第36話 偶然と必然
この世に奇跡なんてない。
あれは誰の言葉であったか。
名前の決まっていないこのパンを含めると、ようやく頭数が揃ったことで、わたしはこれまでを振り替える。
最初に行き着いた初恋の味は全ての始まりの味だろう。
酸味があり人を選ぶであろうこのパンは、好きになればなるほどのめり込んで貰える味だ。
初恋は実らないともよく言うが、実った初恋は至上の幸福だともわたしは思う。基本でありながらも人を選ぶと言う点で、我ながらいい名前をつけたものだと、わたしの鼻も長くなる。
続くいちご大福パンは幸せの味であろうか。
初恋からの地続きでも、まだ成就していない恋でも、憧れる他人のそれでもいい。
まるで恋愛モノの作品に触れて疑似体験するような、男女が仲睦まじくすることで得られる幸福の味だ。
まだ恋愛に興味のないお子様や、卑屈になった一部の人には受け入れられないかもしれないが、多くの人にも受け入れられる普遍的な感情だろう。
そして最後はこのパン。
わたしはこれを快楽の味と呼びたい。
別にこの味の前でわたしがヨハネに劣情を抱いたからそう呼びたい訳ではない。それを脇にどけてもなお、このパンの味は官能的に感じた。
パリパリとしている硬い外側は逞しい胸板のようで、歯を立てると口の中へと崩れていくその様子は抱擁のようだ。そして口内を占領するバターの香りと麦の味は、まるで舌を絡め合うキスのよう。
胸が疼いて、その先に訪れるであろう会瀬にわたしは全身が敏感になってしまう。いま触られたら大変なことになりかねない。
さすがに発情してしまったのはむっつりが過ぎていたが、いちご大福パンよりも更に幅広く受け入れられるモノだとわたしは確信する。
初恋や恋愛を理解できない人にさえ快楽は共通認識と言うのはどこか本末転倒だが、偉そうに「生物的な本能」と言ってしまえばそれこそ年端も行かない子供であっても理解できるのはさもありなんか。
あるのは偶然と必然、誰が何をするかだけ。
三つのパンにストーリーめいた繋がりが生まれたのは偶然かもしれないが、わたしたちがこれら三つにたどり着いたのは必然だろう。
そして最初にわたしがヨハネを焚き付けなければ、これらは産まれることもなかった。
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