10,偽りなき未読スルー!

 この街の陽が沈むということは、どこかに新しい朝が来るという事実の裏返し。この街が、次の朝を迎えるころ、どこかの街には星空がきらめく。雲に覆われてるかもだけど。


 大晦日、家の大掃除が終わった。ずっと屋内に閉じこもっていた私は、ラチエン通りの自販機で買った缶コーヒーを片手にヘッドランドビーチの砂を踏みしめ、夕陽に向かって散歩していた。気分転換だ。


 冬の澄んだ茜空と、くっきり浮かぶ富士山や半島の影。手前の小さいのが真鶴まなづる半島、奥の大きくて長いのが伊豆いず半島。


 ざぶん、さらさらと打ち寄せる波音。ときより吹く冷たい風が、冬でも火照るからだを冷ましてくれる。


 人はまばら。ラブラドールと波打ち際を歩く人影、響き渡る子どものはしゃぎ声。それぞれのパーソナルスペースを侵食しない適度な距離を保ちながら、それぞれの時間を過ごしている。


「ふー、ふうぅ」


 深呼吸をすると澄んだ空気が全身に染み渡り、家にこもって淀んでいだ頭や肩が少し軽くなる。


 そのとき、少し強い波が私の足元まで迫ってきて、慌てて逃げた。濡れていないか足元を確認すると、スニーカーの先にグリーンのビーチコイン。ガラスが波に削られて丸くなったもの。これは元々酒瓶だったのかな。どこから流れて茅ヶ崎に漂着したのかな。


 割れた瓶の欠片だから、西部劇に出てくるような騒がしいアメリカの酒場? 無難にこの辺りや伊豆とか小笠原おがさわら? 直線上にはパプアニューギニアやオーストラリアなんかもある。


 ビーチコインは乾いていたのでジーンズのポケットにしまった。スニーカーも濡れずに済んで一安心。ビーチコインや貝殻をよく洗浄して自室に飾ると、ちょっとおしゃれでかわいい空間を演出できる。


 けれどビンやプラスチックは海洋生物が誤って飲み込んだり、角が取れていないと人も怪我をする恐れがある。ポイ捨て、ダメ、ゼッタイ。


 一人で見に行った初日の出から明日で丸1年。


 今年も特に変わったことはなかったけれど、大病を患わず衣食住に困らなかったのでとりあえず良しとしよう。そして来年こそは、革命的な年にしよう。


 うん、今年も私は幸せだった。


「沙希ー!」


 何十メートルか後ろから聞き覚えのある男の声がした。


 振り返ってみると、陸が駆け寄って来る最中だった。


 きゃっ、もしかして盛っちゃって私を襲いに来た?


 とまさかのハプニングを想像するもそんなことは起きず、立ち止まった私は陸が横まで来たところで問う。


「陸も気分転換?」


 茅ヶ崎に住む人の一部は気分転換に浜辺を散歩しに来るから、こうして知っている人と会うのも珍しくない。ちなみにさっき、この前香川屋で私たちの前に買い物をしていたお姉さんがスケッチブックを持って砂浜を歩いていた。


「まぁな。それよりLINE見た?」


「え?」


 そういえば私、きょうは掃除が忙しくてスマホをほとんど見ていない。さっそくポケットから取り出してチェック。


『おーい、生きてるか』


 画面にはまどかちゃんからのメッセージが表示され、その右上に12と小さく表示されていた。合計受信数だ。内訳はまどかちゃん3件、陸4件、つぐみちゃん5件。


 おお? 陸、女子へのメッセージを返信待たずに4件連続で送るなんて、これは私のことが好きなのかな? いいねお目が高い。


 ちなみに陸からのメッセージは、


 正午『まどかから除夜の鐘いっしょに行こうってメッセージ行ってない?』


 13時10分『取り込み中だったら悪いけど、行けるか行けないかだけ返事してほしい』


 14時45分『寝てるのか』


 15時50分(20分前)『起きろ』だった。寝てないわ。


 なおこの文脈から私に好意があるか否かは判断し難い。


「ごめんいまみんなの読んだ」


 後でまどかちゃんとつぐみちゃんにも謝っておこう。


「そうか。それで、行ける?」


 陸は怒りもせず、文節ごとに言葉を溜めて言った。


「うん、行けるよ。0時10分ラチエン通りのコンビニに集合ね」


 集合場所と時間はまどかちゃんのメッセージに記されていた。お寺までは数キロあるので、コンビニでホットドリンクや肉まんとかあんまんの類を買って行くつもりだと思う。寒空の下で食べるほっかほかの饅頭、いまから楽しみ。


 再び夕陽に向かって歩き始めた。背後に二つ並んだ影は円錐形に伸びて、蟻地獄ありじごくのように私たちを砂の中へ引き込もうとしているみたい。


「あ、これ、鳥の足跡と犬の足跡だ」


 影を見て、足元に注意していたら乾いた砂にプレスされた2種類の足跡に気付いた。


 まるでバトンタッチしているようだ。


「ほんとだ。今年は酉年で来年は戌年だから、バトンタッチしてるみたいだな」


「わぁ、ほんとそうだね! 陸センスある!」


「ひひっ、だろ?」


 照れ臭そうにはにかむ陸を、私は以前から密かに可愛いと思っている。けれど可愛いと言われて不快に思う男子もいるみたいだから、陸がそれに該当するか判明するまでは本人には伝えない。


「私も同じこと思ったけど」


「なんだよじゃあ言えよ」


 陸の言葉遣いはぶっきらぼうだけど、口調はいつも優しくて、ぎこちない笑みを浮かべる。


 キツいことを耳にタコができるくらい言われて育って、だから自然には笑えないけど、敵意はないよと意思表示をしている。そんな気がする。


 こうして陸と二人になるのは中学以来。たまにランニングシューズを買いに市内や藤沢のスポーツ用品店に出かけていた。この笑みや空気感が懐かしくて、私までほんのり穏やかな気持ちになる。


「先を越された」


「俺のほうが頭の回転いいからな」


「言い返せないことを言うのは卑怯だと思いまーす」


 悔しいけど、思いついたことを素早く言語に変換して口に出せるほど利口な私ではない。


「うわ、なんか言い返してくるかと思ったら論破しちまったか。なんつーか、その、わりいな」


 ぐつぐつぐつぐつ……。胸の中、頭の中で何かが煮えてきた。


「お、お、おほほほほーう! そういうの、そういうの傷つくよ!? 乙女心と自尊心が抉られる!」


「おほほほほーって、ゴリラみたいだな。人通りの多いところだったら一緒にいるの恥ずかしくて逃げるわ」


「ウキキキキ、陸には特別に、私にバナナを一生捧げる義務を進ぜよう」


「なんだその罰ゲーム。フルーツドカ食い女にバナナ一生与えるなんて、借金しないと賄えないわ」


「うんうん、それは一理ある。でもフルーツを食べると身体の調子いいんだ。寝坊して食べる時間がなかった日はほんとげっそりして、一日中眠気と目眩に見舞われる」


「夢のような女子が夢から覚めないまま現世をうごめくわけだ」


「うごめくって、まるで妖怪みたいな言い方しよって。呪うぞ」


「私物が全部フルーツになる呪いとか?」


「いいねそれ、やってみようか!」


 衣類は全部ヤシの実、ペンはペリー系でインクを作る、バッグはアボカドの皮を縫い合わせて……。


「やめろ! お前マジでやりかねないから怖いわ!」


「ひひひ、うそうそ。私がそんなことするわけないじゃん」


「……」


 いつも歩いてる渚も、陸と一緒だと何かが違う。


 この感じ、なんかいいな。

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