第14話 失踪

「何度も言うけど、本当にいいのか」

 健斗がしつこく確認してくる。

「忘れてねえよな。米本シートの提出期限、今日の五時だからな?」

「余裕だって。もう書き上がってるし」

 今の心境からすると大いに不満の残る内容ではある。多分に後ろ向きで悲観的な意見と感想だった。だけどまあいいさ。あれを書いたときにはああいう気持ちだったんだから。

 時刻はまだ午後一時半。僕は健斗にもう少し南の方までバイクを走らせてもらった。

 マリンパーク御前崎を訪れるのは初めてだった。風力発電用の風車が一機そびえ立っていた。間近に仰ぐと身構えずにはいられない重量感だ。

 等間隔に並んだ椰子の木たちに誘われるように海へ。波打ち際に視線を走らせてみても、緩やかにカーブした渚には、時季が早いせいか人っ子一人いなかった。

「青い! すげえ青い!」

 仰け反った健斗が海も空も丸ごと抱えるように大きく腕を広げた。

「ああ! マジで気持ちいい。広い所に出てきたからだな、これ。俺って単純。単純で良かった」

 言うほど単純でもないくせに、と僕は幼馴染の口振りを白々しく感じる。

 思いやり深い性格の持ち主にだって、それゆえの悩みや苦しみがきっとある。健斗が自分の辛さを底の底まで僕に打ち明けてくれる日は来るだろうか。打ち明けてもらえる僕に、いつかなれるだろうか。思うさま伸びをする健斗の姿と穏やかな初夏の海を写真に収めた。良い一枚が撮れた、と素直に感じた。こういう撮影も悪くない。単純なのは僕の方だ。

 寄せては返す波で濃く淡く色を変えるみぎわを、ファインダー越しに覗いていたときだった。健斗の方から着信音が聞こえた。

「はい。はい、そうです。お疲れ様です。……え、大雅が?」

 頓狂な声に思わず振り返った。

 健斗が慌てた様子で僕に手招きをする。

「いやいやいや、まさか。いや本当です。内海とは今一緒にいるんで」

 大雅がどうしたというのだろう。健斗の目は真剣だ。

 引潮の時間が来たかのように、今までの良い気分が音もなく薄れていく。

「はい。はい、分かりました。すぐに」

 通話を切った健斗がきつく眉を寄せた。

「大雅がまたいなくなった」

 たった二、三時間姿が見えないだけで『行方不明』だなんて大袈裟だ。小学二年生にだって自分の都合や友だち付き合いというものがあるだろう。

 僕のそんな考えは阿部さんの仏頂面を前に消え去った。

「智子さん……、大雅のお母さんから電話があって、息子と連絡が取れないって。あの子がどこ行ったか、アンタら本当に知らないんだね」

「隠す理由ないです。親父さんの方に連絡は?」

 答えた健斗が尋ね返す。

「もしかしたら、こっそり会ってるかもしれないでしょう」

「いいや。行ってなかった。そっちにも確認は取ってみたんだよ。私からね」

「施設長から?」

 ああ、と阿部さんは唸るように応える。

「向こうに行くはずはない、自分からは絶対に電話したくないって、智子さん泣くもんだからさ。不倫相手の方に走った元旦那のこと、あの人、かなり恨んでるからね」

 他所の家庭の暗い内実に室内が一瞬静まり返った。

「警察に電話、ですかねえ」

 職員さんの一人がぼそりと言う。舌打ちした阿部さんが無造作に頭を掻いた。

「仕方ないね。何かあってからじゃ遅いし。こんだけあちこち連絡取って見つからない上、本人のスマホにも繋がらないんじゃねえ」

 

 あ、と思わず声が出た。阿部さんの目つきが変わった。

「内海、アンタ何か知ってるのかい?」

「少し、時間ください。もし見つけたらすぐに連絡します」

 目配せすると、健斗は黙ったまま一緒に来てくれた。

 児童館を出るなり速攻でバイクに跨がった。

「あの廃工場かもしれない」

「バカ。お前あんな場所のこと教えたのか」

 確かにバカだった。『バスで大曲おおまがりまで』とアクセスルートまで話した。いつも現物を見ながら絵を描く子だ。考えるほどに確信が強まっていく。大雅はあの廃工場へ向かったのに違いない。

 健斗は後ろの僕を振り落としかねない勢いでバイクを走らせた。車線なんてあってないようなものだった。午後の渋滞も関係ない。車間を縫って凄まじい速さで国道を北へ。廃工場を見下ろすカーブに辿り着くまで十五分しかかからなかった。

 そのまま例の悪路へと乗り入れた。森にエンジン音が響き渡る。上り坂の途中、ただでさえ凸凹の激しい道に意地悪く盛り上がった木の根がタイヤをスリップさせた。

バランスが崩れた。二人して片足で踏ん張ったけれど、結局、車体の重さに負けた。飛び退いた僕たちの前でバイクが横倒しになった。

「走って行け」

 健斗がこちらを見もせずに言った。

「起こしたらすぐ追いかける」

 僕は頷いて駆け出した。

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