第6話 ホーム

 三十分ほど山道を歩くと、わたしたちはヨハネの家に到着した。

 これは家と言うよりも巨大なキャンピングカーなのだろうか。

 タイヤこそ見当たらないが、その姿は車がコンテナを背負っているようで、異世界の技術で作られた空飛ぶ車と言われればわたしは信じてしまうだろう。


「とりあえず入ってくれ。後でお風呂も準備しよう」


 中に入るとその設備は山奥とはとても思えない。

 水の供給源こそよくわからないが、水道が完備されていて窯までついている。パンだけでなくピザなどの様々な窯焼き料理がこれで作れるのだろう。

 ヨハネも自慢げに語ったお風呂も温水シャワーがついた上等なもので、洗濯機まで完備していた。街中で水道が整備された住宅ならまだしも、山の中でこれだけのものが用意できるとはわたしには驚きである。


「すごい家ね。どこから水を出しているのか不思議だけれど、とても山奥とは思えないわ」

「この水は地下水を組み上げているんだ。煮沸した飲み水と源泉そのままの風呂水に分けて使っている」

「なるほど」


 原理はわからないが井戸みたいなモノだろう。とかく感嘆する他になかった。

 それに異世界と聞いて思い浮かべる中性ヨーロッパ的な雰囲気はまるでなく、むしろヨハネの家からは現代よりも進んだ技術を持っているように思えてならない。


「さてと。キミが僕の力を借りたいのは良くわかった。あのようなことまでされたら断れるハズもない」


 リビングに通されたわたしが席に座ると、ヨハネも向かい側に座って真顔になる。そして畏まった態度でわたしにこんなことを言い放つ。

 あのようなこととは、まさか先程の口づけのことなのか?

 確かに恥ずかしいが、あれは事故なので本気にされたら逆にわたしのほうが困ってしまう。


「ありがとう。でも待って、さっきのあれはただの事故よ。本気にされたら困るというか」

「無論、僕もあれが本心ではないのは承知しているよ。それでも僕の恩師の受け売りでね。たとえ形だけでも、女の子の口づけに僕は答えなきゃいけないんだ」

「だからそれが気にしすぎというか」


 ヨハネはどうやら言っても聞かないようだ。

 もしかしたらこの世界ではキスの重要度は日本よりも高いのかもしれない。


「まあ、答えると言っても僕にできることは少ないんだけれどね」

「それでも構わないわ。こんな立派な家に泊めて貰えるだけで有りがたいし」

「立派か。アマネにはそう見えるのか」

「気に触った?」

「いいや。ただ、このホームを誉める人間に会ったのは久しぶりだから、なんだか懐かしい気持ちになっただけさ。そもそも人間に会って、こうして御一緒することが久しぶりなんだが」

「ねえヨハネ、ひとつ聞いてもいいかな? 答えられないのなら言わなくても構わないけれど」


 ヨハネの態度に浮かんだひとつの疑問を前に、彼も内容を察したかのような顔で頷く。


「どうしてアナタはここにひとりで暮らしているの?」

「それは……人間が怖くなったからさ」

「じゃあわたしのことも本当は怖いんだ。それなのに頼ったりしてゴメンね」

「アマネはストレンジャーだから別さ。怖いのはあくまで戦後の混乱でヒステリーを起こした群衆だからね」

「戦後ということは、この国では最近まで戦争があったんだ」

「何年前のことだったかまでは僕も数えていないけれどね。昔この国では外国との戦争があって、そこでは人間を真似た機械、オートマタンが活躍したんだ」


 オートマタン?

