3,フルーツの香りがする夢のような女子!

 ティーントーン、ターントーン、ティーントーン、ターントーン。


 スマホのアラームが鳴っている。


 う~眠い……。


 目が覚めたとき、私は毛布と掛布団をすべて剥いで仰向け大の字でベッドにべったり貼り付いていた。全身が冷え切っているうえ、昨晩食べ過ぎたせいで胃が重い。フライドチキンってなんであんなに美味しいんだろう。フライドポテトもポテチも。


 うあああ、あと3時間くらい寝たい。


 スマホの画面には上部に現在時刻の4時57分と、下段にスヌーズマークと停止マークが表示されている。私は迷わず左スワイプでスヌーズをセレクト。


 起きて真っ先に見るものがスマホの画面なんて、私ホント現代人。ということでおやすみなさい。


 それからスヌーズを3回セレクトして、4回目のアラームでようやく、渋々停止させた。


 や~もうマジ行きたくない。


 初日の出を見に行くときより3百倍くらい低いテンションでのっそのっそと起き上がり、絨毯に足先を着地。座った状態で目を擦る。


 重たい頭は脳の血管が詰まった感じがして、肩、腕、太腿ふとももから爪先まで乳酸たっぷり。体液を搾って糖類を加えたら乳酸菌飲料ができそう。


 アラームで無理矢理覚醒させたからだはそう簡単に立ち上がらず、座ったままぼんやり数分を過ごした。


 きょうは何をするんだろう。百メートル走の練習だったらいいな。1時間ジョグはもはや刑務。私を含む短距離部員やフィールド競技の部員もなぜか長距離走メインの練習メニューで、専門分野はあまりやらせてくれない。


 まだ誰も起きていないリビングの灯りを点けて、そのまま洗面所に入って口をゆすぎ顔を洗った。昨夜のうちにハンガーに掛けておいた白いふわふわタオルで顔を拭いてから洗面所を出ると、キッチンに寄ってオーブンで食パンを2枚焼き「いただきます」を言って1リットルパック入りのオレンジジュースをコップ一杯注ぐと一気に飲み干した。


 次に、昨夜予めカットしておいたイチゴ、キウイ、バナナ、リンゴ、缶詰めのミカンとモモをグラスボウルに詰め込んだフルーツの盛り合わせと5百ミリリットルペットボトルの無糖炭酸水を冷蔵庫から出して全部かけ、フルーツポンチにして食べる。これが爽やかで美味い! 毎日食べているおかげで私からフルーツの香りがすると友だちから言われる。


 フルーツの香りがする夢のような女子なのに、今生男子から告白された経験が一切ないとはどういうことか。外見だって悪くないと思う。


 あ、わかった。フルーツの香りがするうえに美人で可愛いから高嶺の花過ぎてみんな遠慮してるんだ。中学時代は告白にこそ至らなかったけど、それほぼ告白じゃんみたいなことは何回かあった。


 当時の私には男女交際は高校生になってからという概念があったから、こちらからは歩み寄らず、そもそもはっきり告白されていないので断りもしなかった。中にはいい子もいたし、いま思うと付き合ったら幸せになれそうだから勿体ないことをしたと強く思う。一生の後悔だ。


 キーン! 


 オーブンが鳴った。パンが焼き上がった合図だ。パンを白いお皿に乗っけて手早くマーガリンと蜂蜜を塗り食べる。この組み合わせも大好き!


 食べ終わったらカーテンを閉めたままの薄暗い部屋に戻ってパジャマを脱ぎ、陸上のユニフォームと学校指定の白Tシャツ、緑のジャージ、更にウインドブレーカーを上下纏い、ストップウォッチ機能が付いたデジタル腕時計を嵌め、黒いポリエステル製のスポーツバッグを持って出発。


 サンタより、早起きしたよクリスマス。


 サンタさんが何時に起きるか知らないけど、とにかく出発だ。ていうかサンタさん、きょうは25日だから年一度の夜勤明けじゃない?


