第33話 公女の幼馴染み
午前中の授業が終わり、ようやく食事にありつける私は油断していた。午後からは講義の予定がなかったので街を練り歩こうとしていたのだが、そこにふたりも着いてきたことに。
「先程の御詫びにネイの好きなものをご馳走するでござるよ」
「そんな気づかいはしなくてもよろしいわ。でもそれなら、公女の口づけまで一緒についてきてくれないかしら? お金ならわたくしが出しますので」
「御意。それではいざゴーでござる。マリーもイケるでござろう?」
「あ、ああ」
気軽に返事をしてしまったが、よく考えれば今日は不味かった。
と言うのも、月曜日のツヴァイスは昼の勤務だけで、夜はフリーだからだ。そんな日の昼時にランチで立ち寄ろうモノなら、アイツのことだから私を垂らし込まんとちょっかいをかけてくるに決まっている。というか、実際にそんな目に何度あったことか。
だが最初に了承した手前、今更断れない。
まあツヴァイスも友人らの手前では強引なことはしないかと淡い期待を抱きながら、私たちは店を目指した。
「いらっしゃいませ、おじょ……いえ、お嬢様方」
久々に学友同伴だったせいか、公女としての「お嬢様」で呼びそうになったフランツさんが噛んだのはご愛敬か。
それに気付かない様子の友人と共に、私たちは奥の個室に通される。
一応ネイたちも私とツヴァイスが幼馴染みだということを知っているので、ふたりはフランツさんの特別扱いが、まさか私が公女だからとは知らない。
その点ではツヴァイスの存在は私にも都合がいい。
「ネイのオゴリでござるし、特上コースにしようでござる」
「自腹なら構わないと思うが、最初は自分で奢ると言っておいてなんだよそれは」
「カタイことは言いっこナシでござるよ」
「マリーさんも遠慮なさらず、特上コースにしてください。どうせ商会のツケにして経費で落としますし」
「ネイがそう言うのならば甘えないと失礼か。だが、あまりやり過ぎると不味いンじゃないのかそれって? 脱税とか、横領とか、そういうので」
「うちの経理スタッフは優秀ですので、その心配には及びませんわ」
「アッハイ」
私は親の会社の金でご馳走しようとするネイを嗜めてはみたものの、聞く耳を持たないので引き下がる。まあ一人前一万三千ルートくらい、ネイの尺度からすれば昼食代にお小遣いをもらう程度なのだろう。
ちなみにランチタイムの公女の口づけでは、上は特上コース一万三千ルート、下は一人前八百ルートの一品料理まで揃えていて値段の幅が広い。
今回、私はネイの顔をたてて特上コースを御馳走になるが、学生のランチとしては一品料理で充分だとは思う私が胸の内にいた。
そんな私は、図々しくも迷わず特上コースを指定したラチャンはやはり要領がいいのだろうかと、料理を待つあいだ彼女を眺めた。
「今日のローゼンベルクさんオススメのメニュー……いったいどのようなモノでしょう。わたくし楽しみで涎が」
「ネイは相変わらず食い意地が張っているんだから。まったく、アイツよりアイツが作る料理の方が好きなんじゃないか?」
「ちっちっちっ! 鈍いでござるなあ。これだから恋愛素人は」
「ん?」
「ネイはローゼンベルク殿が好きだからこそ、彼の料理が好きなのでござろう。拙者もカッツォが作ってくれた料理なら、ゲロ以下の匂いがプンプン漂っていても美味しくいただくでござるよ」
「ですわよね」
「お前ら、さすがにそれは引くぞ。まあツヴァイスがゲロ以下の料理を作るとは思えんがな」
まあ、気持ちだけならわからんでもないか。
そんな他愛のない談笑をしているうちに料理が到着した。
前菜は胃袋を活性化させるフレーバーミネラルウォーターと生ハムメロン。塩気の強い生ハムと甘味の薄く青臭いメロンがお互いの弱点を補って、ひとつの味を作り上げる。
不思議なものでここで使うメロンは甘くない青臭い品種でなければ不味いそうだ。確かに甘いメロンは塩気のある生ハムと一緒に食べるよりも、それ単品で食べるほうが美味しい。
特にここバーツク市はメロンの名産地が近いので、むしろこの青臭いメロンのほうが手に入れにくい。
