60,ツケが回ってきた!

「いらっしゃーい、おはよう」


「おはようおばちゃん!」


 4月下旬、土曜日の朝6時半。世間はゴールデンウィーク突入だというのに、きょうも休日返上で中島スポーツ公園へ向かう、まだ夢の中にいたい女子、白浜沙希。眠い。


 いつものようにスポーツドリンクと水を1本ずつカゴに入れたとき、私しか客のいなかった店内にもう一人入ってきた。


「いらっしゃーい、おはよう」


「おはようございます」


 あ、香川屋とか海で見るお姉さんだ。朝から透き通る綺麗な声。この辺の人は交流がなくてもだいたい顔見知り。


「お願いしまーす」


「はいありがとう」


 お姉さんを横目に、私はレジに商品を持っていった。レジ打ちするおばちゃんは心なしかいつもより元気がない。目にはクマができている。


「どしたのおばちゃん。なんか元気なくない?」


「あらそう? なんでもないわよ」


 なんでもないと言ったときは、何かあったり本当になんでもなかったりする。


「そっか、私ね、おばちゃんに会いたくてここに来るんだよ。お店に入っておばちゃんの顔を見たり声を聞いたりすると、安心するんだ」


「そうなの、ありがとう」


「うん、コンビニは色んなものを一度に買えて便利だけどね、それだけを求めるなら他のコンビニもたくさんある。私ね、おばちゃんがいない時間帯は別のところに行ってるんだよ」


 私は言わずともおばちゃんがICカードの決済モードに設定してくれたのを確認し、ライトが点滅する端末にカードをかざした。


「実はね、昨夜あまり眠れなくて、そのせいか動作が遅くなってね、さっきお客さんに怒られちゃったの。スーツ着たおじさん。早くしろよババア、仕事できないなら辞めろって」


「酷い、そこまで言わなくても」


「でもね、きっとその人も限界なのよ、1分、1秒も待てない理由があるのよ」


「そっかぁ、なんかほんと、大人も子供も、仕事とか勉強で忙しいのか、目が内を向いてるっていうか、何かに囚われてるみたいな人多いもんね。やだな、大人になりたくない」


 そういえば電車通勤をしているお父さんが、ちょっとしたタイミングのズレで乗車率が少し低い電車に乗れなくなるって言ってたっけ。その少しの差が、人と人との間隔に数センチの差を生む。


 ラッシュはつらい。横浜や横須賀へ遠征したときの帰りに乗る電車は通勤時間帯のピーク前でも激混み。私らみたいな定期外の乗客は、定期券で通う人にとってはさぞ邪魔だろう。


「そうね、お勉強していい大学に進んでおっきい会社に入ったからって、このご時世、厳しいものね」


「だよねー」


「でも若いころ、私みたいに遊び過ぎると定職もなくアルバイトや内職の日々よ」


「失礼だけど、どう生きれば良いのやら」


「好きなことに、真面目に向き合って進めばいいんだと思いますよ、きっと」


 背後から透き通った声がした。カゴには4、5本の栄養ドリンクと栄養補給系のゼリーが入っている。


「あ、どうも、香川屋とか海で見るお姉さん」


「でも、好きに生きたら私みたいになっちゃうわよ」


 おばちゃんがお姉さんに憂いを含んで反論した。


「失礼、好きなことのプロになる、ということですね」


「それがどれだけ狭き門か」


 おばちゃんは嘆いた。


「でも、挑まなければ始まりません。学生さんでしたら、後のことを考えるのはそれからです」


「ふむふむ、ちなみにお姉さんはどんなお仕事をしてるんですか?」


「私は絵本作家です。一枚の絵に色々な情報を詰め込むお仕事なので、頭も心も使いますが、特に絵に描いていないことを読者の方に自ずと想像させる絵が描けたときはやりがいを感じますし、感想をいただけたときはとても嬉しいです」


「な、なるほど。大変そう……」


「大変ですが、好きなことなので、好きでもないことの単純作業よりずっと楽しいですよ。歳を重ねる度に去年の自分を振り返ると成長も実感できて、一石二鳥です」


 そう語るお姉さんの目は手間暇かけて磨き上げた宝石のようにキラキラしていて、私も少しずつこんな大人になってゆけたらと、憧れを抱いた。


「確かに、うーん、そっかぁ」


「でもね、仕事に大切なのは、誰かに喜んでもらえることだと思うんです。自己満足だけで描いた絵本では虚しいですし、他のお仕事でも、お金儲けのためだけにやっていたら、きっと大切なことを見失ってしまいます。もしいまの自分の仕事が好きじゃなくても、喜んでもらえる、何かの役に立っている実感があれば、それはやがて好きなことに変わるのかもしれません」


「そうね、それはそうだ」


 お姉さんの持論におばちゃんがうんうんと頷いた。そしてこう付け加えた。


「だって私、あなたたちや親しく接してくれるお客さんに会えるから、この仕事を続けているんだもの。がっかりすることもあるけど、みんなに会えるのが楽しみで、笑顔だったり、落ち込んでる日もあったり、そんな人たちの暮らしの一部に私もいるんだって思うと、孤独感から救われるのよ」


「おおお! おばちゃん! 私、部活引退しても朝コンビニに用事があったらここに来るからね!」


 私は両手でおばちゃんの手を握り、がしがし上下動させた。


 コンビニを出たとき、お姉さんから名刺をもらった。ほしかわみそら、という作家らしい。青い小鳥の描かれたそれには彼女のホームページのURLとQRコードが記されている。


 コンビニでお姉さんとお別れし、スポーツ公園へ急いだ。遅刻ギリギリに着いたのに、翔馬の姿が見当たらない。本間アンナもいない。もしかしてデート?


「全員揃ったな」


 顧問のセンコーが言った。


「篠崎だが、事故に遭って脚を複雑骨折した。昨夜の下校中、自転車で左側のレーンを走っていたとき、対向車線から急に自分のほうへ渡って逆走してきた自転車を咄嗟に避けたら転倒したらしい。部活への復帰は絶望的だそうだ」


 センコーの発表に、部員たちは意外にも反応が薄かった。どうやら女子二人と雑魚男子二人、武道は知っていたらしい。本間アンナはお見舞いに行っているとのこと。逆走自転車の運転者は逃走し、警察が行方を追っているそうだ。交通違反による事故のため、賠償金はとんでもない額になる可能性がある。


 ストイックに部活と勉強を頑張ってきた結果がこれか。


 でもな、なんだかな、思うところ、あるよな。


 これで、陸は翔馬にリベンジを果たせなくなった。なんともやるせない結末だ。

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