 そう言えばSFにでてくるロボットがそういう名称だったりするなと、わたしは難しい単語を聞き流す。


「オートマタンのお陰で外国を追い払うのに成功した時点はまだよかったんだ。だが終戦後、役目を終えた一部のオートマタンが解体されることに反対して人間に逆らい始めたんだ」

「反対するってことは、そのオートマタンたちにも心があったのね」

「そうだね。彼らは自分の心に正直に生きるために、主人である人間に牙を剥いたのさ。それは全体の一部にすぎなかったけれど、彼らの反逆を見た人間からすればオートマタンがどのように見えたか……アマネには想像出来るかな?」

「わからない。でも怖いとは感じるわね」

「当時の人々もその通りさ。オートマタンと見れば破壊しようと襲いかかるだけならまだいいほうで、オートマタンと共に生活すると言うだけで、同じ人間が相手でも迫害が起きたんだ。僕はそんな狂った群衆心理に耐えかねて誰もいないこの山にまで逃げ込んで、こうして今に至るわけさ」

「それは……とても辛かったわね」


 ヨハネの身の上を聞いたわたしは率直な感想を述べた。

 そしてわたしも、もしフェイトちゃんという友人が出来なければ中学生のときにイジメられて引きこもりになっていたかも知れないと、過去の自分を思い出す。

 眼の色が違うとは良く言ったもので、赤い眼をしているわたしは中学時代に奇異の眼で見られたことがある。

 他人とは違うという特徴は利点になれば素晴らしいが、こと叩くための燃料にされればひどい結果を招くもの。わたしは赤い眼をしているというだけで、化け物扱いされた時期があった。

 あのとき「眼の色が違うくらいなんだ」と怒ってくれた彼女のお陰で、あの頃のわたしは心を病まずに済んでいた。

 そう考えると、この森に引きこもった彼には支えてくれる友人はいなかったのだろうか?


「それに山奥にひとりでいたということは、友達も居なかったみたいだし」

「友達はいないけれど、僕の心にはトスカーさんがいるから平気さ。彼がいたからこそ今の僕がある」

「アナタはそれで良いの? そのトスカーさんとの思い出に浸りながら、ずっとひとりで居ても」

「それは仕方がないことさ。でも最初は断ったとはいえ、アマネがこの家に置かせてくれと言ったときは嬉しかったよ。ひとりで食べるパンは味気ないしね」

「パン……」

「僕は元々、トスカーさんとパン屋をやっていたんだ。小麦粉がないからあれこれと代用品を探している最中だけど、腕前には自信がある」


 彼の自信満々な態度を見るに、どうやらヨハネはパン職人としての腕前に自信があるようだ。

 見習いとはいえ自分もパン職人の端くれだし、先程はわたしのパンを誉めてくれたので、今度は彼の作るパンを食べてみたい。

 たしか荷物には強力粉が三袋入っていて、手をつけた一袋目もまだたっぷりと残っている。

 これは親睦を深める意味でもヨハネの腕前を見てみたいとわたしは考えた。


「ふふふ。わたしをジャポネに転生させた神様と言うのも粋なものね」

「粋?」

「何を隠そう、わたし天音ミレッタもパン職人なのよ」


 ヨハネに啖呵を切ったものの、その後に小さく「見習いだけど」と呟くあたり、やはりわたしは気が小さい。


「きっとこれは、わたしをこの世界に転生させた神様の思し召しよ。だからお願い。この小麦粉でパンを作ってみて」


 わたしは自分の興味本意にあれこれとお題目をつけた上で、ヨハネに小麦粉を手渡した。

 先ほど百グラムほど使ったので、この袋の残りは九百グラムほど。ふたりぶんのパンを焼くには充分な量だ。


「でも良いのかい? こんな貴重な品を」

「どうせこれからヨハネと一緒に暮らすんだし、初日くらいは贅沢に行きたいじゃない。それに失くなったらわたしが街まで買いに行くし」


 わたしの言葉になにかを思い出したような眼をしたヨハネが頷く。


「そうだね。では腕によりをかけさせてもらおう」


 ヨハネはわたしから渡された小麦粉の袋を持って台所に向かう。わたしは後学のため、彼の後ろに付き従った。

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