第5-20話 他者の基準点

 ファンからしたら嬉しいだろうな。何年も休載していた漫画家が最新話を出せばネットは騒ぎ、最終話を数年越しに上映したら社会現象だ。俺もその熱は理解できる。

「どんな意見でも日の出を見られるのは嬉しいんです」

「そういうもんかねぇ」

「それよりも本当にどうしましょう。観る映画全く決まらないですね」

「んーネタ提供のために見ると思うとやっぱりこれじゃないのか」

 ど定番の恋愛映画を指差す。高校生同士の青春物。謳い文句は『転校から始まる運命』だそうだ。どこかで聞いたような。

「これにしますか」

 随分とあっさり決めるんだな。もっと慎重になるもんだとばっかり。

「だって私たちの取材は映画を見ることではありませんからね。どんな流れで一日を過ごしていくのかを知りたいんです」

 櫻尾の言うとおりかも。何をしたか具体的に詰めすぎるとアウトプットに面白みがなくなってしまうかもしれない。実体験しか書けないからな。その点、ある程度、自由に動ける枠組みを作れば描写の幅が増えるんだろう。問題は執筆未経験の俺がそんなに上手く出来るかどうかだな。

「チケット取ってくるか。ちょっと待ってな」

「いいえ、ついていきますよ」

「一人で十分だろう」

「それこそ体験したいところじゃないですか。カップルは一体どうやって席を選ぶのか」

 悩むようなことか? みんな真ん中に座って見たいだろうに。

「私なんか背が低いから前に人がいない真ん中からずれた席を選ぶんです。あと、できれば後ろの方」

「なんで?」

 左右にずれるのはわかるが後ろとは

「始まる時に今からどれくらいの人が一緒の空間にいるのか知りたくて。変ですかね」

「変わってるな。けど、いいんじゃないか」

 櫻尾に言われて考える。これから観る映画を見ず知らずの人と同じ空間で体験するんだ。改めると不思議なことだな。

「私のアンテナがどれくらい正しいのか知りたくて」

「俺の純真さを返せ」

 そんな会話をしているうちに自分たちの番になった。タッチパネルを操作して目的の映画を選ぶ。席はどうしようか。とりあえず櫻尾の意見を聞いておく。前に人がいなさそうなちょっとだけずれた場所にする。学生二枚のチケットが画面下から流れてきた。

「はいこれ」

「ありがとうございます」

 これで目の前に誰かが座ったら俺の運がないってことだな。上映まで三十分もあるんだ。可能性はまだあるんだから。

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