第13話 父性

 翌日、気分転換した方が良いという健斗の言葉に僕は諾々と従った。

 ヘルメットを宛がわれてバイクの後ろに跨がり、落ちないようにグラブバーを握った。振り向いた健斗がメット越しに笑った。

「また次のコンテストがあるさ。な?」

 ふと、健斗の親父さんの趣味もバイクであることを思い出した。息子の十六歳の誕生日に普通二輪免許講習をプレゼントするような人だ。行楽シーズンにはツーリング仲間と遠征する。健斗と僕も、小さい頃は一緒にあちこち連れて行ってもらったものだ。

 健斗はきっと僕よりもずっと頻繁に小旅行を楽しんできたことだろう。悩みを抱えて塞ぎ込んでいるとき、哀しい出来事に気落ちしているとき、健斗の親父さんはこうして息子を外へと連れ出したのかもしれない。健斗の背中を見ているとそう感じられた。この面倒見の良い友人は多分、僕に対して、自分が父親にしてもらったように振る舞っている。何だかそれは、とても自然で喜ばしい、歓迎するべきまともなことだ。

 僕はといえばどうだろう。あくまでも自分はまともだと言いたいならば、満足に与えられなかった『父性』の価値を徹底的に貶めてやるほかない。そんなものは最初から必要なかったと胸を張るしかない。それが同じ男性である自分自身の首を絞める主張だと分かりきっていても。

 松田荘の前を出発して住宅地を抜けた僕たちは、国道を真っ直ぐ南へ向かった。道一杯にひしめく車たちの間を二人乗りのバイクですり抜けていく。

 遠く海を望む道路公園で一息入れたとき、どうしても部屋に置いては来れなかったカメラを景色に向けてみた。町と海と空にグリッドラインを宛がって三分割構図の配置を探す。

「いいのかよ撮って。廃墟じゃねえけど?」

 皮肉っぽく笑う健斗を横目で睨みつけてやった。

「何を撮るかは自分で決める」

「もう止めとけば? 写真」

 あっけらかんとした、冗談めかした言い方だったけれど、健斗の声には決定的な一言を発したという気配があった。

「じゃなかったら、こうして息抜きのためだけにしとけば? 就職できなくなるぜ。勉強そっちのけで趣味にのめり込んでたら」

「好きで入った大学じゃない」

「またそれかよ。いつまでそれだよ」

 その言い方と表情にカチンときた。

 カメラを下ろして健斗と向かい合った。

「悪かったな。地に足が着いてなくて。このままじゃダメだって、言われなくたって分かってるよ。知ってるよ。そんな幼馴染を隣に置いて健斗が満足してることも」

「はあ?」

「哀れんでるんだろ? 僕と自分とを比べて悦に入ってるんだろう。お見通しだよ」

 湧き上がるどす黒い感情を湧き上がったそばからぶつけまくる。

 健斗は、言い返そうとするでもなくただ聞いていた。すぐには否定しないところに僕はいよいよ腹を立てた。どぎつい言葉でまくし立てた。いい加減吐き尽くしてようやく口を閉じると、健斗がそれはそれは深い溜息をついた。

「俊介が自意識過剰で劣等感もすげえ奴なのは知ってたけど、ここまでとは」

 苦笑交じりに話し出した。怒った様子など少しもない。

「……まあ正直、お互いを比較する気持ち? 俊介には負けたくない、みたいな思いは昔からあったさ。けどそれは俊介だって同じだろ? 『両親揃った奴に、それでも自分は負けない』って気概。そういう強い感情は俊介の原動力の一つだ。違うか?」

 否定はできなかった。

「何気に努力家だもんな、お前。だから、負けたくない俺は余計に必死にならなきゃいけなかった。勉強も人付き合いも、何もかも。俊介が志望校に落ちたときには、情けないけど、俺はちょっと喜んだよ。上のランクの学校に行かれずに済むって」

「最低だな」

「本当だな。自分のこんなところが俺も嫌だ。でも仕方ない。このろくでもない性格と、それでも折り合いを付けていかないと。いつだったか開き直ったわけよ俺は。俊介にどう思われたって、両親が健在なのは俺のせいじゃない。気兼ねする必要ない。俺から見ればずっと餓鬼っぽい俊介に、どんなことだろうと負けたくない」

「餓鬼っぽいってどこが」

「世間知らずのくせにすぐ世界がどうとか現実がどうとか言い出すだろ。そういうとこ。何つーかこう、剥き出しなんだよな、俊介は色々と。見てて恥ずかしいくらい。中二病?」

「おい」

 ここぞとばかりに言いたい放題の健斗を前にして、僕の気持ちはなぜだか次第に落ち着いていった。健斗が、昔から変わらない不敵な笑みを浮かべた。

「だいたい利香さんに『俊のことよろしくね』って何度も言われてなきゃ、もうとっくの昔に幼馴染の縁を切ってたからな」

「姉ちゃんが? いつそんなこと」

「いつっていうか、何かあるたびに。最近だと入学前に。『健ちゃん、俊をよろしくね』。そういうとき、ああ、利香さんは俊介の姉ちゃんであって俺のじゃないんだな、って切なく思うわけ」

「へええ」

「へええ、じゃねえよこのバカ。もうちょっと利香さんに感謝しろよ」

 健斗の『バカ』には欠片ほどの遠慮もなかった。

「本当、昔からだよな。そういうハピネスに気付けない。ウジウジ一人で暗いとこばっか見てるせいだ。自業自得だ」

「そういうハピネスってどういう?」

「どういうってそりゃ、あれだ、どっかで誰かに助けられてるとか、心配してもらってるとか、想われてるとか、そういうのだよ。『絆』だよ梅村先輩言うところの」

 どうして分かんねえんだよ、と健斗は、半分は照れ隠しだろう、ヘルメットを思い切り投げつけてきた。

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