58,つぐみ、二股女に直撃

「合田武道マジキモい、存在がキモい」


「ね~」


「暑苦しいよね。自分の存在が迷惑だって気付いてないのかな?」


 登夢道とむどうで美味しく楽しい食事をした翌週。八重桜が満開を迎えたころの横須賀、不入斗いりやまず競技場。きょうも陸上の大会でここに来ている。私たち鵠沼くげぬま海岸学院が張ったテントの隣、湘南海岸学院のテントから、女子三人組の会話が聞こえてきた。


 どうしてそんな酷いことを言われなきゃいけないの?


 大好きな彼の悪口を目の前で言われ、私は怒りをぐっと堪える。


 いまここで何も考えずに出しゃばれば、彼への攻撃がかえってエスカレートしかねない。


 なんとなく予想はついていたけれど、普段から武道くんが気を悪くしているのはやっぱりこの人たちだったんだ。


 湘南海岸学院のテントの中には他に、部長の篠崎翔馬がいる。中学時代、好意を抱き心臓が張り裂けそうな想いで告白した私の心をズタズタに踏みにじった男。


 しばらく様子を見ていると、篠崎がユニフォームの上にウインドブレイカーを羽織り、テントを出た。男子3千メートル走の開始時間が近付き、つい先ほどうちの部長、種差陸くんもテントを出たばかり。


 数分後、三人組のリーダー格、本間アンナがテントを出た。彼女がどの種目に出場するかは知らない。


 本間がテントを出ると悪口トークは一時止み、数十秒後、残った二人が再び喋り始めた。


「篠崎のこと追いかけてったね」


「篠崎、競技の前にイチャついてあげると調子が良くなるんだって」


「アンナ献身的だね~、さすが彼女、いつまで二股続ける気なんだろう。もう一人の彼だってこの競技場に来てるのに、バレるの時間の問題じゃない?」


「だね、二人とも付き合ってるの直隠ひたかくしてるけど」


 二人の会話に、私は合点がいった。


 実は私も篠崎と本間がイチャついているところを何度か目撃していた。


 そのときは、そうなんだ、篠崎の品格は告白を断るときにああいう言い方をするし、その程度の品格しか持ち合わせていないから本間がお似合いだと納得しただけだった。


 しかし武道くんと初めて言葉を交わしていたあのとき、門の近くで本間と他校の男がイチャついているのが見えた。篠崎とは別れて新しい男に乗り換えたのかなとも思ったけれど、睨んだ通り、もう一つの可能性が正解だった。


 思い返せばあれはちょうど、男子3千メートル走の最中だった。


 鵠沼海岸学院のテントには他3名の部員がいるので、私は彼らに荷物番を託しそこを出て、門のほうへ向かった。


 門の人目につきにくい場所をそっと覗き見ると案の定、篠崎と本間がキスをしている最中だった。


 その様子を音の出ないカメラアプリで撮影。そうとも知らず、しばらくして二人はその場を立ち去った。


 14時。午前中の女子2百メートルで予選落ちした私にはもうやることはなく、自販機コーナーで緑茶を購入、その場でのほほんと春風を浴びながらティータイムを満喫。


 そろそろかな。


 パン!


