第6話 大雅
鳴川学童クラブでは、やってきた子供たちにまず宿題に取り組んでもらう。十六時になったら揃っておやつタイム。その後は十九時の閉所まで自由時間。要請があれば二十時まで延長。これが基本的な流れだ。
送迎はなし。ピアノなんかのお稽古事もなし。児童の自主性を尊重するという大義名分の元、ずっとこうして放任主義を貫いているらしい。
放っておいていいグループは世話が楽だ。丸テーブルに集まって雑談しながら絵を描くいつものメンバーや、流しっぱなしのアニメDVDに見入っている大人しい子たち。彼らのことは阿部施設長に次いで年嵩な職員さんが面倒を看る。
ちょっと厄介なのは外遊びに興じる活発な連中。ときにはボール遊びに付き合わされたりすることもあるので、体力が必要なこちらは自ずと僕や健斗の担当になる。
一番困るのは、一人で勝手にフラフラしがちな、何を考えているのかさっぱり分からない、たまにルールを破って施設の外に出たりすることさえある超マイペース君。
今日も今日とて職員さんから指示を受けた僕はその子の姿を捜し回った。おやつが済むと、まるで初めから来ていなかったみたいに姿を消す。油断も隙もない。
施設の裏に回ってみると、並んだプロパンガスのボンベの陰から膝頭が覗いていた。
「こら
僕の声に、大雅はスケッチブックからちらりと目を上げた。
さらさらした髪に長い睫毛。華奢で青白いところが白アスパラを思わせる小学二年生だ。鉛筆を、尖らせた芯を上にして摘むように持っていた。
「遊戯室で淳たちが
「……だから?」
「楽しそうだった。混ぜてもらえばいいのに」
「別にいい」
「今日は何描いてるんだ?」
大雅はスケッチブックを胸に抱えて僕の目から隠してしまった。気難しいこの子に作品をすんなり見せてもらえるのは職員の中でも阿部さんだけ。腕前は六年生と比べても遜色ないレベルなのだとか。
「お父さんとお母さん離婚したって?」
無遠慮な問いかけに、一瞬、大きな瞳が見開かれた。
ややあって、小さく頷いた大雅の隣に腰を下ろす。
今日もミーティングで『不用意に触れないように』という連絡があったけれど、僕には大雅のことを放ってなんかいられなかった。自分の経験から導き出せる何かでもってアドバイスをしてやりたい。
「今はお母さんと二人で住んでるんだっけ。お手伝いとか、ちゃんとしてるか?」
母子家庭なのは自分も同じであること、気の強い姉と二人姉弟であることなどを、僕は大雅に打ち明けた。あえて軽薄な調子で、いかにも取るに足らないことだというように。
自他共に認めるコミュ障の僕だけれど、歳の離れた子供とならこうしてスラスラ話せるから不思議だ。
「離婚なんてよくあることだし、片親どころか、両親がいない子供だっている。大雅一人じゃない。あんまり気にするなよ。な?」
そっと頭を撫でてやった。つやつやした髪の温かい手触り。
「大雅が、お母さんや周りの大人の言うことをちゃんと聞く素直な子供でいれば、大抵のことは上手くいく。楽観的に構えてていい。不安に思うことなんてない」
「……『親がなくとも子は育つ』?」
「まだ二年生なのにもうそんなことわざ知ってるのか」
偉いなあと大袈裟に褒めると、大雅は俯いて唇を尖らせた。照れた様子が可愛く見えれば見えるほど、片方の親に見放された子供だという事実が胸に迫った。こみ上げてきた一種の反抗心が僕の声を大きくした。
「だいたいさ、片親だ何だって嘆いたり落ち込んだりする奴より、そんなの表に出さない奴の方がずっと格好いいよな。そうだろ? 辛いことも、冗談言って笑い飛ばすくらい元気な方がさ」
大雅がこちらを見上げた。勢い付いた僕の口からは、日頃はまず出たりしない、歯の浮くような台詞が止まらない。
「まともな環境で育ったってろくでもない奴はろくでもないもんさ。ようは本人次第なんだってことを僕たちは生き様で証明してやろう。大雅は絵が上手だからそれを突き詰めて行ったらいい。これだけは誰にも負けないって思える何かを持つことは、前向きになるための良い方法だと思う。僕にとっての写真みたいに」
「写真?」
大雅が首を傾げた。僕はスマホを取り出して、自分で撮った廃工場の画像を何枚か見せてやった。目を丸くする大雅が可笑しかった。
「日本じゃないみたいだろ」
「ゲームとか映画の世界みたい」
「今にもモンスター出てきそうだよな」
鬱蒼と茂る森の木々。廃工場の寒々しい佇まい。錆びた鉄塊の無骨さや冷たさ。人類滅亡の証拠でも突きつけられるようなその感覚を、僕は大雅に、冒険譚ふうに語って聞かせた。
話しながら、ふと今朝見た夢のことが頭に浮かんだ。朽ちて汚れた惨めな世界。棄てられた工場。錆びたパイプとタンクから成る無機質な迷路。姿のない追跡者。何もかも飲み込んでしまう底無しの暗闇――。
柄にもなく吐き散らした前向きな言葉の反動かもしれない、夢の中で感じたあのどうしようもない虚しさがまた戻って来た。
知らず入っていた肩の力を、僕は静かにどこかへ逃がした。熱くなるなと自分を宥めた。こんなくだらない世界のために熱くなんてなるな。親が子を捨て、子が親を見限る、そんなろくでもない現実を生真面目に生きてやる必要なんかどこにある?
僕は大雅に向かって思うままを続ける。
「……けど実際、現実なんてきっと、ゲームや映画の世界よりずっとろくでもないよな。初めから終わってるっていうか」
「初めから終わってる?」
「そうさ。意味なんてないんだ。皆して上辺を取り繕ってるだけ。見ないふりをしてるだけ。一皮剥けばどこもこんな感じ」
画面を指差すと、大雅の表情があからさまに曇った。
僕はまた声のトーンを上げた。
「でも、だからこそだ。何でもその程度だと思って気楽にいこう。境遇を嘆いても仕方がない。僕たちはこの、どうしようもなくて、くだらなくて、初めから終わってる現実と上手に折り合いを付けていこう」
俯いた大雅は、その後もなかなか廃工場の画像から目を離そうとしなかった。
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