第29話 朝ラーメン
朝の六時、わたしたちは早起きをしてバーツクの街を目指す。
山道をゆっくりと移動する必要があることが原因とはいえ、片道二時間というのはやはり長い。
だからこそわたしたちは朝早くからホームを出発していた。
「向こうについたら、何か腹に入れましょうか?」
「いいとも。僕は朝ラーというやつに挑戦してみたいな」
「いいわねそれ」
運転……と言っても、わたしが乗るカーゴをヨハネがジェットブーツで引いている状態で、わたしは彼と朝御飯の相談をした。
今朝は夜明けのコーヒを一杯飲んだだけで食事を取っておらず、これは勿論食べ歩きを前に胃袋を空けるためだ。
わたしたちが街に到着したのは朝の八時、ちょうどこの時間に目を覚ました女子大生がいるらしいが、わたしには関係のないことだ。
人里から離れた山奥での生活なので曜日感覚などないのだが、きょうはいわゆる日曜日のようだ。カフェのモーニングサービスを利用する客層に背広の男性が見当たらず、カジュアルな服装でコーヒ片手にノートパソコンらしきものを弄る姿が目立つ。
世界は違っても人間の行動は似ているのだろうか。
「よし、彼処にしよう」
そう言ってヨハネが足を止めたのは、三角形のマークが入った赤い看板の店だ。山岡山という名前らしい。看板には24という数字も書かれているので、おそらく二十四時間営業なのだろう。
「いらっしゃい!」
わたしたちは駐車場にカーゴを停めて中に入る。そこはいたって普通のラーメン屋のようだが、わたしには見慣れないモノがちらほらと目に飛び込んできた。
まずは注文の方法で、先客は自分のパーソナルデバイスを店員のそれにかざすだけで注文を行っていた。
現代日本でいうスマホ決済のようなものだろうか。しかし、わたしたちはそのようなデバイスを所持していないので、代わりに券売機で食券を購入する。出てきた券は丸いコインのようで、店員に渡すと彼はデバイスでコインの情報を読み取ってから、それをエプロンのポケットに仕舞った。
あのコインもICチップのようなものが仕込まれているようだ。
「へい、お待ち」
そして注文からたったの五分で料理は運ばれてきた。
丼に注がれたスープは濃い醤油の色で、カツオ出汁の匂いまでするのでさながら暖かいお蕎麦のようだ。
トッピングは斜め切りにしたナルトが五枚に茹でたワカメと生の刻んだネギが少々。
ここまでならまさに蕎麦そのものだ。
だが他の客を観察するにここからが違うようだ。各々が好みにあわせて胡椒や辣油、酢にニンニクを選んでトッピングする姿はまさしくラーメンである。
一方でテーブル上の調味料置き場には七味唐辛子は見当たらない。
「僕はこのまま食べるけれど、アマネは何か使うかな?」
「その前にちょっと聞いてもいいかな」
「ん? 早くしないと伸びてしまうよ」
「七味唐辛子なんて持っていないわよね」
「流石に僕も持ち歩いていないさ。それにラーメンなんだから、辛味を足すなら辣油を使ってみたらどうだい」
「アッハイ」
「???」
ヨハネにはわたしの言いたかった事が伝わらないようで、彼は小首を傾げていた。
なんでわからないのかな。というよりも、文化が違うとしか言いようがないのでこれ以上は不毛な言い争いなんだろう。
ヨハネを含めてジャポネでは誰もがラーメンと認識するこの麺料理がわたしには暖かい蕎麦にしか見えなかった。
だが悩んでいても麺が伸びるだけなので損しかない。わたしは自棄になり、周囲にあわせて故障と辣油で頂くことにした。
「ちゅるる……!?!」
そして一口啜ってみて、わたしは驚いて唸ってしまった。
麺も汁も完全にお蕎麦なのに、頭の中がこれをラーメンで間違いないと認識したからだ。
そういえば聞いたことがある。まるで蕎麦のようなスープに盛られた少量の麺をたっぷりの胡椒で頂いて、脳みそに「これはラーメンだ」と錯覚させるような「素ラーメン」なる料理を。
このラーメンも同じようなコンセプトの料理なのだろう。
だが、ここで気になるのはこれが当たり前のモノなのかだ。
わたしはヨハネにたずねた。
「見た目はお蕎麦なのに、トッピングをしたらちゃんとラーメンになって驚いたわ。だけどこれって、普段のラーメンもそうなの?」
「普段? さあ、僕もラーメンなんて久々に食べたから判断に困るけれど、昔の小麦粉卵麺の時代は味噌とか豚骨とか、もっとこってりした味が好まれていた記憶があるね。でもこの店では朝ラーメン以外でも魚介出汁と醤油タレがベースのラーメンばかりだし、黒麦麺が主流になってスープの流行りも変わったんじゃないかな」
「さもありなんか」
ヨハネの見識でわたしが抱いた「もしかしたら、この国で言うラーメンが蕎麦のことではないか?」という懸念は勘違いだったので安心したが、今度は新しい課題が頭に浮かんできた。
ラーメンだって黒麦時代になって変化を続けてきた料理なんだし、わたしたちのパンも同様に、この時代の変化に会わせなければいけないのではないかと。
流石にパンという名目でパンとはまるで違う料理を作るつもりはないが、独り善がりなままではいられないだろう。
自分達の持ち味を生かしつつも、時代に合ったパンというのは難解だろうが、だからこそ気合いを入れていかねばならない。
「食べ終わったし、カーゴを停めておける場所を見つけたら、どこか公園にでもいきましょうか」
「良いけれど、これまたどうして?」
「んーと……人間観察かな」
「これまた変わった遊びみたいだね」
「遊びじゃないわよ。新しいパンを作るヒントを、お客さんになる街の人々から得ようって考えただけ」
「それはすまない。だが余計に一筋縄ではいかない難題だねそれは」
「でもその方がヨハネは燃えるタイプでしょ?」
「そうかな。自分では自覚がないけれど」
「だってヨハネって、けっこうえっちなこと考えているじゃない。わたしの友達もそうだったけれど、むっつりスケベってこういうタイプが多いのよ」
わたしは蒸し返さない程度に先日のヨハネを出汁に使ってからかった。
わたしのいたずらな舌先見たヨハネは「ドキン」とときめいて顔を赤くしていたが、からかうことに夢中なわたしはそれに気づかなかった。
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