5,夏からずっと

 気温一桁でもぽかぽか陽が照って温かい芝生の上。テニスコートから聞こえるスコンとラケットにボールが当たる音と、プレイヤーの黄色い声。上空では悠然と輪を描くトビがピーヒョロロ。


 なんか、武道らしいシチュエーションだな。


 ついクスッと笑みがこぼれたら、気持ちまでほんのりじんわりと温かくなってきた。


「悪いな、時間取らせちまって。まどかにも詫びなきゃな」


「そうだね。私はいいけどまどかちゃんには何かおごってあげて」


 冗談の意を込め、私は微笑みながら言った。


「わかった。そ、それで、本題なんだが……」


 ドキッ。心拍数が急上昇。いよいよ告白される。告白のようなものは過去に何度かあれど、人生初のハッキリした告白は武道が初めて。私のハジメテは武道かぁ。


「あのさ、俺、去年の夏からずっと気になっててさ、急にこんなこと言われても困ると思うけど……」


 言葉は発さずこくりと頷いて、上目遣いで続きを促す。去年の夏からかぁ、気付かなかったな。


 うあああ、なんだこれなんだこれ、急に胸が焼けて無くなっちゃいそうなくらいかあっと熱くなってきた!


「クリスマスはもういいんだ。でもバレンタインならいまからでも間に合うと思って」


 友チョコは去年も今年もあげたけど、来年は本命が欲しいっていうことかな。クリスマスもケーキならこれから作れるし夕方からは予定がないからデートだってできるけど、突発的だと迷惑と思って私をおもんぱかってくれてるんだ。やさしいじゃん。


「あの、あの……」


「あの?」


 顔を真っ赤にして目を逸らす武道。私は彼の頬や目を舐めるように見回す。ふふふ、こいつこういうトコ可愛いんだよね。


「あの子と仲良くなりたいんだ!」


 へっ?


「はい? あの、子……?」


 わあああ……。


 一気に全身の力がぬけてゆく。あの子が誰のことなのかわからないけど、とりあえず私に好意を抱いているのではなく、キューピッド役をやって欲しいという意思は伝わった。


 こんちくしょう、どぎまぎしながら悩みまくって練習に励んだ2時間半返せ。心拍数上昇し過ぎて死ぬかと思ったんだぞ!


 冷たい北風が吹いた。火照った全身がみるみる冷却されて、いまの私にはちょうどいい。待ってるだけのまどかちゃんは寒いよね、ごめん。


「あの子だよ、ほら、不入斗いりやまずの自販機の前で話してた」


 大会や記録会でよく行く横須賀よこすか市の不入斗いりやまず競技場。一般的な陸上用トラックは赤茶色だけれど、ランナーの集中力を高めるために青色が採用されている親切な競技場。


 しかし私はなぜか旧式の赤茶色のトラックのほうが好タイムを叩き出せる。きっと人間離れした才覚が宿っているからだ。目の前にいる逸材をみすみす見逃すなんて、武道は勿体ないことをしている。私とくっついた男子はミラクルハッピーライフ間違いなしなのに。


 それはさておき、不入斗に限らず各地の競技場に行ったときはよく他校の子と話すけど、自販機の前に限定すると……。


「もしかして、つぐみちゃん? ロングでポニテのちょっとちっちゃい子」


「そう!! そうだ!! つぐみちゃんっていうのか!!」


「うおおお!!」と名前がわかっただけで告白オーケーされたみたいにガッツポーズで興奮する武道。この調子だともし付き合うことになったら昇天しそうだ。


 小日向こひなたつぐみ。まどかちゃんと同じく中学からの仲で、茅ヶ崎市の東隣、藤沢ふじさわ市内の高校に進学。体力を養うため、昨夏から陸上競技部に中途入部したと不入斗で話していた。


 普段の髪型は耳から下をツインテールにしているけれど、走りやすいよう部活のときはポニーテールにしている。まだ自分に向いた種目が判然とせず、長距離と短距離両方の大会、記録会に出場している。


 先週、藤沢の善行ぜんぎょうで開催された記録会で彼女の1500メートル走を見たけれど、夏の不入斗では思いっきり女の子走りだったのが、すっかり陸上選手のフォームになっていた。具体的には腕をバタバタさせず胸のサイドに寄せ引き締めて前後に振り、足は爪先ではなくかかとから着地できるようになっていた。


 これは『ヒールストライク走法』という初心者向けの一般的な走法だが、他に中足部から着地する『ミッドフット走法』、爪先から着地する『フォアフット走法』がある。翔馬やまどかちゃんは身体の負担が比較的少ないミッドフット走法を取り入れている。