その後、じゃがいもの冷製スープやメインとなる地元ブランド、ローズポークのハンブルグステーキといった料理が食卓を彩った。今日は質の良い豚肉を仕入れたそうで、いつもなら主役となる黒麦よりも豚肉とじゃがいもをメインにした献立だという。
「これもローゼンベルクさんを慕う心がもたらした幸運ですわ」
そんな風にポジティブに受けとるネイの笑顔は私にも眩しい。
そう油断したところで最後のデザート。そろそろアイツがやってくる時間だ。
「ごきげんようフロイライン」
料理を乗せたカートを押して現れたこのキザなイケメン。
彼が問題のツヴァイス・ローゼンベルクだ。
仕事中に持ち場を抜け出すとは如何なものかと窘めたいが、彼の登場を喜ぶネイがそれを遮った。
「ごきげんよう、ローゼンベルクさん。まさか来ていただけるなんて」
「キミの方から会いに来てくれたんだ。答えなければ逆に失礼だよ」
「嬉しい」
私は惚気るネイの前で水をさせなかった。
ついイライラとした目付きでツヴァイスを睨んでしまうが、それを見て「ネイに色目を使うツヴァイスに嫉妬している」とからかいたがるラチャンの様子を見て顔を改める。
「種を明かすと今日の仕事はこのデザートで終わりなんだ。なので昼食がてら御一緒したいなと」
「でしたらわたくしが食べさせてあげますわ。よろしければその先もどこかで」
「それは遠慮するよ。誠心誠意で作った料理だから、ネイにもきちんと襟をただして味わって欲しいし」
「ごめんなさい。そんなつもりでは」
「気にしなくても大丈夫。それに俺もアフターの御誘いを受けられないから、お互い様だし」
「あら、お仕事はこれで終わりなのでしょう? 良いではないですか」
「俺にはマリーとい婚約者がいる以上、遊びでキミのことを傷つける訳にはいかないのさ」
「わたくしは第二婦人でも構いませんのに」
「ちょっと待て! いつから私がお前の婚約者に───」
「待つでござる」
自分のことを婚約者だと言い放つツヴァイスと、それに対して妾でも構わないと言い放つネイ。
飛躍するふたりにツッコミを入れない訳にはいかないのだが、ラチャンはそれを横から止める。
「どうしてだ?」
「あのふたりはナルシスト同士気が合うでござる。下手に口出しするよりも、無視して今のうちにデザートをいただいてしまえば良いでござるよ」
「さわらぬ聖女に祟りなしか」
「左様」
私をダシにしてお互いがひとりの世界に入り、それが噛み合って会話しているネイとツヴァイス。ラチャンの読みでは無視したほうが得策のようだ。
言われてみればそうであるなと私も同意し、ラチャンとふたりで今日のデザートを楽しむ。
目当てのモノはカスタードがたっぷり入ったパイ仕立てのクロワッサン。一見するとスーパーの売り場に並ぶ大手メーカーが作った菓子パンを少し小綺麗にしたモノのようだが、上品な甘味とバニラビーンズの香りが引き立つこのクリームは、特上コースを締めくくる甘味として充分な美味だ。
サクサクとしていてバターの香りが立つ生地もクリームを受け止めていて、相乗効果が快楽をもたらした。
悔しいが、この味の前では腕の立つ幼馴染みの料理人として、ツヴァイスのことを嫌いになれない。
「美味しかったでござるね。さて、今のうちに拙者らはドロンでござるよ」
「行こう」
「行こう。そう言うことになった」
「変な相づちを入れるなよラチャン。笑ってしまうじゃないか」
「すまぬ。すまぬ」
デザートを食べ終えて口の中に甘味の余韻を残す私とラチャンは、ナルシストを拗らせて自家中毒状態のネイとツヴァイスを置いて店を立ち去った。
帰り際にフランツさんには状況を説明しているので大事にはならないだろう。
その後、ラチャンが彼氏の元に向かったので私はひとり公園に向かう。まだ口の中に残る味を反芻しながら、もしかしたら昨日の彼がまだいるかもしれないと、淡い期待を胸に秘めて。
「……」
結局、この日は空振りに終わる。
だが先程のデザートの味が彼との再開に結び付くと、このときの私は知るはずもない。
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