第7話 巻きバターパン①
調理台に小麦粉を開けたヨハネは素手で生地をこね始める。
台所にはこね機も置いてあったが、この程度の量では使う必要は無いという判断なのだろう。
生地をこねる際、パラパラと混ぜていたのは塩と酵母であろうか。パンの発酵に酵母を使うのはこの世界でも変わらないのだなとわたしはそれを見ていた。
彼の手際は見事なもので、上から目線で誉められる立場では無いとはいえ戸塚店長のそれを思い出してしまう。
「よし」
しばらく生地を捏ね、充分に練り上がったそれをヨハネはボールに入れた。厚手の布巾を上に被せたのでこれから発酵に入るようだ。
手が空いたところを見計らい、わたしは彼にたずねる。
「聞いてもいいかな。今入れたのはどんな酵母なの?」
「この山に自生している山葡萄から作った僕のオリジナルさ。粉末上に加工してあるから使いやすいし、山葡萄の品種のおかげで発酵も早い」
「手作りなんて凄いわね。わたしは市販のものと、店長が用意したものしか使ったことがないわ」
「こんな山奥でもパンを作ってみようと試みた、手慰みの産物だけれどね」
その後、ヨハネは「今のうちにお風呂を準備する」と言って、風呂場に向かっていった。
そう言えばお風呂も沸かすと言っていたので、発酵待ちの時間で沸かすつもりなのだろう。
てきぱきと動くヨハネの姿を見て、わたしとしてもお客さん気分に甘えるのも居心地が悪い。なにかお返しが出来ないものかと冷蔵庫とおぼしき扉を開けてみて、わたしは驚いてしまう。
「なによこれ」
それは確かに冷蔵庫のようなのだが、その中身が空っぽだったからだ。
冷静に考えれば自給自足の生活をするヨハネが冷蔵庫に溜め込むほどの食料を確保していると考えるほうが間違いなのだろう。だが、この文明的なホームの見た目に騙されていたわたしは、今の今までその事に気づかなかった。
リビングに戻ったわたしは手荷物を広げ、その中にある食べ物をあらためることにした。
ヨハネも男の人なのでお肉でもあると喜んでくれるかなと思ったが肉はコンビーフしかない。
あの洪水のことを考えれば、わたしが今生きているのはこの世界に転生したおかげなのだろう。数日分の食料やテントまで与えられたのだから文句を言えばバチが当たる。
だが、だからこそわたしは小首を傾げてしまう。日持ちがする食べ物のほうが便利だよねと気を利かせてくれたのなら、ビーフジャーキーとウイスキーもつけてくれればよかったのに。
「アマネ。お風呂の準備が出来たから、よかったら先に入るといい」
「ヨハネは?」
「僕はそろそろ一次発酵が終わった頃合いだし、パン作りを再開するよ。それとも先ほどみたいに僕の腕前を見物するかい?」
「それは今度でいいわ。せっかくだからお風呂をいただくわ、覗かないでねヨハネ」
考えてもお返しが思い浮かばないので、とりあえずわたしはヨハネの好意に甘えることとした。
風呂場に向かうとそこには床暖房がついていたのか、最初に軽く説明されたときには気づかなかった温もりが足元から伝わってくる。
初めての世界で慣れない出来事の連続は、思っていた以上にわたしの体力を削り取っていたようだ。しゅるしゅると衣服を脱いで床に散らかしたわたしは、軽くシャワーを浴びて湯船に浸かった途端、ふっと意識を失っていた。
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