第12話 落胆

 管理人室から部屋に戻ると、自分で撮った写真の冷たさが僕を包んだ。

 どちらを向いても荒れ果てた景色。モノクロの廃墟、廃屋、廃工場。

 松田さんのアルバムを見ていたときのほっこりした感じは消えて、代わりに強い敗北感と劣等感がやってきた。

 風景写真より人物写真の方が優れているなんてことはない。そう僕の中の僕が叫ぶ。寒々しい景色ばかり撮っているからって卑屈になる必要はどこにもない。そうとも。分かっている。分かっているはずなのに――。

 堪らずベッドに倒れ込んだ。うつ伏せのまま深呼吸を繰り返すと、熱を持ったようだった頭が少しずつ冷めていった。

「当てられただけだ」

 声に出したら気持ちが楽になった。

 松田さんが四十数年をかけて培ってきた『人との繋がり』に圧倒されてしまっただけだ。羨ましいなら同じように人物を撮ればいいさ。そう考えて自分を慰めてみる。健斗や学部の知り合いたちに声をかけて、何枚でも撮らせてもらえばいい。コミュニケーション能力に難ありの自覚があるからといって気軽に言葉を交わす相手が皆無なわけじゃないのだから。もちろん、仕上がってきた写真が自分をさっきと同じ優しい気持ちにしてくれる保証はないけれど。

 胸の中が落ち着くと、かえって敵愾心てきがいしんが頭をもたげてきた。繋がりが何だっていうんだ。そんなはかなげなもの。僕が写真に収めているのは厳然たる『世界の真理』だぞ。

 あらゆるものは意味もなく生まれるんだ。そして意味もなく滅びるんだ。朽ちた建造物はその象徴だ。さして遠くない未来の、人類の営みがすっかり絶えた世界を覆い尽くすだろう、既にして約束された光景なんだ。誰も彼もそんな世界の本当の姿から目を背けている。上辺だけの生温い関係を、そうと知りながら取り結んで、『満ち足りた世界』という幻想に仲良くしがみついている。

 僕の写真はそんな奴らに現実を突きつける。本当の姿を見ろよ。あんたらが共有する現実よりももっとずっと現実な、繋がりも温もりもあったもんじゃない、僕がカメラで切り取った本当の世界を見ろよ。

 ――だけど、と染みだらけの低い天井を見上げてまた思う。そのセカイノシンリとやらを、僕は一体どうしたいんだろう。自分の目を通して見た世界の一部分、退廃的で救がないと感じた景色を写真に収めて、誰に何を訴えたいんだろう。

 ああ分かる分かる、と共感を得られればそれで満足か? 君の写真に目を開かされたよ、なんて言葉をかけてほしいだけなのか? それとも、お前は間違っているぞ、本当はこうなんだぞ、と誰かに正してもらいたいのか?

 終わってなんかない、と呟く大雅を思い出した。僕も昔はあんなふうじゃなかっただろうか。手放しに信じる綺麗な世界があって、達観や諦念とはまるっきり無縁で。

一体いつから変わってしまったんだろう。

 中学生の頃に賞を貰って、たくさん褒められて、夢中になって。漠然と、自分はこれから一生カメラ片手に生きていくのだと思っていた。写真で食べていくことになると考えて疑いもしなかった。

 どうしてそんなふうに思えていたのか、今の僕にはもう分からなかった。根拠のない自信の泉が枯れてしまった。あんなにも渾々と湧き出していたのに。

 健斗といい松田さんといい、僕と違って地に足の着いた生き方をしているように見える。家族以外の誰かと強い結び付きを持って、それを大事にしながら毎日を過ごしている。二人と比べて自分は何て子供っぽいのだろう。そう思った瞬間、いつか見た父親らしき人物の姿が頭をよぎった。

 僕もああなってしまうのかもしれない。未熟な内面がそのまま滲み出たような外見。我が子さえも捨てる、独りよがりの甲斐性なし。

 人に迷惑をかけない範囲でなら、そんな生き方も個人の自由だとは思う。けど、いつか姉ちゃんの元にでも届いてしまったらどうする? 扶養可能かどうか尋ねる、あの情けない上にも情けない確認書が。

 いつの間にか夕暮れ近かった。空腹だけど食堂の晩ご飯を食べに行きたくない。ろくに話をしたこともない、他の部屋の連中と顔を合わせたくない。

 それからさらに二時間をベッドの上でぼんやり過ごした。

 すっかり暗くなった部屋の中、ほとんど惰性でスマホのブラウザアプリを起動した。例のアマチュア写真家のサイトに新しい情報があった。コンテストの受賞者全員にメールで同時送付される通知書の画像が、喜びと感謝のコメント付きでアップされていた。どれだけ確認してみても、僕にメールは届いていなかった。

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