11,あって当たり前のもの、失うと苦しいもの
あって当たり前のもの。それは失うと苦しいものだったりする。
五体、衣食住、空気、コンビニ、好きな人。
俺がそれに気付いたのは、1年8ヶ月前、高1の4月だった。
白浜沙希、いま俺と並んで今年最後の夕陽を浴びながらのんびり歩いている、自らを‘フルーツの香りがする夢のような女子’と称するどうかしてるヤツ。
確かにフルーツのみたいな甘い匂いはする。
香水やシャンプーのせいかと思ったら、毎朝フルーツをドカ食いする真性フルーツ女子なんだとか。白浜家のエンゲル係数が心配だ。
俺はどうも、そんな沙希のことが好きみたいだ。
中学時代はともに陸上競技部に所属していてクラスも同じ。小学校でも5、6年次は同じクラスだった。家が近いから部活が終わったら沙希、まどかと三人で帰る日も多かった。そんな、そばにいて当たり前の存在だった。
小学生時代はあまり接点がなく、明るいヤツくらいにしか思っていなかったし、中学で部活を始めてからも、いっしょにいて楽しいとは思っていたが、それは持ち前の明るさがそうさせるだけで、女子とあまり接点のなかった俺は、他の明るい女子と接しても同じ気持ちになるだろうと思っていた。
でも、それは違った。
高校にも一定数明るい女子はいて、うち同じ部活にいる人は接点が多い。なのに、沙希みたいに胸が躍動する『楽しい』という感覚はなく、彼女たちとの会話は男子とのそれと大差ない。強いて言えば、胸のサイズをさり気なく見定めたり、スカート丈が気になったりといった、外見上の部分で好奇心が湧く程度。
彼女たちと沙希の何が違うのかはよくわからない。
内面、外見、匂い、装飾品……。
沙希の外見は優れている。アイドルのオーディションを受けたら合格するかもしれない。可愛くて尚且つ美人面だからモデルにだってなれるかもしれない。けどそれは俺にとって決定打ではない。
匂いはフルーツ。夢のようなとても良い香り(笑)。
装飾品は、そういえば沙希はやわらかい表情をしたキャラクターのグッズをいくつか持っている。すあまが好きなぱんだとか、黄色いぐでぐでしたのとか。
モンスターのようなドギツイ格好のキャラクターが人気のご時世で、沙希の好きなキャラクターは心を穏やかにしてくれる。これは沙希を好きな理由の一つになるだろう。
誤解しないでほしいが、俺はそのドギツイ格好のキャラクターが嫌いなわけじゃない。むしろ懐いてきたら相棒として可愛がると思う。
服装はあまり飾らない、だがダサくない、カジュアルで動きやすく、尚且つおしゃれな恰好をしている。短気なところがある俺は、おしゃれにこだわるあまり動きにくい恰好をするヤツは男女関係なくイラつく。だからといってみすぼらしい恰好での外出は常識的にタブーなのは承知。
だから沙希のそういった恰好は、俺にとっては最適解だ。
風に吹かれて舞い上がった沙希の髪が俺の頬に触れて、そのふわりとした心地良さで思考が止まった。
「ごめん、髪当たった」
「あぁ苦しい、口塞がれて呼吸困難になったわ」
「なんてこった! 深呼吸だ! 新鮮な北風を体内に取り込むんだ!」
「だめだ、そんな体力はない。人工呼吸をしてくれないか」
「うわえっろ! 引くわー」
「長距離走で苦しくなると‘顔面に吐いたろか’とか言うヤツがよく言うわ」
長距離走終盤の沙希はもはやゾンビ。黄緑のスライムのような液体を吐いてもおかしくない表情と顔色になる。
「それとこれとは意味合いが違うもん」
「不思議だな、吐くには変わりないんだけどな」
「変わりないけど、なんかこう、アレなんだよ」
「あぁ、アレな。なんとなくわかる」
色々考えても仕方ない。とにかく俺は、沙希が好きだ。
沙希がひょいっ、ひょっと小走りして、俺の前に出た。立ち止まってくるり踵を返し、いたずらな笑みを浮かべてこちらを見た。
「ねぇ、海に石を投げて何回跳ねるか競争しない?」
ほんの数秒前、俺の頬に触れていた髪が陽光に溶けるようにまばゆい。何度も見ている笑顔やシルエットが妙に胸を締めつけて、本当は目を逸らさずずっと見ていたい彼女を直視できない。
「おう、やるか」
「なんで下を向きながら言う?」
「石を探してんだよ」
目を逸らした先にちょうど平たい石があった。俺はそれを拾って沙希にちらつかせた。
「あっ、それすごい跳ねそう!」
「だろ?」
波打ち際に寄って、周りに人がいないか確認。
「よっと」
スイングを効かせて水平に投石した。3回くらい跳ねると思ったが、1回だけだった。
「思ったより跳ねなかったな」
「ひっひっひっ、タイミングが悪かったね。私が勝ったらジュース奢りね」
確かに。投げたタイミングが波の砕けるタイミングと被って石が呑まれてしまった。
「くそ、五百円玉持ってこなきゃ良かった」
ていうかいま沙希が手に持っているそれはなんだ。俺には缶コーヒーに見える。おかわりが欲しいのか? 強欲なヤツめ。
「言わなきゃお金持ってるってバレないのに」
可笑しそうに言って、沙希は足元の石を十秒ほど選別。一つを選んだら俺に空き缶を預け「えいっ」と海へ投げた。
波が打ち寄せて最も平らになるタイミングなのに、一度も跳ねず水没した。
「いまどきさ、小銭で飲み物買わないよね? 電子マネーだよね? いま私、ICカード持ってないんだ。小銭は持ってるんだけど、投入口に入れるのめんどいじゃん?」
何言ってんだこいつ。確かに中学生になって遠征するようになり、交通系ICカードを持ってからはあまり小銭で飲み物は買わなくなってきたが、だからといって小銭を使わないわけじゃない。ICカード非対応の自販機だってまだまだ健在だ。
俺が五百円硬貨を持っていると自白したときはしたり顔だったくせに。
「俺、自販機に小銭入れるの好きなんだ」
「私も割と好き。知ってる? 小銭入れて釣銭レバーを引くと、何も買ってなくても別の小銭が出てくるんだよ」
「おう、そうなんだよな! これから沙希の小銭でやろうぜ!」
「チッ、話を逸らせなかったか」
「むしろ余計に小銭で買いたくなった」
自販機を傷めるから小銭遊びはしないが。
みるみる伊豆半島の影に近付いてゆく太陽を左斜め前に、俺たちはCの形をしたコンクリート製のモニュメント『茅ヶ崎サザンC』の前まで来た。
サザンCのすぐそばに2台の自販機があり、沙希は何も言わずおもむろに小銭を投入した。
「どれがいい?」
「マジで奢ってくれるのか」
女子に奢られるのは、正直気が引ける。
「勝利の美酒を味わうがいいさ。ソフトドリンクだけど」
自販機をバックに空風に吹かれて
「わかったよ、サンキューな」
言って、俺は缶入りオレンジジュースのボタンを押した。普段はコーラやコーヒーを飲むが、今回はなんとなくこれを選んだ。
他方、沙希が選んだのはサイダー。フルーツ由来の天然香料を使用した夢のような炭酸飲料で、味はさっぱりシンプルなのに、どこか酸味と深みを感じるずっと昔から定番の味。
俺たちは自販機の脇の空きスペースに滞り、徐々にサザンCの向こうへ身を潜めようとしている陽を眺める。この光景は、写真に撮るよりしっかり記憶に焼き付けたい。
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