第5話 罪悪感
真っ黒なダウンにスカート、グレーのセーターに赤いマフラー。肩までかかった真っ黒な髪、小さな顔にバランスよく配置された一重瞼の目と小さな鼻。全体的にシンプルな装いと顔立ちをした彼女は、久しぶりに会う彼氏との待ち合わせに向かっていた。昨日遅くまで起きて焼いたガトーショコラを小さなピンクの紙袋に入れて大切そうに運ぶ。化粧はいつもより時間をかけて念入りに施し、髪も丁寧に巻いた。電車の窓に映る自分の姿を見つめ、時折前髪を直す。
桜木町駅で降りた彼女は溢れる人混みに流されるように改札へと向かう。改札を出た所で待っているはずの彼氏の姿を探すがなかなか見当たらない。スマートフォンを取り出し、『了解、もう着いてるから改札前で』
と最後に来たメールに返信をする。
『着いたよ!どの辺にいる?』
そのまま少しの間トーク画面を開いていたが既読になる気配が無く、辺りを見渡してもそれらしき人物が見当たらないため、通話ボタンを押す。しばらくコール音が鳴ったあと、聞き慣れた声がスマートフォンの奥からした。
「着いた?」
「うん、今どこにいるの?」
「ごめんごめん、駅の近くのスタバ」
「あ、そうだったの!今からそっち行くね」
「言ってたより10分くらい早くない?うん、待ってる」
「乗り換えうまく行っちゃったのかな?ごめん」
「じゃあ」
彼女はスマートフォンを持ったまま両手をダウンのポケットに入れ、駅を出て右手の信号を渡った所にある商業施設内のスタバに向かった。その道中、やたら髪の毛をセットした女性やスーツ姿の男性が多いことに気づいた。自分はまだ先と思いながらも花嫁姿を思い浮かべて少しにやける。
商業施設に着いてから再びスマートフォンを取り出し、ラインの通話モードで相手を呼び出す。
「出てきてー」
「もう出てるよー」
「え?!どこにいる?」
「店の前」
「入口2個あったけ?」
「ん?今どこにいる?」
「スタバの入口」
「それはわかってる、施設名」
「え?クロスゲートじゃなくて?」
「あー、そっち行っちゃったかごめん。なんか遅いなと思ったわ」
「え?他にスタバあった?」
「うん、駅出てすぐのとこに。」
「え!気づかなかったごめん!そっち行く!」
「いいよ、俺もう向かってるからそこいて!」
「わかった...」
彼は彼女が待つもう一つのスタバへと向かうが、足取りは心なしか重いように感じられる。店を間違えてくれてよかったとさえ思ったほどだ。今思えば、自分から顔を合わせる覚悟を決める前に、突然目の前に現れたらどんな顔をしたら良かったのか、そればかり考えている。信号が青になった時、拳に力を入れて深くため息をつく。遅かれ早かれ今日は彼女の前に姿を現さなければならないのだからと腹をくくり、力強い足取りへ前へ進む。
彼女はスタバの外に置かれた木製のテーブルのイスに、こちらを背にして座っていた。テーブルの上に誕生日の際プレゼントした茶色いバッグと、可愛らしいピンクの紙袋が置いてあるのを見つけて胸の奥がズキンと痛んだ。
「・・・み、・・・みほ!」
若干言葉に詰まったが、その声は届き、彼女はパッと後ろを振り返ると、その姿を捉えて笑顔になった。
「ゆうや、久しぶり!元気にしてた?」
「まあまあ、みほこそ公務員試験の勉強は順調?」
「うん、でも今日はそんなこと忘れるんだ。はい、これ、バレンタインのお菓子」
彼女はぎこちなくピンクの紙袋を差し出す。
「ありがとう。」
思ったより反応の薄い彼に少し納得いかないような表情を見せ、立ち上がる。
「行こう」
自分から彼の腕をつかみ、グイッと引き寄せる。
「うん」
ゆうやと呼ばれた彼の背中は先程より一層頼りなく見え、心の中の葛藤や感情が整理できず、それが現れている。
1年前の今日、赤レンガでデートをした帰りの電車に向かう途中、みほと呼ばれた彼女がゆうやと呼ばれた彼にバレンタインのチョコレートを渡し、2人の交際はスタートした。今日は付き合って初めの記念日であり、かつここ桜木町駅で約1ヶ月振りの再会という2人の熱を灼熱の炎のように燃え上がらせるには申し分ないステージが整っている。にも関わらず、バレンタインの手作りチーズケーキになんのコメントも言わず、どこか心ここに在らずな上辺の回答しかしてこない彼に、彼女は少し不満を抱いた。しかしそれを心の奥にグッとしまい込み、久々の再会を喜び、今日という日に幸せを感じようとしている。一方の彼は、彼女への好意が離れていることを実感するとともに、自分のしてしまった裏切り行為に対する罪悪感で彼女の顔をまともに見れないでいる。
「みほごめん、ちょっとトイレ行きたいわ」
「あ、わたしも行く」
彼はコーヒーのせいで働いた利尿作用による尿意を放つため、個室に入る。立小便ではスマートフォンをいじることができないためである。便器に座りながらダウンのポケットに入っているスマートフォンを取り出し、あいはら さとみ という人物のラインのトーク画面を開く。昨晩送ったメッセージはまだ既読になっておらず、胸がざわつくのを感じる。
しばらく個室でスマートフォンをいじった後トイレを出ると、彼女がベンチに座って待っていた。彼はこの時、自分が何をしたくてどうすべきなのか、まだわからなかった。
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