第6話 ⑥
⑥
「今回の依頼は新兵器のテストです。ちょうどTTKに試作品があり、これが今後のニーズに堪えられるか確認したい。また、有事に対する日本政府の対応も見てみたい。こちらは海外の希望によるものですが。」
あたしは聞き返す。
「新兵器の実験?大規模な工作や難しい作戦はあたし達には不可能です。」
「存じています。」
そう言って、先ほどの小さなビニール袋を取りあげる。気がつかなかったが小さなビニール袋にはジップロックの様なチャックが付いていて、中に2、3個の小石みたいなものが入っている。
「なんですか?」
差し出されたビニールを受け取る。小石のような黒い物を薄明かりに照らし見てみると、小さな貝だった。
「試作品2918です。」
“ニクイヤ”多意味な名前だ。憎いや?肉嫌?菜食主義のイメージが湧く。
「淡水性の巻貝です。これを渓谷や小川に放流してください。綺麗な水が良いです。蛍が生息しているような清水が望ましいです。」
「蛍?」
意外な場所に新兵器だ。
「これは試作段階の生物兵器です。機能を発揮する環境が限られます。」
「これが人間を襲うの?」
「機能については言えません。ただ、素手で触ったり、放流した水に触れないようお願いします。」
「毒をだすのね?」
「まあ…。」
それには答えず、桐谷が言う。
「試作品2918はロッカーに中にあと数点あります。それをポイントに放流してください。試作品についてお話しできる事はここまでです。」
桐谷の水割りが薄まっていた。あたしは新しく造る。
「こんな目立つ場所に座って、その試作品までを持ち出して構わないんですの?」
ここは店内のどこからでも見えるお立ち台だ。
「構いません。むしろ、抑制力が働きます。」
新しい水割りに口をつけ、桐谷が言う。
「抑制力?どういう意味ですか?」
情報として肉嫌い克服のヒントをつかまなくてはいけない。あたしは会話を引き延ばす。桐谷は、時計を再度確認し、言った。
「その前に、タクシーを呼んでもらえますか?異なるタクシー会社の車を2台。もちろん料金はその分、お支払いします。」
あたしは黒服君を探した。タイミング良く現れた黒服君。言われた通りにタクシーをお願いすると、「10分程で到着するそうです。」と報告も忘れない。この子は気転の効く働き者。今まで気がつかなくてごめんね。
「今回お願いする理由は、例の薬が海外で評判になり、TTKの名前が表面に出てしまいました。日本政府にも知られてしまい、私も多少有名になったようです。」
そう言って桐谷はグビグビっと水割りを飲む。あたしもすっかり薄まった水割りに口をつけた。グラスはまだ冷たい。
「私が持っている情報等を多くの組織が狙っています。もちろん私自身も狙われています。もし、私が隠れていて、見つかった場合、どうなるでしょうか?もちろん、拉致され、殺されますね。簡単に。」
桐谷は続ける。
「しかし、同時に複数の組織に見つかった場合、どうなるか?ここに抑制力が働くのです。みんなが狙っている最後のケーキと同じです。不思議なものですね、人間の心理っていうものは。」
舌足らずな説明だが何となく肯ける。この店の情報、あたしの情報、やはり最後のケーキだろう。
「これからの時代は人間の“心理”がキーワードです。兵器には大量破壊、大量殺人の効果はいらないというのがTTKの判断です。では、何が必要な効果か?そのヒントが歴史の中にありました。」
「なんですの?」
歴史はあまり好きでない。どこの国でも争いばっかりだ。「食いものよこせ、カネよこせ、よこさねば喰ってやる~」人間なんて昔話の山姥でしかない。桐谷はあっさり答えた。
「感情です。」
「感情?」
「人間の持つ感情ですよ。人間は感情最優先で行動します。それはモラルにも教育にも勝ります。感情はすさまじいエネルギーですよ。」
「………。そうね」
素直に頷ける。
「どんな時代も戦争のきっかけは“欲”という感情でした。」
政治家の“欲”、山姥の“欲”戦争を起こす“欲”。人間は妖怪だ。
「欲とこの貝の関係を知りたいわね。」
桐谷はじろりとあたしを見た。
「もう一つだけ試作品2918についてお伝えします。この試作品は“欲”でなく“欲張り”に作用します。」
「なにそれ?」
素っ頓狂な新兵器だ。
あたしの横を例の女の子が再び通り過ぎた。お尻フリフリ、手のひらひらひら、ヘンだ。あたしは彼女に意識的な動きを感じた。黒ガラスの向こうにある桐谷の眼が再び追っている。
― なに?まさか!
気持ちが会話から離れた。
途端に鼓動が速くなり、忘れていた熱さがよみがえってくる。頭も疼きだした。治まった頭痛の再発だろうか。
「恐怖には2種類あると思います。未知の物に対する恐怖、かっての恐怖を再体験する恐怖。この恐怖から逃れるため、人間はどんなことでも行いますよ。」
「失礼します。」
黒服君が近寄る。タクシーが一台着いたそうだ。待たせておいてと伝える。頭の疼きは広がり続ける。
「兵器は殺人兵器です。しかし、抑止力でもあります。一方しか持たない兵器は殺人兵器ですが、双方にある場合、抑止力となります。世界はまだ原始的です。世界各国のバランスは簡単に崩れます。TTKは兵器供給でそのバランスを取り、世界的な混乱を防いでいる組織なのですがね。」
再度、黒服君が近づいてきた。まとまった現金を置き、桐谷は立ち上がる。
「わかりました。少し、お時間いただきますが、お受けいたします。」
あたしは答えた。見送りのため、共に立ち上がる。
桐谷は無表情で、「お願いします。」とぼそっと呟いた。その時、あたしの視界の隅に人影が見えた。さりげなくフロアを見渡すと、人影は2、3ある。その時、タイミング良く白色光線とオレンジビームが店内を走った。
見慣れない男達がちらりちらりとこちらを窺っている。あたしはスタッフを探してフロアに目を走らせる。夜の商売はトラブルも多い。RSTTの活動外だが、暴力的トラブルへの訓練も軽く積んでいる。
スタッフがいた。指示を待つようにあたしを見つめ、カウンター際に立っている。あたしは彼の目を見る。彼らもあたしの目を見る。そうして、彼らは行動を開始するハズだった。
しかし、今夜はいつものように視線が合わない。
― なぜかしら?
彼らの視線があたしを飛び越えている事を知った。とたんに、背中に冷たさを感じた。
あたしは振り返った。桐谷が背後に立っている。顎がかすかに動き、何らかの合図を今、確実にした。浮かび上がった頭頂部にちょっと長めの毛が一本、ゆらゆらと揺れている。
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