「おめでとう、カップル成立だね」


 小刻みにシンバルを叩くような拍手をしながら、少々頬を赤らめ目を丸くしているまどかちゃんが私たちのもとへ寄って来た。武道が雄叫びを上げて喜ぶものだから勘違いしたのだろう。


「ごめんまどかちゃん、そうじゃないんだ……」


 私は武道の了承を得て、まどかちゃんに事情を説明した。


「つぐみか。確かに素直でいい子だよな。地味だから中学ではモテなかったけど、高校に入ったらその良さに気付くヤツも多いだろうから、もう彼氏いるんじゃない?」


「うん、それ、私も思った。私たちに彼氏ができない理由は素直さが足りないからじゃないかともね」


「そうだね、沙希なんかアイドル並みに可愛いしフルーツの香りがする夢のような女子なのにね」


「そう! いまが食べごろなのにうちの学校の男子は見る目がないね! あいつらキャベツ買ってきてって頼まれたらレタス買ってくるね!」


「ちょっと焦点が違う気がするけど、まぁいっか」


「う、ううう……。彼氏、いるのか……?」


 私とまどかちゃんが勝手に盛り上がっているうちに、武道は目を潤ませ、目の前で祈るように両手を組んでいた。神頼みか。私ら神か。


「ごめんごめん! いるかどうかわかんないよ! 望みはあるよ!」


 歓喜から急転直下した武道の肩をポンポン叩いてなだめ、恋が実るよう協力すると告げた。


 ここで立ち話もいかがなものかということで、私たちはスポーツ公園を出た。縦一列の『トレイン』というフォーメーションで自転車を走らせている。


 先頭の武道が空気抵抗を抑えてくれているおかげで、まどかちゃんと私のペダルは単独走行時より軽かった。私が最後部で空気抵抗を最小限に抑えてもらった。


 萩園に住む武道は、普段ならスポーツ公園を出て最初の交差点で別れる。けれど今回は恋愛相談と作戦会議ということで、私たちが住む海岸地域にとりあえず連れて行くことにした。


 複雑な道順がわからない武道に替わって、途中の浜見平はまみだいらからは私が先頭、武道が最後部になった。しかし体格の良い彼に、触ったら壊れてしまいそうなしっとり肌の華奢な女の子が前を走ったところで風除け効果は極めて薄いと思う。


 いま走っているのは、風情ある日本家屋が密集する南湖なんご。欧風化が進む茅ヶ崎の中で古き良き、格式高い別荘地の面影を残す貴重な地域。


 潮まじりの松風を浴びながら、裏道をジグザグゆっくり進み、鉄砲道に出た。ここからはがらっと変わってすっかりおしゃれに変貌したエリアだ。


「やっぱ海側は全然違うな。別の街に来てるみたいだ」


 学校は海辺にあるものの、街の中をじっくり眺める機会があまりない武道は、機能性に特化した街並みの山側地域との差異に驚いているようだ。


「山側は自然豊かで別の良さがあるじゃん?」


 まどかちゃんのコメントは的を射ている。


 山側の里山には珍しい鳥や虫が多く生息している。あの有名な鳥のカワセミや、マルタンヤンマという、トルコ石のように青く輝く複眼を持つ夢のようなトンボもいるとか。個人的に青い生きものはきれい。


 あまり知られていないけれど、サルの目撃情報もある。どうして私がそんな情報を知っているかって、それは私が夢のような女子で、この地を守る女神の化身だからだ。


「そうだな! 小出川こいでがわの沿いの河津桜は綺麗だぞ!」


「小出川? さっき渡った小出川?」


 スポーツ公園の近くを流れる小出川。それに沿って新湘南バイパスが通っていて、最終的には宇宙からも見える一級河川、相模川さがみがわに合流する。


「そう。沙希がよく小出川にアヒルいた! って言ってる小出川」


「あぁ、よく言ってるな! ほんとにいるのか? さっきは見なかったが」


「いるよ! たまに白鳥とセットでいる!」


 アヒルはきっとどこかで飼われていたのだと思うけど、いるものはいる。


「白鳥は群れとはぐれたのかな? 私も見たことある」


 まどかちゃんが言った。


「どうなんだろうね。薄汚れてるし、もしかしたらそうなのかも」


 こうして前を向いたまま雑談をしているうちに、私の家の近くまで来た。現在10時15分で飲食店は開店前。でもお腹が空いていて、小腹を満たしたい。となると行くはあそこか。


 ということで、やってきたのはラチエン通りの精肉店、香川屋分店かがわやぶんてん。メンチやコロッケが売れ筋で開店中は客足が絶えず、タイミングによって行列ができる。私たち周辺住民の多くがお得意さん。ここなら武道も喜ぶだろう。

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