「行ってきま~す」


 薄ぼんやり明るくなってきた6時25分、誰からも返事はないとわかっていながら挨拶をして玄関の戸を開けた。私の声を聞いた部屋や家財道具に見送られ、ランニングシューズを履いて部屋を出た。その瞬間、ビュンと北風が顔面直撃。


 さむさむさむさむマジ寒っ! ランシュ風通し良くてマジ最高。さすが1万5千円するだけある。あのトンボのマークの足袋屋さんが作ったシューズはどれくらい履き心地良いんだろうね。一度履いてみたい。


「はぁ」


 溜め息一つ、白くふわっと舞い上がる。ほぼ毎日こんな朝早く出かけなきゃいけないなんてどんだけブラックなんだよ。私が朝に希望を持てるのは基本元旦だけ。


 いまごろ友だち数人はホテルの一室で寝てるか、朝から活動してるのか。


 そう思いながら戸をそっと閉め、鍵穴にティンプルキーを挿して回した。


 階段を伝い1階まで降りた。1階はアメリカ雑貨店と駐車場、自転車置き場になっており、居住用の部屋はない。


 ガラガラガラと2段式ラックの上段から自転車を降ろし、スタンドを下げラックを戻した。


 キーとチェーンのダブルロックを解除したら、寒いので毛糸の手袋をバッグから出して嵌めた。これがないとただでさえ拷問の極寒自転車移動が更に凍てつき手が崩壊する。


 左右を確認して青い自転車レーンに乗り入れ西へ進むと、程なくして全体が瑠璃色に染まった富士山が見えた。夜明け前、朝焼けに染まるまでの少しの間だけ見られる幻想的な色合い。


 早朝とあって、街は通勤者が散見される程度の人通り。あと20分もしたら駅前の駐輪場へ向かう自転車がウジャウジャ走るだろう。茅ヶ崎は日本の北京ペキンと言われるほどの自転車大国。


 ドリンク類を買うために一旦コンビニに寄り道。ほぼ毎回このタイミングで茅ヶ崎駅南口行きのバスに追い抜かれる。今朝も例外ではなく、こんな朝早くから仕事に出かける人がたくさんいて、それ以前にバスの運転士さんはもう働いている。この国で生きるのはベリベリハードだとつくづく思う。


 コンビニに入ると、レジ周辺に人の姿はなかった。天井からは茅ヶ崎出身のミュージシャン、桑田くわた佳祐けいすけの『祭りのあと』が流れている。桑田さんは私の中学の先輩でもある。


 レジ前ではクリスマスチキンを猛プッシュするポップが置いてある。


 あと一週間後はまた初日の出か。楽しかったから今度も行こうかな。


 そんなことを考えながら店の奥へ進み、ドリンク棚からスポーツドリンクとナチュラルミネラルウォーターを取り出し、カゴに入れレジへ向かった。先ほどまで無人だったそこには、いつの間にかバックヤードから出てきたいつもの店員さんの姿があった。


「おはようございま~す」


「はいおはようございます。今朝も早いのねぇ」


 カゴをレジ台に乗せて店員のおばちゃんにご挨拶。この時間によく利用するからすっかり顔なじみになった。


「おばちゃんもね」


「このくらいの歳になると早く起きちゃうのよ」


 このくらいの歳と言われても年齢は知らないし訊くと失礼だけど、たぶん50代後半から70代前半だと思う。顔はシワだらけで目尻が垂れ、よく笑うおばちゃん。けどその顔つきには、どこかもの悲しさを感じる。きっとこれまで色々なことがあったのだと思う。


「そっかぁ、初日の出は見に行くんですか?」


 会話しつつ、よくいる若い店員さんより少々まごつきながらレジ打ちをして、支払いは交通系ICカードだとわかっているから告げなくても勝手に操作してくれる。ポイントカードも忘れずに。現金で支払うとき、端数をポイントで清算するとお釣りを出さずに済むのでおばちゃんが喜ぶ。また貯まったら使うからね。


「それがお正月もシフトが入っててねぇ」


「うわっ、大変だ……」


 言ったときに会計が終わりレシートを受け取った。じゃあ、行ってきますと言って去ろうか迷ったけど他にお客さんはおらず、時間に余裕があるから会話を切らなかった。


「貧乏ヒマなしってね。ほかにも掃除の仕事とか、色々やってるのよ」


 別の仕事の話まで切り出してきた背景には、おばちゃんの話し相手欲しさがあるのだと思う。こういうときは、時間の許す限り話を聞いてあげたい。


「え、すごい! おばちゃんパワフル!」


 大変だね、つらいねと言うよりはこう言ったほうが元気になってもらえるかなと思案して出た言葉。さっきの「うわっ、大変だ……」は反射的に出た本音。私は社会人になっても元日から仕事なんかしたくない。


