第32話 公女のコイバナ
あの出会いから翌日、私は寝不足ながら大学に登校していた。
朝イチの講義に出席したのだが昨夜もろくに食べておらず、今朝も買いだめしていた菓子をいくつか摘まむ程度。要するに私は空腹だった。
「いかがしましたか? マリーさん」
「大したことではないさ」
「本当でござるか? 覇気が無さすぎますぞ」
「本当だって」
そんな私を見かねてか、授業後に学友が声をかけてきた。
丁寧な口調の彼女はネイ・サンフィドイヤー。輸入雑貨店サンフィドイヤー商会の御令嬢で、丁寧な言葉遣いもそこから来ている。
そしてござる口調の彼女はタ・ラチャン・ワドダ。私と同じ海外留学生で、カレーの発祥国ガレイの出身。ござる口調はジャポネの古典で言葉を学んだからだと言う。
平凡な女子大生マリーとしての友人ふたりが私の様子を気にかけてくれた。
そんなふたりに「腹が減って死にそう」なんて、恥ずかしくて言えるはずもない。
「もしかして生理とか? 重いのなら無理はしない方がよろしいですわよ」
「それとも───」
「そんな訳ないだろう!」
私はラチャンの手つきについ強い口調で答えてしまった。右手の指で作った輪に左手の指を入れたり抜いたりされればさもありなん。私はまだ生娘だ。
「まさかローゼンベルクさんとそこまで進展していただなんて。わたくしショックですわ」
「ネイも落ち着け。アイツとはそんな関係じゃないし、むしろやれるモノならネイにプレゼントしたいくらいだ」
「そうやってムキになると余計に怪しいでござるぞ?」
「ラチャンは少し黙れ。この色情魔」
「すまぬ、すまぬ」
「すまぬで済んだら苦労しないぞ。見ろ、今にも泣きそうなネイの顔を」
「そう……プレゼント出来るくらいしっぽりとした仲になっていたのですね、マリーさん。抜け駆けなんてズルいですわよ。やるときはせめて三人一緒にと言ったじゃないですか」
「これは失敬。ネイ、すまないでござる。拙者もからかいすぎたでござる」
「はぁ~~~」
こんなことをしている間に休み時間が終わってしまうこの状況に、私は深い溜め息をついた。こんなことなら選り好みせず、パンでも買っておくべきだった。
ちなみにネイが泣きそうになった理由は私の幼馴染みにある。
若くして公女の口づけにて副料理長をしているツヴァイス・ローゼンベルクをネイは慕っていたからだ。
私としてはネイとツヴァイスが恋仲になってくれればすべて丸く収まるのだが、ツヴァイスはネイのことを「私にもしものことがあったときのキープ」だと公言して本気で取り合おうとしない。そしてネイも私の存在が原因で、ツヴァイスが告白に対して首を縦に振らないことを根に持っていた。
そこに冗談とはいえ「私とツヴァイスが一夜を過ごし、その影響で疲弊していた」などと言われれば、真面目なネイが真に受けても仕方がない。
ラチャンの方はほんの冗談のつもりなのも私は理解しているので、ここはラチャンを叱ってネイに謝らせる他に手がなかった。
私が言っても火に油を注ぐだけだろうし。
ちなみにラチャンには留学当初から交際をしていて、今や同棲生活を送っているカッツォ・オヤツヨという恋人が居たりする。そのため私たち三人の中では彼女だけ少し大人である。
「落ち着いたか? ネイ。そろそろ移動しないと心理学の授業に遅れるぞ」
「ごめんねマリーさん。ラチャンさんの冗談を真に受けて取り乱したりして」
「ネイは悪くない。悪いのは散々『私はお前に気がないんだから、素直にネイの告白を受け入れろ』と忠告しても、一向に聞く耳を持たないツヴァイスなんだから」
「それは言い過ぎですわ。それにそこまで言われてもマリーさんをお慕いするローゼンベルクさんの気持ち……わたくしもわかりますし」
「ネイが深読みしすぎなだけだと思うが」
「そんなことはありませんわ。私がローゼンベルクさんを一途にお慕いしているように、彼もマリーさんを一途に思っているからこそ、わたくしの気持ちには答えてくれないのですわよ」
「そう……だといいな」
「そうに決まっています」
私には乾いた笑顔でネイを肯定することしか出来なかった。
幼馴染みとしてツヴァイスのことをよく知る立場としては、「私の友人で火遊びをしたら私が嫌がる」から自制しているに過ぎないとしか思えないからだ。
と言うのも、公国にいた頃───学生時代のツヴァイスは顔の良さから女子にモテていた。
それこそ公女である私が通う普通とは一線を画す学校でありながらも、庶民の学校で言うところの学園のアイドルとしてヤツは君臨していた。
そんなヤツに交際を申し込んだ女子も多く、時には己の純潔すら捧げる者もいた。
決まってそういう時は「求めたのは女の子の方だ」とヤツは言い張って、結果、手出しをした女子生徒は両手の数を越える。下品な言い方をすればヤツはいわゆるヤリチンだった。
不倫をするのは男の罪、だが許さないのは女の罪。
座右の銘にこんなことをいうヤツのことを、私はどうしても男女としては好きになれなかった。なまじ幼馴染みとしては嫌いになりきれない自分もずいぶんと甘いのだが。
「そうそう。マリーにはコレを」
移動中、ポケットから取り出した何かをラチャンは渡してきた。布切れに包まれたそれは軽くて小さい。
「なんだこれ?」
「拙者の保存食の干し飯でござる。先程から空腹のようなので、おすそわけでござるよ」
「ありがとう」
ラチャンは私の不調の理由を見抜いていたようで、私に非常食を恵んでくれた。恥ずかしがって言わなかったことを見抜かれていたのは少し恥ずかしいが、それなら変にからかって騒ぎを起こすなとも私としては言いたくなる。
「ところで……あさげも忘れてしまう出来事があったということは、昨日は収穫があったみたいでござるね。マリーも隅におけないでござるよ」
「それこそ勘違いよ」
「ま、そう言うことにしておくでござるね」
さすがに写真の中の思い人のそっくりさんを見かけたというだけでこの有り様なので、あえて深く踏み込まないラチャンの優しさは助かった。
むしろ、ふざけた口調で訳知り顔の彼女のことだから、私の内心も全て見抜いた上で虚仮にして、遊んでいるのかも知れない。
とりあえず、昼食の時間まではラチャンの干し飯のお陰で、私の胃袋は事なきを得た。
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