第5話 異邦人(ストレンジャー)

 目の前に現れた青年の姿にわたしは驚いた。

 見たところ金髪碧眼の優男で、そのわりに顔の左側には大きな古傷があるのでヤクザ者に見えなくもない。

 だがそもそも、どうみても外国人なその容姿を前にわたしはとんらんしてしまう。わたしも銀髪で眼も赤いため日本人離れした容姿ではあるのだが、単純に外国出身の母親の血がそうさせているだけで日本生まれの日本育ちだからだ。

 そのため外国人に話しかけられても言葉がわからず、逆に相手に迷惑をかけたことも多々ある。思えばわたしが人見知りになった原因もこれだろう。

 こんな時にフェイトちゃんがいてくれたらと思うのがだ思うが、誰かによって山奥に置き去りにされた現状では叶わぬ願いであろう。

 冷静になれば相手は日本語で語りかけてきたので不要な心配なのだが。


「僕はこの山で暮らしている者さ。名前はヨハネ」


 そうか、彼はヨハネと言うのか。

 反射的に「誰?」と口走ったわたしに彼が答えたのを聞いて、わたしはようやく日本語でオーケーだと気がついた。

 考えてみればこんな山奥に来るような人間は旅行者よりも移住者がほとんどだろう。ならば当然、日本語だって身に付けていたほうが不便はなさそうだ。


「わたしは天音です」

「アマネか。いい名前だ」

「???」


 彼の反応にわたしは小首を傾げてしまう。

 天音という姓がどういう理由でいい名前なのかわからなかったからだ。

 確かに天音姓はそれほど多くはないので、物珍しいという意味ではいい名前かもしれない。○○院みたいに現実よりもゲームやアニメのほうがよく聞く名前みたいでカッコいいとは以前にも言われたことがあるし。


「ところで……申し訳ないが、その型の中身を少し分けてもらえないかな? 小麦のいい匂いが先程から僕を刺激して止まないんだ」

「こんなもので良ければ。でもその代わり、いろいろ聞いてもいいですか?」

「それはもちろん」

「では開けようか。この蓋を外せば良いんだね」

「ええ。ところでアナタ……熱くないの?」


 焼きたてのパンを分けることを条件に彼の協力を約束したわたしは、一心地ついて彼を観察し、あることに気づく。

 それは陶器製のボールを受け止めて、そのままその手に保持する彼の手が剥き出しの生身ということ。どうみても火傷してしまうこの状況にわたしは熱くないのかとたずねることしかできない。もし彼が火傷をしようものなら、わたしのせいで大怪我をさせてしまったわけなので、どのような詫びを求められるのか心配になってしまう。


「熱いのは間違いないが心配は要らないよ。僕の手は特別製だから、この程度の温度じゃ壊れないよ」

「だからと言って、過信して重症になったら大変ですよ」


 彼の言葉をただの強がりだと思ったわたしは、彼の手からボールを奪ってそれを地面に置いた。

 今度はわたしの手が火傷しそうになるが、今回は数秒だけなので赤く腫れただけで大事はない。

 それよりもこの熱さを数分間触り続けた彼の手が無事なのだろうかと焦るわたしは自分の手の怪我など気にも止めずに彼の手を水で洗った。

 貴重な飲み水だが仕方がなかろう。


「あれ?」


 だが彼の手は本当に無事だった。

 熱のせいか真っ赤になっていた皮膚は水洗いで冷めたようで色は白く戻っており、火傷のあとはひとつもない。


「心配してくれたんだね。ありがとう」

「だってわたしのせいで火傷をしてしまったら申し訳がないし」

「誰かに会うなんて久しぶりすぎて、余計な不安を与えたのは僕が悪かった。さあ、この水を冷やしておいたから手を当てるといい」

「こちらこそありがとう……って、冷たい。どうなっているの?」


 今度はわたしの手が腫れてしまったので、ヨハネは冷やしたと言って、水の入ったペットボトルをわたしに渡した。言われた通りに両手でそれを持つと、その中の水は冷蔵庫に数時間入れた後のようにひんやりと冷えていた。

 一瞬のうちに、しかもドライアイスすらないこの場所で水を冷やした彼の力にわたしは驚きしかない。


「それはひとまず脇にどけよう。あまり時間を起きすぎると、中のパンが焦げてしまうし」


 彼の言葉に「そうね」と頷いたわたしは箸を使ってホイルを破り、そして中に入ったパンを取り出した。

 こんがり熱々に焼けたこのパンはいわゆる無発酵パンと呼ばれるもの。

 厚みはなくぺたんこではあるが、インドのチャパティ風に作ったのでカレーさえあれば最高の組み合わせと言えよう。

 具もカレーもない素のままなので少し寂しいが、それでも美味しく焼けたと思えるのは自画自賛かなとわたしも微笑む。


「これはアナタのぶんね」


 味見をして焼き上がりを確認したわたしは、半分に割ったパンの大きい方をヨハネに差し出した。

 彼がいなければ完成しなかったかもしれないし、それ以上にいろいろと聞きたいことも多いのでこれくらいは当然の出費だろう。


「ありがとう。でも僕はそちら小さいので構わなかったのだが」

「気にしなくても良いわよ。アナタの手も借りたいし」

「では僕も一口……うん、美味しいね。でもこれだけのパンを野外で作れるのなら、僕の協力なんて要らないんじゃないかな。立派にソロキャンプを楽しんでいるじゃないか」

「それは……今は備蓄があるから出来るだけなのよ。わたしひとりじゃ水の一滴も探せるかどうか」

「どう言うことかな? 行楽ならば、食料が尽きたら街に帰ればいいだけじゃないか」

「わたしね、気がついたらこの山にいたのよ。正直言うとここがどこかすらわかっていないの。アナタも日本語ができるようだしここが日本なのは間違い無さそうだけれど」

「待ってくれアマネ。この国はいつからニホンという名前になったんだ?」

「え?」

「僕が引きこもっている間にジャポネはどうなってしまったのさ」


 わたしの言葉の中に出てきた日本という単語にヨハネは驚いた。

 わたしからすれば彼がどうして驚いているのかがわからないし、彼が言うジャポネが何かもわからない。

 自分が置かれた状況を把握していないわたしには無理もない話である。


「日本は昔から日本に決まっているじゃない」

「そんな国、僕は知らない。キミはお伽噺の話をしてからかっているのか?」

「そんなわけないじゃない。逆に聞くけれど、ここは何て言う国なのよ」

「この国はジャポネ。そしてここはジャポネ一番の霊峰、シホウの山中さ」

「ジャポネ? シホウ?」


 ジャポネというのはなんとなく日本を差す外国語に似ているし、シホウと言うのも故郷の山がそういう異名で呼ばれていたという記憶がある。

 もしかしてヨハネが記憶している名前がおかしいのではと外国人と見くびったわたしは思うが、それは間違いだとすぐに気づかされる。


「丁字で書くとこう」


 ヨハネが地面に書いた二つの文字。

 それは見たこともない形をしていた。

 神話に出てくるルーンや神官文字に近いのだろうが、それらを読み解く知識もないわたしにはそれが読めない。


「読めないわ。それに丁字って?」

「そんなに流暢なジャポネ語が出来るのに丁字も知らないなんて訳がないだろう」

「本当なんだって。漢字だったら知っているけれど」


 今度はわたしが地面に日本と書いた。


「これが漢字? 初めて見る文字だ」

「そういうヨハネこそ冗談だよ。あれだけ日本語が上手なのに」


 お互いに文字にしたときの言葉の違い。

 その原因が何であるか気がついたのは、ヨハネが先だった。


「おかしいな。もしかしてキミは……」

「なにかわかったの? その勿体ぶる言い方」

「人伝にしか聞いたことがないが、ストレンジャーなのかも知れない」

「へ?」

「ジャポネニウムの近くで発生した空間の歪みが原因と言われる、異世界からの来訪者さ」


 急に異世界と言われてもわたしには実感がわかなかった。

 だが彼との食い違い、そしてそもそも洪水に巻き込まれたハズのわたしが気がつけば山の中という状況を説明する上で、異世界に来てしまったというのは荒唐無稽のようでその実、利にかなっていた。

 このテントや食料は異世界転生ものでよくある転生神からの贈り物と考えれば、チートを与えられるよりは現実的か。どうせ異世界に飛ばすのならばチートのひとつくらいくれてもいいのにと思いつつも、わたしは彼の手を取る。


「まさかわたしが?」

「言葉は通じるのに文字や地理が違うってのは、過去のストレンジャーとも一致する特徴さ」

「だったらヨハネ……お願いがあるんだけれど」

「何さ」

「わたしが元の世界に帰る日まで、わたしのこと匿ってよ」

「それは出来ない。ストレンジャーが元の世界に帰った例は聞いたことがないし、それに僕は人里を避けてこの山に暮らす亡霊だよ。キミが人里まで行く手助けはできるけれど、それ以上のことはとてもじゃないが面倒を見きれない」

「だったら帰る方法は自分で考えるとして、とりあえずアナタの家にわたしを置かせて」

「それは困る。いずれキミが僕を嫌ってしまうだろうから」

「そう言われてもこっちが困るわよ」

「どうして? 街に行って国の研究期間に出頭すれば、きっと匿ってくれるだろう。少なくとも昔はそういう制度があったよ」

「だって……そんな研究所とかひとりじゃ怖くていけないわよ。人見知りだし」

「ならどうして僕とはこうやって普通に話せるのさ」

「自分でもわからないわよ。だからアナタに協力してもらいたいと思ったのよ、ヨハネ」


 彼の手を取ったわたしは勢い余って彼を押し倒し、そして彼の唇を奪った。

 自分でも泣きつくだけのつもりだったのでここまでするつもりはなかったのだが、事故とはいえ初めてのキスにわたしの顔は眼の色と同じ赤になる。


「そこまでキミに覚悟があるのならば。僕はキミの口づけに答えよう」


 ヨハネは偶然とはいえキスをしてしまった責任を取ると言って起き上がる。

 とりあえずパンの残りを食べて片付けをしたわたしたちは、折り畳んだテントと荷物を分担して、ヨハネの住む家へと向かうことにした。

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