上田 春子(ウエダ ハルコ)の場合⑤

毎週末には必ず帰っていたが、3ヶ月を過ぎた頃から母の様子が急に変わった。


座ってはいるが、何か不安げで、いつも何かに触れていないと落ち着かないようでテーブルクロスやタオルなどを常にいじるようになった。


医師からは薬を変えることを勧められて飲ませてみたが、その薬は大人しくなる代わりに気力がなくなりいつもうつろな目をするようになった。


以前から暴れるようなことはなかったので、医師に相談して薬を弱めてもらうよう言ったが、一度変えてすぐに薬を変えると余計に症状が悪化することがあると言われ、仕方なく今の薬を続けた。


しかし、明らかに気力がない様子で、父はその母の姿を見て自室にこもって泣いていることもあった。


母が弱るに連れ父も弱った。


「食欲がない」

と作った食事にろくに手をつけず、すぐに自室にこもってしまう。


やはり、父には無理なようだ。


考えてみれば自分が愛した妻がみるみる変わっていってやがては自分のこともわからなくなるかもしれないという恐怖と常に対峙たいじしている。


それが"日常"になっているのだ。


正気を保てというほうがこくかもしれない。


しばらくすると父は母を寝かしつけた後、私の側に座り、母と父が若かった頃の話をするようになった。


「父さんな、恥ずかしい話やけど、母さんと付き合い始めた頃、まだ、仕事をはじめたばっかで、金がなかったんやけど、母さんがフルーツパフェ食べたい言うもんやから、心斎橋のフルーツパーラーに行って、母さんだけにパフェ注文して、ワシは水だけでがまんしたんや」

「うんうん」


「そしたら、母さんが『なんやあんた、なんも食べへんの』ってあっけらかんと聞きよるさかい、『あーちょーどくる前に飯食うたとこやったから今はなんもいらんわ』ゆうてごまかしたんや」

「へぇ、男らしいやん」


「でも、店の支払いしたら帰りの電車賃まで使うてしもて、心斎橋から家のあった森ノ宮まで歩いて帰る羽目になったんや」

「あははは、でも、お父さんカッコええわ」


「ま、それくらい可愛いくて、何でもしてやりたいくらい、惚れとったんやな。」


そう言ったあと父は薄っすらと涙を浮かべた。

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