んでくれれば嬉しいな」


 お兄ちゃんやお姉ちゃんを呼ぶみたいに、かあ。

 それじゃあ――


「陽にい!」

「うん?」

「『陽希』だから、陽にい!」


 びしっ! と陽希さんを指さして言えば、彼は少し考えるように口元に手を添えた。

 どうしたのかなと思っていると、しきりに「陽にい、陽にい……」とつぶやいているのが聞こえてくる。


「も、もしかして、嫌やった?」


 おそるおそる聞いてみると、「まさか!」という返事と一緒に、陽希さんが嬉しそうな笑顔を浮かべる。


「『陽にい』か、いいね。気に入ったよ」

「ほんま? それじゃあ、これからは陽にいって呼んでいい?」

「うん。もちろん」


 やったあ!

 そのあたりをぴょんぴょん飛び跳ねて回りたくなるのをぐっとこらえて、あたしはガッツポーズをした。

 陽にい、陽にい。

 陽希さんって呼ぶよりも、ずっと距離が近く感じるよ。

 るんるん、鼻歌を歌いたくなるような気持ちでスキップをしたら、陽希さん……陽にいを追いこしてしまったから、あわてて足を止めた。


「千春ちゃん、ずいぶん嬉しそうだね」

「だって、ほんまにお兄ちゃんができたみたいなんやもん!」


 そんなの、嬉しいに決まってるよ。

 あたしに追いついた陽にいは、「そうか」と言って、なんだかまぶしそうに目を細めていた。


「それじゃあ、せっかくだから、僕も『千春ちゃん』以外の呼び方がしたいな。なんて呼べばいいかな?」

「はえっ? うーんと……」


 考えてもいなかったようなことをたずねられて、思わず唸ってしまう。

 前に住んでいたところでは普通に呼び捨てにされることが多かったし、変わり種としては「ちーちゃん」なんて呼んでくる子もいたっけ。

 そう伝えると、陽希さんは、もはや癖なのか、考え込むようにして口元に手を添える。

 それからたっぷり間を置いたあと、


「――ちい」


 ぽつりと、それだけをつぶやいた。


「えっ?」

「ほら、『ちい』って呼び方なんて、可愛くていいんじゃないかなあと思って」

「『ちい』かあ……」


 ちい。

 可愛いけど、可愛すぎて、なんだかペットのあだ名みたいじゃない?

 例えば、猫とか。


「だめかな? 僕としては、結構気に入ったんだけど」


 あたしが黙ってしまったのを気にしてか、少ししょんぼりした様子の陽にい。

 うっ。

 そ、そんな顔されたら、嫌だなんて言えないじゃん!


「ううん、嫌とちゃうで! ただ、可愛すぎて、似合うかなあって思っただけで」

「似合うよ。じゃなきゃ、そんなふうに呼びたいって思わない」


 その言葉に、完全にとどめを刺された。

 大真面目な顔で言われて、ちょっとドキドキしちゃったんだもん。


「分かった。じゃあ、うちのことは『ちい』って呼んで!」

「ありがとう。それじゃあ、改めてよろしくね。ちい」


 陽にいは大きな手をスッと差し伸べて、優しく笑う。

 抜けるような青空によく映える、おひさまのように温かくて、まぶしい笑顔。


「うん! こちらこそ、よろしくね! 陽にい!」


 あたしは迷わずその手を取って、握り返す。

 そうしてもう一度握手をしたあと、なんとなくその手をつなぎなおして、あたしたちはそのまま二中へと向かった。




「はい、到着。ここが二中だよ」


 8時28分。

 時間ギリギリではあるけれど、なんとか二中に到着できた。


「ここまで連れてきてくれてありがとうね、陽にい」

「どういたしまして。僕がここの生徒だったら、中も案内できたんだけど」

「大丈夫! こっからは先生にも案内してもらうし!」


 校門のほうに駆けだして、陽にいのほうを振り返る。


「それじゃあね、陽にい!」

「うん。よかったら、明日も一緒に登校する?」

「わ、嬉しい! 陽にいさえよかったら、そうしたいな!」

「じゃあ、また明日だね」

「うん!」


 やったあ。まだ朝なのに、さっそく明日の楽しみができちゃった。

 ゆるむほおを押さえながら、陽にいに手を振って、学校の敷地内に入っていった。

 陽にいが見守ってくれているであろう、温かな視線を、背中に感じる。


「ちい!」


 ふいに、陽にいがあたしを呼び止める。

 どうしたんだろうと思って振り返れば、穏やかに笑った陽にいが手を振った。


「行ってらっしゃい」


 一言。

 毎日、家族と言い合うような、何気ない一言。

 でも、そのたった一言が、まるで大好きな曲のメロディーみたいに、あたしの胸をおどらせた。


「行ってきます!」


 陽にいに大きく手を振り返して、今度こそ、校舎に向かって走っていく。

 おひさまのように温かな笑顔が、ずっと、あたしの頭の中に焼き付いて離れない。

 新学期、転校初日。

 なんだか、とってもいい日になりそうな予感!

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