14,コミケ帰りの小日向さん
うーん! ホックホク!
欲しいものをほとんど入手できて満足満足♪
ここは東京の臨海副都心、
きょうが最終日で、29、30日と合わせて3日間開催。1日約15万~20万人が押し寄せ、自作の漫画やイラスト集、小説や雑貨などの創作物を
会場内は押し合うほどの人が密集し、冬でも汗で汗を洗う。もし襟巻きをしていたら何千何万の他人の汗がびっしりこびり付く。建物内にある天井の低い連絡通路では息が苦しくなる。そんな鬼畜イベント。
おまけにアイテム1点入手するために1時間前後行列に並ぶ企業ブースや個人クリエイターのサークルも珍しくない。
なので会場周辺の駅も大混雑。私は会場と
国際展示場駅から茅ケ崎駅まではりんかい線で
湘南新宿ラインでは座れなかったので、戦利品で重たい少し大きめのトートバッグを肩に掛け、進行方向左側のドア脇に立った。
快速電車なのでこちらのドアは4駅先の
座れなかった……。
大晦日だから帰省中の人が多く、見た感じでもいつもより人は少ないけど、甘かった。席にあぶれて立っている人もけっこういる。乗った車両が良くなかったかな。15両編成の13号車。これでも隣の12号車よりはいくらか空いている。後ろの14号車はボックス席で見通しが良くないけど、立っている人はけっこういる。
実は私、朝9時に降りたりんかい線の電車から一度も座っていない。お昼は会場内に乗り入れていたキッチンカーのケバブを立ち食い。
横浜駅を発車した電車は聞き慣れた自動放送を流しながら、すっかり日の暮れたネオンの街を右手遠目にゆるゆると加速している。ガタンガタン! と刹那に橋を渡る大きな音がした。左に東海道線の東京方面、右に
現在時刻は18時5分。次の停車駅、
相鉄線と別れてまもなく通過する
カーブを抜けると墓地を抜け、断崖絶壁の丘を登る。
斜面の中腹を走る湘南新宿ラインからは見えないけど、頂上を走る東京方面の線路からは雑木林や小川が見下ろせる。早朝の電車に乗ると時期によっては紅の朝陽が見えて、海岸から見るそれとは違う情緒を味わえる。
続いてトンネルに入る。トンネルを抜けると線路は緩やかに蛇行して、
ここからようやく疾走感を覚えるスピードを出して、あの有名なヌードルのメーカーもある工場地帯を抜け、4分ほどで戸塚駅に到着する。
戸塚駅でようやく着席できた。実に9時間ぶりの着席。陸上競技部に入っていなかったらきっとどこかで崩れ落ちていた。
やって良かったな、陸上……。
陸上競技は色んな場面で役立つ。電車内でも、会場を回る体力と、素早く移動するための
鵠沼海岸学院陸上競技部では、小学校からの同級生、
おかげで少しずつだけど脚が速くなってきて、手脚をバタバタさせる女の子走りが改善され、整ったフォームで走れるようになってきた。
フォームが変わると、世界が変わる。
というと大袈裟だけど、トロい私が少しスマートに動けるようになった。
例えば街を歩いているとき、以前は他の人にどんどん追い抜かれていたけど、いまでは逆に自分が他の人をよく追い抜くようになった。
俊敏な沙希ちゃんやまどかちゃんに歩くペースを合わせてもらう必要もなくなったし、駅の階段を上がるとき、もう無理だと諦めて乗り遅れていた電車にも、入線する前にホームに降り立ち、余裕で乗れるようになった。しかも階段から離れた比較的空いている車両に。そう、いま乗っている13号車。以前は混んでいる7号車辺りに乗っていた。
こんなふうに、陸上競技は日々を軽やかで爽やかにしてくれた。のろまコンプレックスの自分が自信を持てるようになった。それは本当に魔法のようで、姿勢や動きを変えるだけで、地球の重力はこんなにも弱く感じられるのだと、もう感激!
