上田 春子(ウエダ ハルコ)の場合④

翌朝は早朝に新幹線に乗り東京のオフィスに出社した。


出がけに父にくれぐれもやけを起こさないこと、何かあったら自分だけで抱えず、すぐに私に連絡を入れることを念押しして家を後にした。


昼休みに妹に連絡を取り、一連の出来事を伝えた。


しかし、妹は自らの子育てと遠距離を理由にあまり力になれないとすまなそうだけど、きっぱりと伝えてきた。


三日経った。


昨日も一昨日もメールをしたが、

父からの返信は


「大丈夫」

「問題ない」


の一言ずつだった。


土曜日になり、帰宅した。


「ただいま」

「あら、春ちゃんお帰り〜寒かったろぅ」


出迎えてくれたのは母だった。


父はいつものように居間に座り新聞を読んでいた。


「おかえり」


私の方を向くことなく、義務的に言っている感じだった。


「お茶淹れたよ。」


母がダイニングの私の定位置にお茶をおいてくれた。


「!」


でも、使われていた湯呑みはお客様用のものだった。


普通に見えてやっぱり普通じゃない。


父はこういう状況を毎日見ているのだろう。


普通なように振る舞われると、一瞬でも「大丈夫かも」いやもっと言えば「治った」いや「始めからこちらの勘違いだった。」くらいのことを考える。


でも、その期待や安心感を次の行動で瞬時に崩される。


こんな気持ちの浮き沈みが一緒にいる間ずっと続く。


よほどの強靭きょうじんな意思を持った人間でも、精神的に参るだろう。


「お父さん、大丈夫?よかったら少し散歩でも行ってきたら?私…みておくから。」

「ん?あーじゃ、少し出かけてくる。」


そういうと父は椅子にかけているジャンパーを羽織り玄関へ向かった。


父にも少しは息抜きの時間をあげないと共倒れになる。


仕事の合間を縫って認知症で苦しむ家族のことを綴ったブログをいくつか見た。


シチュエーションは様々だが、共通しているのは、無理が誰かに集中した時にその人から家族の形が崩壊する。


誰かひとりがかぶってはいけないこと。


手があるなら必ず分散させること。


患者を抱えた家族の鉄則だと書かれていた。


月曜日、会社に介護休暇の申請をした。


次の週末に帰り、月曜日と火曜日を休んで母の要介護申請をした。


これによって認定が降りれば介護保険でヘルパーが呼べる。


家族が共倒れにならないように、納めている税金の分は使わせてもらい、他人の力も借りる。


ひと月後、審査の結果、要介護2が付き、ヘルパーやデイサービスなど受けられるようになった。


しかし、ここで問題なのは母がまだ自分が認知症だとは自覚していないことだ。


父に相談して本人に伝えようと私が言うと


「それだけはやめてくれ」


と父は懇願した。


本当なら患者にも事実を伝え自らも進行を遅らせる努力をした方が治療効果は高くなると専門家の意見は述べていた。


それも話したが父はガンとして受け付けなかった。


母には悲しい思いはさせたくないというのだ。


冷静に考えれば、この選択は間違っている。


所謂いわゆる余命がわかっているようなガンであるとかなら患者に知らせないという選択をすることで最期の時を迎えるまで気持ちの負担をさせないというのも有効だろう。


しかし、認知症は違う。


言い方は悪いが、いつ亡くなるかなんて決まってない。


むしろ自覚がないままで事故などに遭遇して不慮の亡くなり方をすることだってある。

もちろん知らせたからと言って病が進行すればわからなくなってしまうのだが、それでも知ることで前向きに対処出来れば少しは進行を止めることができるという。


そのことも父には伝えたが結論は変わらなかった。

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