35,帰ってからのこの一杯
ずずずずず……。
「ふーう、いいね、日本人に生まれて良かった」
「あぁ、帰ってからのこの一杯が落ち着くんだわ」
「それな。私はよくミルクティー飲むけど、緑茶もいいね」
「だろ?」
「んだんだ。しかもなんだこのお茶、なんか深みがあって美味しい」
テレビの点いていない静かな部屋で、陸とふたりきり、緑茶をすする。茶柱は立っていない。
茶柱は立っていないけど、コク深く、なのにさらっとしていて緑茶独特の甘みのある味わいが口いっぱいに広がる。このやすらぎ感は正に、緑茶の湘南サウンドじゃあ……。
「
「ああ、あの茶山! これは良いものをいただきましたな。高いんじゃない?」
茶山。茅ヶ崎では有名なお茶で、ボーカルが私たちの中学校の先輩である国民的バンド、サザンオールスターズにあやかった商品名ということで、お土産としても人気。天皇皇后両陛下や総理大臣もお召し上がりになられたという一級品。なるほど、そりゃ湘南を感じるわけだ。
「そんなに。値段は良心的で、貧乏な我が家でも買える」
「へえ、そうなんだ、そりゃすごい。私もこんど買いに行ってみよう」
家が軋む音、少し離れたラチエン通りや鉄砲道を行き交う自動車の音、カタカタコトコト、石油ストーブの稼働音。
すきま風が肌を刺す古い日本家屋でまったり。現代じゃなかなかできない体験だ。
こたつがあるともっと良かったな。
って、やばいやばい、まったりしに来たんじゃなかった。
私はおもむろに自分のカバンを漁った。
「これ、お茶のお供にどうぞ」
和やかムードのせいか、拍子抜けするほどあっさりチョコを手渡せた。
ピンクのリボンを結った小さな透明の袋。中には昨晩焼いたクッキーと、カカオ豆からつくった手づくりチョコが入っている。
「おう!! サンキュー!!」
「わぁびっくりした! 急にテンション上がった!」
陸の眼は、待ってましたとばかりにきらきら輝いている。
そうかそうか、私のチョコがそんなに欲しかったか。よしよし、いい子いい子。
「そんなに喜んでくれるとは」
「いや、だってよ、今年はもらえないんじゃないかって、思ってたから。マジで」
頬を赤らめ口をすぼめる陸。なんか可愛い。
「ごめんごめん、さっき渡しそびれちゃったからさ。バレンタインデーに江ノ島から茅ヶ崎まで運んでもらったうえにチョコあげないとか不義理すぎるでしょ」
「そうだな、くれなかったら運賃ふんだくってやろうと思ってた」
「めんごめんご。じゃあ、そんなキミにはこれもあげよう」
私は再びカバンを物色し、銀色のチャック付きプラ袋を取り出した。
「まじか! プロテイン! サンキュー! マジで助かる!」
「なんか、チョコより喜んでない?」
「そ、そんな優劣なんかつけねぇよ。うれしいもんはうれしいんだ」
「そっか、そうだね! これでムッキムキになれよ!」
「おう」
「へへっ」
思わずこぼれる笑み。
あぁ、いまの私、すごくハッピーだ。
このハッピーが、どうかいつまでも続いてほしい。
「ところで陸、フルーツの香りがする夢のような女子と家でふたりきりなのに、襲ったりしないの?」
「たった今までムラムラしてたけど、その一言で瞬時に冷めた」
「あちゃー」
私たちはまだ、付き合ってはいない。けど、こういう会話はけっこう普通にする。特に好意のない男女間でもあることから、挨拶みたいなものだ。
ブーッ、ブーッ!
私のスマートフォンのバイブが鳴った。
「つぐみちゃんだ。電話出るね」
「おう」
陸にことわりを入れて、受話アイコンをタップした。
「もしもしつぐみちゃん、どした? あ、うん……うんうん……あー、なるほどね、そりゃそうだ。……オッケー、なんとかしよう……あ、ううん、気にしないで、じゃあね」
私は終話アイコンをタップし、スマートフォンをカバンにしまった。
「どうした」
「乙女の秘密」
「お前、乙女だったのか」
「襲うぞ、しばくほうの意味で」
お茶を飲み干し一段落したところで私は陸の家を出て、そのままつぐみちゃんの家に向かい、モノを受け取った。
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