「まぁね。でもこれには、若いころの色んなツケが回ってきた気がしてるの。夜な夜なギロッポンのクラブに通ってやりたいことも見つけられず、いや、書道の先生になりたかったけど、それで食べて行ける自信がないから挑戦もせず諦めて、大意なく入った会社で事務やって、プライベートでは男を弄んだりもした。そのツケなのよ。人生はプラスマイナスゼロなんて言うけど、本当にその通りだわ」


 ギロッポンとは東京の六本木ろっぽんぎのこと。ピンクとか派手めな色のおっきい羽根みたいなのを振り回して踊ってたのかな。ダンシングヒーローとかそんな感じ? 昔話過ぎてよくわからないし詳しく聞く時間もないから想像を膨らませるしかない。


「そう、なの……?」


 私には未経験の話をされてどう返せばいいのかわからず、つい声のトーンを下げてしまった。


「そうなの。だからね、お姉ちゃんは自分の色香をプンプンさせたいお年ごろかもしれないけど、そういうことは気のある人にだけするのよ。素直な色香の使い方なら、ばちは当たらないから。清廉潔白に生きて、自分の進みたい道に進むの。じゃないとこうなっちゃうわよ」


 へらへらと冗談っぽく語るおばちゃん。あまり湿っぽくならないでと暗に訴求している軽薄な口調と空気を読んで、


「そっか! わかった! でもね、いつも朝早く起きて働いてるおばちゃん、私は素敵だと思う! だって、私なんかいま朝練サボって二度寝したくて仕方ないもん!」


 私もできるだけ明るく、嘘無く振る舞った。


「はっはっはっ、そりゃそうだ。私も若いころは早起き苦手だったもの」


「そっかそっか、朝眠いのは私が若くて美人だからだ!」


「そうそう! その心意気が大事なの!」


「え? 私、事実しか言ってないよ?」


 やだなぁもう、まるで私が美人じゃないみたいな言い方して。


「……うんうん、そうだそうだ!」


「そうだよね! 私美人! じゃ、行きたくないけど行きますか!」


「行ってらっしゃい。気をつけて」


「うん!」


 おばちゃんに手を振って店を出て、バッグにドリンクの入ったポリ袋を詰め、自転車のカゴにそっと置く一連の動作の中、私は考えていた。


 着替えが濡れちゃうけど袋は貰わなくても良かったかな。エコ的な観点で。


 それよりおばちゃんの人生。おばちゃんは若いころ、現代でいうギャルだったのだと思う。昔もギャルだったのかな。わからないけど、とりあえずよく遊ぶパーリーピーポーだったという話。


 よく遊んで、男を弄んで、つまり快楽に溺れて生きてきたから、いまになってそのしわ寄せが来たと、要約すればそういうことになる。けど、当然もっと色んなことがあって、その延長線上に今日がある。


 うーん、遊び過ぎとか男の人を傷付けたのは自業自得だとは思うけど、切ないなぁ。


 だっていまのおばちゃんは、私に気さくに声をかけてくれて、いつも元気を貰ってる。会計時のほんの少しの会話が気持ちをふわっと、晴れやかにしてくれる。そう感じているお客さんはほかにもいるはず。


 ならせめてその分は、幸せになって欲しいな。あの幸薄そうな空元気が、いつか実の詰まった本当の元気になって欲しい。でもそうなるには、私が足を踏み入れてはならないところをどうにかしなくちゃいけなそうで、もどかしい。


 人との距離感は必要でも、こういうときに結構つらい。


 多くの人が何かにつけて距離感という言葉を都合よく使うけど、救いの手がない人は、どうすればいいんだろう? おばちゃんには誰か親身になって、本当に自分を助けてくれる人はいるのかな? おばちゃんをバッチリ元気にするには、どうすればいいのかな?


 人には立ち入ってはいけない領域があるのは重々承知。私にも触れられたくない部分はある。だけどなんというか、理屈で片付けられるほど、人生は単純じゃないと思う。


 何か念を込めるように鍵を挿してサドルに跨り足で地を蹴り数メートルバックして、前へと自転車を漕ぎ始めた。

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