愛と愛と愛
「ならば、愛とはなんだ?」
唐突に言われ、わたしは面喰らった。
「なんだとは、どういうことだ?」
かれは、心無しか顔を赤らめたようだった。無論、店のこの暗さでわかるはずもないが。
「この前、おまえは言ったじゃないか。恋は憑くと」
思わず吹き出してしまった。
「憶えていたのか?」
「悪いか」
拗ねた声。
「いや、悪くなどないが……、意外だな」
「どうしてだ」
憮然とする。
「俺の言葉を、おまえが気にするとは思ってもいなかったからさ」
「馬鹿にしているのか」
思いがけずいきり立つかれに、わたしは宥めるように両手をあげた。
「すまない。馬鹿にしたことなんかない。一度も。いままでもないし、これからもない。一生ない」
かれは口のなかでなにやらもごもご言っていたが、手元のグラスを掴むと、一気に喉へ流し込んだ。
「なら、教えろ」
わたしは苦笑した。その笑みが、またもやかれの気に障ったらしい。あわてて表情を取り繕って、なるべく厳かな声音で言った。
「愛は棲む」
「すむ?」
「棲みつくんだ。知らぬうちにな」
「それでは、化けものじゃないか」
「化けものさ」
もっと崇高な解答を期待していたらしい。わたしは人の悪い笑みを浮かべ、言ってやった。
「自分の知らないうちに取り憑かれる。望まなくても棲みついてくるんだぞ。ついたらついたで、こちらの言うことなんか聞こうともしない。やりたい放題に暴れつくして、残るのは炭みたいなスカスカの残骸ばかりだ。おまえ、なんだと思っていたんだ? まさか、ガキのようにこの愛は永遠に、か?」
かれは奇妙な目でわたしを見返していたが、突然、わたしの手からグラスを取り上げ、カウンターに置いた。
「飲み過ぎだぞ、おまえ」
「俺が?」
たかがこれしき。酔うほどではない。
ただ、意識がゆるむ。言わないでもよいことを口にする。喋らずにはいられない。
——おまえの困った顔が見たい。
「帰るぞ」
伝票を取ったかれに、嫌だとは言えなかった。
わたしはのろのろと鞄を取ると、着古したバーバリーを探した。うろつく視線の先で、それはかれの腕にあった。無造作に伸びてかけられ、ぶらぶらと揺れている。その上にある顔はわたしへ向かって、ぶっきらぼうに顎をしゃくった。
「行くぞ」
胸が苦しい。心臓が痛い。たったそれだけのことで、なにがこれほどまでに切ないのだろう。
わたしは口の端に笑みをのぼらせ、自分へ向かって小さく首を振った。
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