第3章 お日様笑顔の、お兄さん

おひさま笑顔の王子様?

 新品の制服に身を包んで、ニーハイソックスのつま先でくるりと踊ってみせる。

 茶色いえりに白の身ごろ、茶色いスカートという珍しい色合いのセーラー服は、漫画やアニメに出てきそうなほどに可愛い。


「ふんふんふふーん♪」


 適当な鼻歌を歌いながら前髪を整えて、お気に入りの猫耳帽子を被れば、準備完了!

 時計を見れば、まだ学校に行く時間までには余裕がある。

 いつもは寝坊して、朝ごはんのパンをくわえながら家を出ていく始末だったけれど、今日は奇跡的に、しっかり早起きできた。

 上出来だ。

 そう思いながら、姿見の前でるんるんと小おどりしていた時だった。


「千春ー? あんた何のんびりしとるん、早く学校行きなさいよ」


 お母さんが、ノックもせずに部屋に入ってきたのは。


「大丈夫やって! まだ8時にもなってへんやん」


 あたしがそう言うと、お母さんはあきれたように肩をすくめた。


「その時計、壊れてたやないの。下の時計見てみ、もう8時過ぎとるで」

「えっ?」


 お母さんに言われて、あたしはあわてて1階のダイニングに降りた。

 時計を見る。

 今は8時12分。

 家を出ないといけないデッドラインまで、あと5分もない。

 っていうことは、急がないと……


「遅刻やー!」


 大変な事実に叫んでしまったあたしは、大急ぎで部屋を飛び出すのだった。




「やばいやばいやばい、遅れる~!」


 ロールパンをくわえながら、もたもたとローファーを履く。

 転校初日から遅刻なんて、恥ずかしすぎるよ、嫌すぎるよ!


「い、行ってきまーす!」

「ちゃんと前見て歩きなさいよー?」

「はあい!」


 閉まっていくドアの向こうにいるお母さんに、手を振る。

 そうして、半分後ろを向いたまま家を出た――それが、いけなかったんだろう。


「っうわ!?」


 コンクリートのちょっとしたへこみに、かかとが引っかかってしまった。

 バランスも取れないまま、体が後ろに傾いていく。

 ……倒れちゃう!

 そう思って、ぎゅっと目をつむった、その時だった。


「おっと」


 ぽすん、という優しい衝撃とともに、聞き慣れない声がする。

 痛くない。帽子はちょっとずれちゃったけど。

 びっくりしておそるおそる目を開けて、後ろをふりかえる。

 そこには、あたしの背中を支えたままほっと息を吐く、見慣れない男の人の姿があった。


「危なかったね、大丈夫?」


 そうたずねてくる声は、聞き慣れないけれど聞き心地のいい響きを持ったテノール。

 あたしの髪の色によく似た短い茶髪が、きらきらと光る。

 おひさまのような、温かな優しい笑顔に、思わずどきりと胸が高鳴った。


「……大丈夫?」


 もう一度、今度はどこか不思議そうにというか、不安そうに声をかけてくる男の人。

 はっ、いけないいけない。

 ずっともたれかかっていたら、重たいよね。

 慌ててぴょこんっと体を起こして、男の人に体ごと向き直った。


「大丈夫です! えっと、ありがとう……ございます!」

「どういたしまして。怪我がなくてよかった」


 あたしがお辞儀をすると、男の人は目を細めてまた笑った。

 そこであたしは、初めて、その人の全身をちゃんと見たのだった。


 あたしの学校とは別の制服に、足元のぴかぴかのローファーがよく映える。

 身長はかなり高い――170センチくらいはありそう。

 脚がすらっと長くて、着ているものがスーツだったらサラリーマンと勘違いしてしまいそう。そのくらい、その人の見た目は大人びていた。


 わああ……

 すっごく、かっこいい。

 高校生、だよね?

 ご近所さん、にしては顔を見るのは初めてだけれど……


 そうして、あたしがあんまりにもじいっと見つめていたからだろう。

 不思議そうにしていた男の人は、逆にあたしのことを頭のてっぺんから靴のつま先までさっと見わたしてきた。

 それから、「ところで」と口を開いたんだ。


「もしかして君、学校は二中?」

 二中、という聞き慣れない言葉に、思わず首を傾げる。

 けれど、すぐに思い至ることがあって、あっと声を上げた。


宮ノ代みやのしろ第二中学のこと? ですか?」

「うん、そうそう。今から登校するところなのかなと思って」

「うん! そうやで……です!」


 にっこり笑うお兄さんに、下手くそな敬語で答える。

 ううう、さっきまでお母さんとおしゃべりしていたから、とっさに敬語が出てこないのが恥ずかしい。

 それでもお兄さんは、馬鹿にしたり注意したりすることはなく、ただ「そっか」と笑ってうなずいてくれる。

 その優しさがうれしいような、むしろ恥ずかしいような、よく分からない気持ちになって、かあっと、ほおに熱が集まっていくのが分かった。

 一方、お兄さんはそんなあたしの内心には全く気付く様子はない。

 少しの間何かを考え込むように目を伏せた後、名案を思いついたというように表情を明るくした。


「君、引っこしてきたばかりだよね。よかったら、二中まで案内するけど、どうかな?」


 そう言って、手をさしのべてくるお兄さん。

 え、ええええ?

 そりゃあ、まだ学校までの道のりを覚えきれている自信はないし、一緒に行ってくれるっていうのはありがたいけれど……


「え、ええのん? じゃなくて、いいんですか? お兄さん、学校遅れへん? 遅れません?」

「いいよ。始業まではまだ余裕があるからね」


 そう言って、お兄さんは腕時計を確認したあと、あたしにも見せてくれる。

 表示されている時刻は、8時15分を過ぎたところ。

 そっか、中学と高校じゃ始業時刻が違うのかな。


「えっと、じゃあ、お願いしてもええ? ですか?」

「もちろん。それじゃあ、行こうか」


 そうして、お兄さんはあたしを先導するように歩き始めた。

 うわあ、うわあ。

 こんなにかっこいい人と一緒に歩くの、緊張しちゃうなあ。

 そんなふうに思いながら、あたしはお兄さんの少し後ろを歩き始めた。

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