第4話 ④
「政府が軍備増強に踏み切ったのをご存知ですか。」
桐谷は使用したおしぼりを再び手に取った。てかてかと黒光りする口髭を何度も拭う。
「うっすらと小耳に挟みました。」
本当はソコソコ知っていた。この店には政府関係者のお客様も少なくはない。中にはポロリと機密事項を漏らす方もいる。
しかし、建前でも、軍事力を持たない国で軍備増強、兵隊増員が行われるのだから滅茶苦茶だ。所詮、剣はペンより強く、『基本的人権』は居酒屋のメニュー表程度の印刷物なのだろう。
「平和憲法を謳っている国で、軍備増強なんてできるの?」
「徴兵制を導入したわけではなく、『就職先の一つ』という考え方で、平和憲法を守っている考えのようです。解釈を広げました。」
「TVで兵隊さんの募集CM、見ましたわ。」
「そうですか。」
桐谷は続ける。日本が国家再生を目指し、現代法の改正を行った事。改正法は『全体主義』の内容である事。
「でも、『全体主義』って、時代錯誤じゃありません?」
「そうかもしれませんが、歴史の中で何度も効果的な国家再生の方法だと考えられました。」
「結果としてうまくいかなかったわよね。」
歴史を振り返りあたしが言う。
「ほっとけば、ダメになるわよ。」
「そうかもしれません。違うかもしれません。」
今度は手を拭きながら桐谷は言う。あたしは図々しい性格が現れ、たまに口調が変わる。
「過去において失敗した例は、指導者のカリスマ性が失われた事が大きいと思います。もし、あのカリスマ性が維持でき、国民の狂信的な忠誠心が続いた場合、歴史は変わったと思いませんか。」
「そうかもしれないけど、難しいわね。」
「そうですね。指導者に対する狂信的な忠誠心と神に対する信仰心は同じようなものです。リターンを求めず、不当な評価や、困難に耐え継続、維持する。常人には難しい事です。しかし、その先に万に一つの『奇跡』があります。」
十分に使いきったおしぼりを四角くたたみ、テーブルの隅に置く。カウンターから見ていたのだろう黒服君が新しいおしぼりを届けてくれた。「失礼します」と礼儀も正しい。あたしは氷の交換をお願いした。
「『奇跡』なんて言葉を使うのね。神様を信じているのかしら?」
改正後の法律でも信仰の自由は保障されているはずだ。
「狂信的な忠誠心、信仰の先に想像を超えた結果が現れる事は認識しています。」
桐谷はあたしの質問にどちらともいえないような答えをした。薄明かりの中、桐谷の黒いスーツが修道着に見える。そして、鎌を振る神様にも似ているように思える。
桐谷はそのポケットから煙草を取り出した。さらに、左右のポケットを探り、もそりと100円ライターを取り出す。
―“これって?”
