第10話 撮影
僕は時々、あるアマチュア写真家のサイトにアクセスする。彼は風景をメインに撮っていて、フォトコンテストでの受賞経験も何度となくある実力者だ。
この人の撮る写真は全体的に静かで物悲しい。それでいて不思議と温かい。覚悟ある諦め、前向きな逃避、喜ばしい死――。言葉にするのが難しいけれど、そういった一種のアンビヴァレンスを巧みに表現していると強く感じる。
久し振りにサイトを訪れてみると、お手本にしたいような写真がまた何枚も新しくアップされていた。それらの写真に対して写真家仲間からの温かいコメントがいくつも寄せられていた。
中には『はじめまして』のコメントもあった。僕にはそんなふうに飛び込んでいくことがなかなかできない。遠くから眺める開かれた輪は、僕には閉じられているに等しい。サイトを閉じてベッドに横になった。
コンテストの結果発表を来月に控えて、受賞者にはもうそろそろ内定の通知が届く頃だ。大丈夫と自分に言い聞かせた。僕が送った作品はきっと他のどれよりも優れていた。見過ごすことのできない組写真に仕上がっていた。あれこれ心配してないで、次に何をどう撮るか構想を練ろう、なんて考えていたらスマホに着信があった。跳ね起きた。画面を見た途端に力が抜けた。姉ちゃんだ。
「もしもし」
『今、いい?』
「何」
『……声が冷たいんだけど』
「別に。仕事は」
『休んだ』
どうやら姉ちゃんは飲んでいるらしい。真っ昼間だけれど、口調からしてまず間違いない。さては、と思った。僕は先回りして例の話題を持ち出した。
「あの確認書、もう提出した?」
『ほいほい出せないよこんなのぉ!』
堪らずスマホを耳から離した。割れた涙声。大荒れだ。
『相談に乗ってやれってお母さんに言われたくせにアンタちっとも連絡してこないんだもん! 日曜からこっち私がどんだけイライラしてたか分かる? ねえ分かる?』
「分かるかよ」
実際、姉ちゃんがこうまで悩んでいるとは思わなかった。援助はしない。そう回答すると宣言したじゃないか。母さんに熟考しろと言われたせいでえらく戸惑っていたようではあったけれども。
思ったままを言うと、素直に聞いていた姉ちゃんは鼻を啜った。
電話越しの溜息はひどく震えていた。
『……援助はしない。できないよ、やっぱり』
「それでいいと思うけど」
『親不孝だね、私』
「深く考え過ぎだって」
『何ていうかさ、親に捨てられた子はセーフでも、親を捨てた子はアウトじゃない? なりたくなくない?』
「どっちもアウトだよ、そんなの」
沈黙があった。随分経ってから、もういい、と小さく聞こえて通話は切れた。
僕はスマホを放ってラグに寝そべった。
いつだってこうだ。僕たち姉弟は。当たり前に両親が揃った家庭ならまず話題にならないだろうことで思い悩んでいる。
陰鬱な気持ちを持て余していると、誰かが部屋のドアを叩いた。健斗の軽快なノックではなかった。はい、と応えると松田さんの、少し嗄れているけれど柔らかい声がくぐもって聞こえた。
「内海さん宛に何か届きましたよ」
届いたのはコンテスト受賞者に送付される内定通知――、ではなくて、けっこうな重さのダンボール箱だった。
実家からだ。送り状の品名欄に『食品』とある。まさかと思って開封すると、案の定だった。中身はタケノコ。
松田さんが細い目を見開いた。
「あらまあ! こんなにたくさん!」
母さん直筆の端的なメモが添えられていた。裏の林のタケノコの旬は少し遅れてやってくる。いっぱい獲れたから送ります。
すべて食堂で使ってほしいと僕が言うと、あらいいの? と松田さんは気の毒そうに眉を寄せた。
「本当に全部? あの子、健斗くんには?」
「あいつはタケノコ食わないんで」
「そう、だったら遠慮なく。ありがとう」
ほくほく顔の松田さんは十も二十も若返って見えた。僕は彼女がうっすらとだけれど化粧をしていることに気付いた。土のついたタケノコを取っ換え引っ換えしながら楽しげだ。
「タケノコ尽し、楽しみにしていてね」
「はあ」
「そうだ。記念撮影をしないと」
「え?」
いそいそと食堂を出て行ったかと思うと、松田さんは三脚と高そうな一眼レフカメラを持ってきた。僕は思わず目を瞬いた。
「カメラ持ってたんスか?」
「死んだ主人の持ち物なんだけどね」
松田さんはてきぱきと撮影の支度をする。やけに手際が良かった。
「こんなふうに店子さんからお裾分けをいただくことが、昔は特に多かったの。そういうときは必ず写真に収めているわけ。内海さん、ちょっと手伝って。箱をテーブルの中央に寄せてもらえる?」
撮影スタッフさながら、僕は松田さんに言われるまま立ち働いた。ファインダーを覗く彼女の指示に従って箱の位置を調整する。
「そこで止めて。タケノコがよく見えるように箱を傾けましょう。電話帳か何か下に敷いて……。そうそう。はいそこでストップ。内海さんはそのまま左側に立っててね」
「え! 僕も写るんスか」
「動かない! 私は右側に行きますからね。いい? 撮りますよ」
有無を言わさず松田さんがタイマーを作動させる。
赤い点滅が次第に早くなって音高くシャッターが切られた。くたびれたジャージ姿で出てきたことを後悔する僕の心も知らず、これでよし、と松田さんはご機嫌だ。
「そうだ、新しいアルバムを買ってこないと。記念すべき三十冊目、最初の一枚は内海さんとのツーショットね」
三十冊目!
「そんなにいっぱいあるんスか?」
「そりゃあ何十年分だもの。少ないくらいじゃない? よかったら見てみる?」
お茶と最中はあっさり断れても、アルバム鑑賞は断れない僕だった。
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