古田由緒(フルタ ユイ)の場合③

母は、父の入院中、それは献身的に世話をしていた。


毎日欠かさず病室に詰め、家族でも退出しなければならない時間(だいたい午後九時)まで、ずっと病室にいた。


父が亡くなって遺体が帰宅した時も、片時かたときも離れずに、そばにいて、夜も一緒に寝るほどだった。


そして、私とは対象的に、毎日泣いた。


出棺の日まで泣かない日は一日もなかった。


荼毘だびに付され、お骨になっても四十九日まで、そのそばを離れず、大袈裟でなく、母はお骨を抱いて寝ていた。


そして、納骨が近づくと私たちに


「やっぱり、お骨はお墓に入れないとダメかね」


と本気で言っていて正直妹と二人でゾッとした。


しかし、それも無理のないことではあった。


ちょうど私と妹が父に反発をしていた思春期の頃、母に父の愚痴を言っていた時、話してくれたのだが、父と母は本当に『大恋愛』だったらしく、しかし、両方の親からはすごい反対にあっていて、結局お互いに家を捨てて駆け落ちをして、今の住まいのあるこの八王子で暮らし始めたとのことだった。

(その後、父の実家だけは許しが出たらしい)


ちょっとしたドラマのような話だが、本当に燃え上がるような恋をしたのだと、嬉しそうに母は語っていた。


母には父と二人だけでやってきたという強い思いがあったのだろう。


その「支え」がなくなった(未だに母方の実家は駆け落ちのことを許していない)のだから、そのショックは私が彼を失った比ではないだろう。


母にとって父は『すべて』だった。


納骨のあと、母は本当に気力を失い、食べるものもろくに摂らず、家から出ることもなく、父の仏壇の前で日がな一日を過ごしている状態だった。


私や妹も、もしかして後追い自殺をしてしまうのではないかと心配で、とにかく仕事が終わるとまっすぐ家へ帰った。


休日も外出をせず、母に付き添い、食事こそ摂ったが、とにかく母から目が離せなかった。


おかげで、こちらも日々ストレスがたまり、体重が急に増え、肌が荒れてボロボロになるほどだった。


数ヶ月して妹と


「このままでは家族共倒れになる」


と話して、『母の監視』は週替わりに行うようにした。


それでも、心配は尽きず、できるだけ家に早く帰りたいという思いもあり、友達との付き合いはもちろん、合コンなどにも誘われていたが、すべて断り、そのため、出会いなどまるで望めなかった。


そんな生活が一年も続いた頃、私は転勤になった。


私は総合職ではないので、転勤といっても自宅から通える範囲と決められていた。


しかし、それでも今までいた部署よりは通勤が遠く、プラス三十分もかかり、往復の通勤だけで三時間も取られる状況になった。


また、仕事の内容は今までとさほど変わらなかったが、今までより人の少ない部署だったため、その分働く量は増え、残業も余儀無くされた。


この時ほど自分の運命を呪ったことはなかった。


そんな時だった。


上司というか、先輩というか、私よりは15歳は違う(当時43歳)男性社員と仕事上のペアになった。


ペアの仕事というのは簡単にいうと営業である相手の事務的な処理を行うもので、席も隣になり、当然、毎日話をして、時には遅くまで一緒に仕事をするようになった。


また、その人はいわゆるその部署では中心的に仕事をする人だったので、上司や仲間からの信頼も厚く、よく仕事もできた。


また、誰にでも分け隔てなく接し、しかし、後輩が間違ったことをすれば容赦無く叱り、でも、その後は必ずその後輩を飲みに誘うといった気配りのできる人だった。


だから、人間的にも魅力があった。

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