ピクッとあたしの身体が震えた。
「ああ、これは大丈夫です。」
そう言って、桐谷は何気なく火をつけた。
ライターの炎で照らされた桐谷の顔。眼鏡の奥の細い眼に炎が映る。炎はすぐに消え、ふーっつと煙が広がった。
業界人らしからぬが、コイツには煙草の火ぐらいテメエでしろと云い放ちたい。
「私たちは日本の『全体主義』を防ぐ理由は無いのです。この国が民主主義、全体主義、君主制、天皇主権制、何をやってもかまわない。ただこの件は海外でかなり問題視されています。」
桐谷は続けた。
「この国の国民は勤勉、忠実です。多分、日本人のDNAにそのような物が含まれているのでしょう。モラルやルールに自ら従おうとするDNAが。」
スッと近くを店の子が通った。黒髪と褐色の肌が綺麗な女の子。その姿を黒ガラス越しの目が追いかけた。
「それ自体は素晴らしい能力です。独自の企業形態で、急激な経済成長を遂げたことからも証明されています。従順で協調性を重んじる事は日本人の特徴だと思います。しかし、反面、強者に弱いという点が指摘できます。強者に従う。強者の作ったルールに従う。それらに何の疑問も感じず、考えようともしない多くの国民性。強者とは上司、資産家、著名人やタレントを指します。もちろん、筆頭は政治家ですが。」
桐谷の煙草は赤く、目に沁みる。
「この中の誰かが走り出せば、何も考えず伴走する国民です。妄想に取りつかれた強者への伴走を、国民がこの歪んだ伴走を始めたらどうなるか?この国の歴史を見れば分ります。海外ではそれを危惧しています。」
狂信DNAを有する国民。
それはあたしにも分かる。歴史の中だけでない、今の社会でも到る所にそれを感じる。
「ご依頼は黄門様から?」
「ははは。」
あたしは桐谷が持って来たライターをちらっと見た。あの時、使用した物もこんな感じで普通の100円ライターに見えた。
「それで。」
あたしは促す。重要な事は何一つ聞けていない。顔のわりに小さすぎる丸眼鏡が再び光った。
「自衛官募集の政府広告をご覧になりましたよね。先ほども言いましたが、あれはこの国の徴兵制の再開を意味します。」
言葉が続く。
『全体主義』に必要なものは思想。
それが狂信的な絆で結びついたものが理想的である。
日本人はその才能に恵まれた民族である。
それは、歴史が証明している。
「改正法ですが、」
桐谷は超低音で話す。ニュースでチクリまくる元○○関係者の声にそっくりだ。
「教育機関への思想教育も指示しています。思想教育といっても、『神国日本』って方法ではありません。民族、家族、友達、教師、友人などの関係を強化し、『絆』を強くさせる事を念頭に置き、指導しています。」
「良い事よね。目的が違っていれば。」
「そうですね。」
口先だけの同意を桐谷はした。
「ここで、あの薬物を使います。それにより、一層、効果的になります。」
「えっつ、子供を薬物中毒にさせるの?」
「はい。」
桐谷は続ける。
「子供は兵隊予備軍なので、思想教育のほかに必要な物があります。そちらを補う目的に使われるようです。」
「なによ、それ?」
「健康な体です。」
「! 」
このような話に子供が関係すると気が滅入る。
自分の煙草を許可なく取り出し、テーブルに置かれたライターで勝手に火をつけた。桐谷はじっとあたしとライターを見る。
「乱れた食生活や健康態度によって“ぶよぶよ”になった体では、兵隊は無理です。まあ、完全に無理な訳ではありませんが、成人病の軍隊では機能は低下します。」
桐谷の言葉に納得する。
「薬物中毒と健康な体は矛盾すると思うけど。」
「そんな事はありません。同時に何を摂取するか、それだけを摂取するかの違いが大きいのです。」
「どういう事?」
「薬物のみの偏った摂取ですと問題が出ます。適度に投与をコントロールすると、いい効果を表す事が多いのです。」
「ヘー。初耳。」
「薬物に限らず過ぎた偏食は肉体に悪影響を与えます。いわゆるジャンクフードですね、これの依存症による健康被害は、国内だけでも数億円です。」
「ふーん」
桐谷の言葉を聞き流す。あたしはハンバーガーもポテトも好きだ。
「依存症は肉体、精神に関わっています。ですので、治療薬はその両方に効果が必要です。」
「そうやって、人間をコントロールするの?」
ジャブ程度の挑発をしてみる。隠された真意を探る為だ。
「コントロールでは無く、治療です。誤解されていますが、コカインはインディアンの秘薬でしたからね。これを用いて、呪術的な治療法を行い、精神病への優れた効果を残しました。」
そう言って桐谷は煙を吐き出す。煙は薄明かりの中を広がり、消えていく。
「さらに、子供は大人になります。親になります。親が子供をどのように教育するか知っていますか?」
「何となく。でも、自信が無いわ。」
「簡単に説明すると、“自分と同じように”か“自分と違うように”です。この場合、どちらでしょうね。」
あたしも煙を吐き出した。もやもやっと広がる。煙は便利だ。見たくない物、見せたくない物を隠してくれる。
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