少しずつ溶けゆく氷のように

「合田くん!」


 び、びっくりした。けどちょっと勇気を出して、声はかけられた。


 牛丼屋さんの前で鉢合わせたのは、私が密かに想いを寄せている、合田あいだ武道たけみちくん。まさかこんなところで会うとは。


 天ぷら探しは無駄じゃなかった……!



 ◇◇◇



 新しい恋は4日前の記録会、冬晴れの乾いた風が肌を刺す、不入斗いりやまず競技場の正門前で始まった。


 ストレッチをしようと沙希ちゃんに誘われて、いっしょにいたのが体格の良い彼。


 うわぁ、なんだか男の中の男というか、ごつくて筋肉の話ばかりする感じの人かな。



 だとしたら苦手なタイプだ……。



 でも意外と優しかったりするのかな? 香川屋のカメさんだって筋骨隆々で見た目は怖いけど、気さくで面倒見が良くてブラック企業並みの労働が好きで……。


 うーん、なんだかよくわからないや。


「えーと、つぐみちゃんと武道は初めての接触?」


「うん。タケミチくんっていうんだ。2年生?」


「あ、はい! 2年です! 合格のあいの字に田んぼの田、武道ぶどうと書いて合田あいだ武道たけみちと申します!」


 あ、この人、緊張してる。人見知りなのかな? それとも私が女子だからかな?


「合田武道くん。同じく2年の小日向つぐみって言います。小さい日向に、ひらがなでつぐみです。よろしくね。えーと、合田くんでいいかな」


「はっ、はい! よろしくなっしゃす……!」


 どうしてだろう、からだの大きな彼が、小さくて気弱な私にびくびくしてる。


 こういう男の子も、いるんだ。


 きっと彼はそんなに賢いタイプではなくて、だけど純粋で真っ直ぐ。正直なところ見た目はタイプではない。けれど彼の醸し出す目に見えないものに、私は磁石のように引き寄せられた。


 心の一目惚れ。そんな言葉がピッタリだと思う。


 前の恋は告白したら「お前とは友だちにもなる気はない」と酷いフラれかたをしたから、その反動でもっといい人が見つかったとも思える。


 沙希ちゃんにもまどかちゃんにも内緒で秘かに告白して、人知れずフラれた。それから体調を崩して、翌日は学校を休みお医者さんから強めの胃薬を2種類処方された。あの恋は実らなくて正解だった。その男はいまでも私の近くにいるけど、あれから一切口を利いていない。


 合田武道くん。力ではとても敵わないに決まってるけど、それ以外の色んなことで、私は彼を守りたいと、初めて会話した刹那に思った。


 この恋はきっと、神様が頑張っている私にくれたご褒美だ。



 ◇◇◇



「おっ、おお! 小日向さん! お、お出かけですか!?」


 牛丼屋さんを出たところでの遭遇に、合田くんも驚いている様子。


 ふふっ、もしかしてこれは、ネタを振ってるのかな?


「レレレのレ?」


 って言えばいいのかな? 


「えっ……、そ、そうなのだ! 俺もお出かけなのだ!」


 あ、あれあれ!? 合田くん、戸惑ってる!? 単純にお出かけですかって訊ねただけ!?


 うわぁ、やっちゃった。コミケ帰りで私の脳内は漫画でいっぱいになってたから、なんかおかしな方向に突っ走っちゃった!


「そ、そうなんだっ! どこに行ってたの!?」


「俺は藤沢のスポーツショップに行ってたっすが、年末だから早く閉店したみたいで、何も買わずに引き返す途中に腹が減りまして……」


「あ、そうだよね、あそこ、年末は早く閉まるんだよね」


 スポーツショップのあるビルの中には行きつけのアニメショップがあり、何年か前の年末に行ったらお店が閉まっていたのを覚えている。


「と、ところで、小日向さんは、どちらへ?」


「私は東京だよ。お台場の近く」


 と言っておけばテレビ局に遊びに行ったと思われて、東京のどこ? と問われにくい。エッチな本がいっぱいあるところに行ってましたなんて、恥ずかしくて言えない。


「あぁ、コミケっすか!」


「なななななんで!?」


「え、そりゃ、うちの部員たちがよく話してるんで。も、もしかして違ったっすか!? 俺、あんま流行りものとか知らなくて、年末にお台場といえばコミケくらいしか思いつかないっす」


「あ、う、うん、コミケだよ!?」


 入退店の妨げになるので、私たちはステンレスのガードレールが立つ道路側に逸れた。


「人気っすよね、漫画。しかもコミケでは自分で作った本を売る人もいるって聞きました」


 武道くんは牛丼屋さんに隣接する本屋さんに目を遣って言った。


「う、うん、いっぱいいるよ」


 初対面のときは合田くんのほうがオドオドしてたのに、いまは私のほうがパニックになってる!


「すげぇなぁ、俺なんか絵なんて全然描けないのに、世の中は強者揃いだ」


「あ、合田くんには腕力があるよ!」


「あ、あざっす! でも俺なんて、高校生記録にも及ばないっす!」


「それでも力持ちだよ。私なんか固いびんふたも開けられないのに」


「それくらいなら、男ならだいたい開けられるっす」


「そ、そうなんだ……」


 あれ、私、またやっちゃった? 励ましたつもりだったのに。


「あの、でも、励ましてくれて、嬉しいっす。なんかすんません、女々しくて煮え切らない態度で」


「ううん、私も、コミケのこと良く言ってくれて嬉しかったよ。ごめんね、足止めしちゃって。それでは、良いお年を」


「よ、良いお年を!!」


 声を裏返した武道くんに微笑んで、私は彼とは反対方向に歩き出した。


 いている自転車駐車場の屋上。南側に停めた愛車の横で見上げる空は、街なかにしては広く綺麗。東のオリオン座、少し視点を下げると、湘南をぐるぐる照らす江ノ島シーキャンドルの灯りが見える。


 胸に籠った熱を冷ますように、澄んだ冬の空気を吸い込んだ。


 実は今夜、除夜の鐘を突きに沙希ちゃんたち東海岸のお友だちとお寺に行く約束をしている。


 合田くんも誘おうかなとさっきの会話中に迷ったけど、彼の住む萩園はぎぞのと私たちが行くお寺は遠く、凍える夜中には迷惑だと断念した。


 でも、きょうはほんのちょっぴり、彼との仲が進展した気がする。


 一気にゴールとはいかないけど、濃いめのアイスコーヒーに入れた氷が少しずつ溶けてゆくように、やがて私たちは溶け合える。そしてほど良い味になる。そんな気がした。

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