 遠くで火薬の弾ける音がした。男子3千メートル走がスタートした。


 青いトラックを見ると、種差くんと篠崎が先頭争いをしていた。


 沙希ちゃん、どこかで応援してるのかな、種差くんを。


 沙希ちゃんが種差くんを好きなのは間違いない。


 ボケ役の沙希ちゃんとツッコミ役の種差くんはとてもお似合いで、私は二人の仲を応援している。


 あ、来た。


 どこからともなく、本間アンナと他校の男子が現れた。たぶん昨冬に見た男子だと思うけれど、目の前の彼とあのときの彼が同一人物かなんて、私にはどうでもいい。


 アンナは十数分前に篠崎といた場所に彼を連れ込み、キスを始めた。あぁ、なんて汚らわしい。


 私はその様子を先ほど同様、音の出ないカメラアプリで撮影し、保存した。


 キスは数分間続き、男子は満足そうにアンナから離れていった。


 さぁ、ここからは私の時間。


 私は武道くんとキスする妄想をしながら身体を火照らせ、本間に近寄る。


「ほ、本間さん……」


 本間は驚いた目でこちらを見て、バツが悪そうに視線を逸らした。


「びっくりしたぁ、本間さん、付き合ってる人、いるんだね」


「高校生ですから」


 ウブな子どもを見る目で3年生の私を見る2年生。


「そうだね、いいなぁ、二人も彼氏がいて、私なんかには全然想像できない世界だよお」


 言った途端、彼女の表情はわかりやすく焦燥に歪んだ。バカで良かった。


「え、まさか見てたの!?」


「さっき篠崎くんともしてたよね」


 にこにこと、私は努めて朗らかに笑みを浮かべ、しかし本間の視線をしっかり捕捉する。


 本間の血の気はみるみる引いてゆく。ふふふふふ、アバズレ女が蟻地獄ありじごくに引き込まれてゆくみたい。


「お願い、このこと誰にも言わないで。私には翔馬以上の人はいないの。翔馬が本命なの。でも翔馬、陸上に熱中し過ぎてあんまり相手してくれないから。勉強もあるって言うし、私のことは二の次で、それでも私は翔馬が好きなの」


「うん、言わないよ」


 私の言葉と柔らかな笑顔に安堵した彼女はホッと胸を撫で下ろし、フフッと気味悪く微笑した。物分かりの良い相手で助かったと、その表情は語っていた。なので私はこう付け足す。


「だって、平然と人を傷付けるような大した価値もない男と、それにすがる尻軽女のカップルが、これからどんな道を歩んでゆくのか、とっても楽しみだもの。だからこれは、私だけの昼ドラということで」


 言って、私は篠崎と先ほどの男子、それぞれとキスをしている画像をスワイプして本間に見せた。


「は? なんだお前。あんま調子こいたこと言ってんじゃねえぞ。写真撮られたからってスマホぶっ壊せばお終いなんだから」


 言うと本間は私に詰め寄り、猛獣のような眼力で胸倉を掴んできた。


 息が苦しいなぁ。


 そう思いながら、私は笑顔を保ち次の言葉を放つ。


「ううん、PCにも送ってあるし、複数のクラウドにも保管してるよ」


 私は冬の澄んだ空を仰ぎ、点在する雲の数を数えた。5つだった。


「は……お前、マジなんなんだよ。なんか恨みでもあんの? あ、わかった、お前、もしかして翔馬にフラれたんだ!」


「うん、フラれちゃった。でももう過去のことで気持ちに整理はついてるから、これはその腹いせじゃないの。単なる私の娯楽」


 武道くんの仇だとか、きれいごとは言わない。私がしたいからしているだけ。


「おい何やってんだ!」


 気が付くと周囲はざわついていて、通りかかったまどかちゃんが駆け寄ってきた。


 本間は掴んでいた私の胸倉を解放し、私はそっと地に足を着けた。


「なんでもないです」


 本間は立ち去り、ギャラリーも散り始めた。


「大丈夫? つぐみ」


「うん、大丈夫だよ、ちょっと怒らせちゃったみたい」


「どうして?」


「ほら、あの子、悪口を言う癖があるから、注意したら逆上しちゃって」


「そっか、アイツには後できつく言っとくから」


「うん、助けてくれてありがとう」


 ふふふふふ、ああ面白い!


 本間アンナ、篠崎翔馬、見知らぬ男。この三角関係、これからどうなっちゃうのかな?


 時間が許す限り、私はこのどろどろしたドラマを見届けようと思う。


 それにやっぱり、私は汚れた世の中でも実直で、良識と優しさを持ち続けられる人に幸せになって欲しいと、心からそう願っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る