第4話 伊村 梨花(イムラ リカ)の場合①

「おはよ。」

「あぁ、お姉ちゃん、おはよ。」


私が朝食のトーストの一口目あたりに姉が起きてくる。


いつも通りの朝の光景。


父は既に家を出て今頃は都内行きのライナー電車に座って一眠りしている頃だ。


「じゃあ、戸締りお願いね!」


そう言うと勢いよく玄関のドアが開け放たれる。


母の出勤も1分のズレもない。


朝食を済ますと、次にトイレを済まし、予め玄関に置いておいたカバンをひったくるように持って家を出る。


姉は唯一自宅から車で15分のスーパーの事務職のため、戸締りは彼女の仕事と決まっている。


私は今年38歳、都内の割と大きな会社に勤めている。


でも、肩書きはアルバイト社員。


とはいうものの、既に12年目のベテランだ。


「おはようございます。」

「おはようございます。」

「おはよう。」


同僚や上司と朝の挨拶を交わす。

いつも通りの一日が始まる。


私の仕事は経理や部内の会議スケジュール等管理をすることだ。


自分で言うのもなんだが、12年も務めているだけあって仕事ぶりはテキパキしていて上司からの信頼も厚いと自負している。


その証拠に歴代の課長からは何度か正社員にならないかと誘いを受けたこともある。


しかしその度にその申し出を断っている。


それには明確な理由がある。


実は私の趣味は旅行だ。


それも海外旅行が多い、さらにその旅行はどちらかと言うとあまりメジャーな場所ではなく人が行かないような秘境や社会主義国家などがほとんどだ。


しかも、大抵は姉と2人か、一人旅で行く。


女の一人旅で行くようなところでは無い。


そのため会社には旅行に行く時、行き場所を告げる事はほとんどない。


一度旅行に行く時に、上司に行き先を尋ねられ

「キューバに行きます。」

と言うと相当に心配された。


「親御さんは知っているのか」

とか

「やっぱりやめたほうが」

などしつこく言われた。


それ以来、どこへ行くか聞かれても「ちょっと」とか言って誤魔化している。


姉も変わり種だ。


歳が二つしか違わないためか、小さい頃からとても仲が良く、めったにケンカもしなかったし、大人になってからは一度たりとも争った事はなかった。


そして旅行好きという趣味も合っていて、仕事の休みを合わせては、一緒に旅行に行っている。


もちろん行先は秘境や日本人が好んでいかないところだ。


少し説明が、長くなったが、つまり、旅行に行くために長期の休みをもらう。


そのためには正社員だと制限があり長期の休みを取ることができない。


だから、正社員にはなる気がなかった。



「梨花ちゃん、お昼行く?」

「はい、行きます!」


誘ってくれたのは部署の重鎮53歳の浮田さん。


キャリア31年目のベテラン経理係だ。


家族は夫と息子が一人。


結婚が遅く、お子さんが年齢の割にはまだ高校1年生だ。


性格はきつい。


以前入ったばかりのアルバイト社員に、相当辛く当たって、辞めさせた。


でも、なぜか私のことは気に入ってくれているようで、いつもお昼は一緒だ。


「あ、私もいきまーす。」


こちらは44歳の大塚さん。


この人は結婚しているが、子供はいない。


しかも旦那が海外に単身赴任中。


たいてい昼はこの3人に時によって一人二人加わる。


「ったく、課長の今日のネクタイ見たぁ?」

「見た見た。センスのかけらもないわ。」


「でしょー。奥さん少しはなんか言わないのかしらね。」

「言わないわよ。うちだって言わないもの。きっとうちの旦那も会社で女子社員に『センスないわ』っていわれてるわきっと。」


「あははは、そんで『奥さんは見ないのかしら』とか言われてるかもね。」

「だよねー。あははは。」


典型的なおばさんの会話。


話題といえば会社や上司の悪口、別の課の女子社員の悪口、それとありえない恋バナ(妄想のみ)ばかりだ。


でも、私はいつもニコニコしながらその会話を聞いている。


心の中ではものすごく馬鹿にしてるけど、表面的には興味ありそうに、楽しそうに聞いている。


それが、こういう会社の女子社員の中で生きていくための処世術しょせいじゅつだ。


「そう言えば、新しく来た、えっとぉなんだっけ、総務の男の子。」

「あぁ、滝澤君ね。あのイケメン。」


「梨花ちゃんどうよ?」


突然振ってきた。


「えぇ?どうって?」

「またまたぁ、男としてどうってことよ。」


「男として・・・ですか?」

「そうよ。確か年齢は32って言ってたわよ。まだ独身だし。背は高いし、仕事もそこそこできそうじゃない。」


「・・・・・。」

「それに言葉遣いに品があるわ。優しそうだしね。」


「梨花ちゃん年下は?」

「え?年下ですか?あんまり考えたことないです。」


「そうぉ、でも、ほら平均寿命からいって男のほうが6年くらい早く死ぬから、6歳くらい年下でもいいんじゃない。」

「はぁ、でも、わたしやっぱり男性は年上のほうがいいかなぁって。」


「何言ってんの、梨花ちゃんより年上じゃ、もうおっさんよ。」


少しカチンときた。

でも、顔には出さず。


「まぁ、そりゃそうですけど。おじさんだっていいかなぁって。」

「だめだめ、子供がかわいそうよ。お母さんはまだしもお父さんが周りのパパよりおっさんじゃ、引け目感じるわよ。」


思わず、運動会で(将来の)息子と(将来の)パパが二人三脚をしてるけど、パパがおっさん過ぎてついていけず転んでいる姿を想像してしまった。


大塚さんも追い打ちをかける。


「ぜったい若い男のほうがいいって。うちなんか8つも上でしょ。もう本当にじじいよ。

あっちのほうだってもうずーっとご無沙汰。やんなっちゃう。」


あっちってどっち?


そういう悩みもあるんだと改めて考えさせられた。


「だからさ、滝澤君に決めちゃいなよ。」


いやいや、こっちで勝手に決められない。


「結構梨花ちゃんにお似合いよ。」


大塚さんもかぶせてくる。


「何なら私が言ってあげようか。」


余計なことするなよ、おばさん。


「いやぁ、流石に急過ぎます。」

「んーそっか、そりゃそーか。」


笑いながら浮田さんが言う。


「そーだね。」


大塚さんも被せて言う。


「でさぁ、この間、駅前のパン屋に行ったらさぁ…。」


既に話題が変わっている。


これがこの人たちの会話のパターン。


さほど、自分たちに興味のない話を終わらそうとする時決まって使うパターンだ。


つまり、私の恋愛や結婚なんかに興味はないということである。

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