たった半年弱でこれだけの成果が上げられたのだから、我ながら大したものだと思う。
でも、楽しいばかりじゃなかった。
入部前の私は、時間が取れると近所の緑地で野生のシジュウカラを肩に乗せ、木漏れ日を浴びながら読書をし、家で勉強をして、週末は近所のショッピングモールに出かけ、夜遅くにアニメをリアルタイム視聴する、スポーツとは無縁の暮らしをしていた。
それが一変、この半年弱は血を吐きそうなほどの努力を余儀なくされた。
まずウォーミングアップ。沙希ちゃんが中学時代から物凄くしんどいと言っていた理由がよくわかった。
校庭3周。そう言われるとどれだけの距離を走るのか、いまいちピンとこなかった。後に聞けば千メートル弱という。
それ、茅ケ崎駅から北茅ケ崎駅くらいあるよ!? 一駅分も走るの!? えーもうやだ帰りたいよぉ。
そう部活の度に憂鬱になりながらも、私は逃げなかった。
高湿度の真夏の夕方、気温は30℃を超えていて、出だしから全身汗だく、おまけに他の部員が走る速さは、とても私が付いてゆけるものではなかった。それだけで強い劣等感と足手まといになっている罪悪感に支配され、精神的重圧がかかる。
それでもみんなイヤな顔一つせず、種差くんを中心に、それぞれ自分の練習メニューがある中、迷惑をかけているだけの私に丁寧な指導をしてくれた。
みんなには感謝の気持ちしかなく、せめてもの恩返しとして土休日の練習や大会、記録会の日は薄くスライスし、氷を混ぜたレモンのはちみつ漬けを密閉性の高いタッパーに入れて持参するようにした。幸いはちみつアレルギーの部員はなく、みんな喜んで食べてくれた。
そんな温かいチームだから、私は今日まで陸上を続けられている。
戸塚駅を出て20分後、茅ケ崎駅に着いた。乗客の約半分がこの駅で降りるため、まだ茅ヶ崎市の人口が少なかったころに造られた狭いホームは一気に人でいっぱいになる。
茅ヶ崎市の茅ケ崎駅。ケの字に大小ある。
雑踏、電車の室外機、北風の冬でも微かに潮を含んだ空気に包まれ、発車メロディーのサザンオールスターズ『希望の轍』サビ部分が流れる。
帰ってきたなぁ。
茅ケ崎駅で電車を降りる度、いつもそう実感する。
改札口を出て、欧米諸国の地方空港に似た開放的な雰囲気のコンコースに出た。しかし駅ビルの入り口前では大晦日ということで、至って和風の海老天を販売している。簡易テーブルに並ぶ海老天と、販売員のおばさん。古くから馴染んでいる日本の惣菜屋さんの背後には、ニューヨークやパリにもありそうなお洒落でモダンなカフェがある。
あ、そういえば年越しそば用の天ぷらを買って帰るよう、お母さんに頼まれてた。
とりあえずその場で海老天を買い、他のネタがないか、1階の食品フロアに降りてみた。
なかった……。
どうして、どうして海老天しかないの?
茅ケ崎駅は数年前にリニューアル工事を始め、それに伴いコンコースにあった天丼屋さんが閉店した。天丼屋さんには海老天の他にも野菜など多様なネタが揃っていて、重宝していたから残念。
復活しないかなぁ、天丼屋さん……。
ささやかな祈りを胸に、私はトボトボと駅ビルを出た。やや高い建物が多い北口のロータリーにはバスとタクシーが10台ほどずつ待機している。キャパは南口の2倍くらい。茅ヶ崎は北側のほうが面積が広く、人口も多い。
右へすぐのところに2階を通過して3階のコンコースへ直行するエスカレーターがある。それに乗って、コンコースを抜け南口に出た。
うーん、無駄足だったなぁ。海老天以外にもあると思ったんだけどなぁ。
きっと、コミケで今年の運を使い果たしたんだ。
落胆したとき、差し掛かった牛丼屋さんの中から大きな男の子が出てきた。
「合田くん」
ど、どうしよう、私の運、まだ尽きてなかったみたい……!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます