第8話 巻きバターパン②
湯船の中、すやすやと寝息を立てるわたしは時間を忘れていた。
温かくて心地がいい感覚が全身を包み込み、それが安心感を与えていたからだ。
だいぶ時間が経過したのだろう。わたしはヨハネの呼び掛けで目を覚ました。
「アマネ! パンが焼き上がったよ」
「ふぁーい」
少し寝ぼけた頭を揺すって状況を確認しながら、わたしは湯船から上がった。
そうだ、ヨハネのパンが焼きあがるまでの間にお風呂を頂いていたんだ。
思い出して浴室を出たわたしの目に飛び込んできたものにわたしは驚く。
「ひゃああ!」
「何事だい?!」
「見ないれ!」
悲鳴に驚いたヨハネも駆けつけたので余計である。
わたしはタオルで隠していたとは言え、ヨハネに裸を見られて余計に声をあげてしまった。
わたしが驚いたのは脱ぎ散らかしたハズの衣服である。
上から順にブラ、ショーツ、ブラウス、ジーンズと着る順番にあわせて丁寧に畳まれていたからだ。
後から考えれば気を利かせたヨハネが畳んでくれただけなのもわかるのだが、この頃のわたしは「寝ている間にお風呂を覗かれたかもしれない」と疑ってしまっていた。
ヨハネが風呂場に近づいたであろう状況証拠だけで、そういういやらしい考えをこの時期のわたしは浮かべてしまう。
「す、すまない」
わたしの恥じらう声に従ってヨハネは外に出たようだ。
わたしは折り畳まれた衣服の順番でそれらを身に纏った。
一度風呂で体を清めたからか、わたしは少し違和感を得てしまう。下着が少し湿っていて、なんだか着心地が悪いなと。
そういえばテントの中にあった荷物には衣服がなかったので、これがわたしの一張羅である。これじゃあ洗濯したら裸で過ごさねばならないので、早々に対策を講じるべきだろう。
「お待たせ。さっきは驚かせてゴメンね」
「それは飛び込んだ僕が悪かったよ。でも何に驚いていたんだい?」
「なんでもないわ。ヨハネは気にしないで」
流石にわたしも服を勝手に畳まれた程度で騒ぎすぎたかと謝ってみると、ヨハネの方からもわたしに不注意を詫びた。
わたしは気にしなくていいとは言ったが、やはり気になるのであの事はたずねてしまう。
「でも、わたしが寝ている間、本当に覗いていないわよね?」
「そんなことをするわけないじゃないか」
「でもさっきは……わたしの裸を見たくせに」
「それはアマネが大声をあげるから心配して……」
ちょっと確認するつもりだったのだが、思っていた以上にしょんぼりとするヨハネの顔はとてもいたたまれない。
そもそもヨハネの経歴を考えたら、こういう意地悪をしても彼を傷つけるだけだろう。
その顔に気づかされたわたしはヨハネに頭を下げる。
「そんな顔をしないでよ。疑ったりしてごめんなさい」
「誤解が解けたのならいいさ。それに僕もガンプクだったしね」
「このえっち」
「えっち?」
「なんでもない」
謝ったとたんに明るい顔になったヨハネの切り替えの早さには、ちょっとだけわざとやっているのかと思ってしまう。それでも相手は家主なのだから、立場的に横柄な態度は如何なものかと自分をたしなめる意味も込めて、わたしは邪推を振り払った。
ちなみにわたしの裸を見て「ガンプク」と言ったのは、例のトスカーさんの受け売りで誉めたつもりだったそうだ。
「なんでもないのならそろそろ食事にしよう。あまり放っておくと冷めてしまうよ」
「そうだったわね」
食卓に上がるのは当然ながらヨハネが焼いたパン。窯の熱で保温しておいたため熱々の焼きたてをキープしていたそれを、またもや熱さなど感じていないそぶりでヨハネは運んできた。
わたしの前に置かれた皿に取り分けられたのは掌サイズのパンが二つ。わたしが知っているパンに例えるならばバターロールにそれは良く似ていた。
「小麦の味を重視してバターを減らした巻きバターパンだ。熱いから気をつけて食べてくれ」
「いただきます」
「待って。このパンはそのまま、端からがぶりと食べてほしい」
ヨハネが言う言葉から考えるとこれはバターロールで相違ないようだ。多少の単語が異なっているが、むしろバターやらパンやらと大半の単語が同じものとして通じる時点でこれくらいは誤差の範疇なのだろう。
そう思った矢先、一口大に千切ろうとしたわたしに対してヨハネが忠告をしてきたので、わたしも「もしかしたら、噛んだら溶けたバターが溢れてくるパンだから『巻きバター』などと違う名前なのかな」と身構えてしまう。
言われるがままかぶりつくために口近づけると、鼻先をパンの香ばしい匂いが刺激してきた。知らない仕掛けへの恐怖よりも、この美味しそうな匂い誘惑が勝るのはさもありなんだ。
「かぷり」
そしてわたしは小さな口を大きく開いて、ヨハネのパンに齧りついた。
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