05. 死者は弔った。生者は叩き潰した

 聖教会せいきょうかいのヒルドヴィズルの約半数を抱える西方師団せいほうしだんは、所属するヒルドヴィズルを得意分野ごとに四種の兵科に振り分け、またそれらを混成した四つの大隊を編成している。

 ビクティム要塞を陥落せしめたのは各大隊から二十五騎ずつを選抜した百騎であり、四大隊と四兵科の長を兼務する四騎のヒルドヴィズルもまた参加していた。

 彼らを率いるは歴戦の英雄としてその名を轟かせるヒルドヴィズル、死神ラタムである。


 しかし彼はビクティム要塞を陥落させてすぐに前線を離れていた。レムレス平野の東の街、ヘリティアにて陣を張るライフィス皇子の呼び出しを受けたためである。

 自分が長く支え続けた戦場に突如割り入ったヒルドヴィズル達に、ライフィス皇子は不満を覚えたのであった。


 ラタムがライフィスの苦情に辛抱強く耳を傾けている頃、ビクティム要塞の一角にある司令室に、留守を任された三騎のヒルドヴィズルが集まっていた。


「この要塞に関する資料はそっくりそのまま残っていたわ。処分する時間がなかったんでしょうね。」


 真赤に塗られた唇がなまめかしい笑みを形作った。血液よりもはるかに赤い目は、深紅に塗られた自分の爪に注がれていた。波打つ黒髪が柔らかく背中を覆っている。彼女は名をフルミナという。


「要塞の掌握はすでに完了。まあ、勝手知ったる元拠点だものね。」


 テルセラは明るい声でそう言って、細く流れる亜麻色の髪を搔き上げた。きらきら光る青い目は、二人の仲間を忙しなく往来している。


遠話網えんわもうの設置も上首尾。それから、南西の崖にも私の大隊から一班を派遣したわ。」


 ビクティム要塞の南西には見晴らしの良い崖がある。そこからはビクティム要塞を見渡すことができるのだ。地形の都合上、反乱軍の本拠地であるアンビシオン方面からは近付けないが、レムレス平野の残党が辿り着かないとも限らない。


「見張り当番は私の第三大隊とフルミナの第二大隊で回しましょう。」

「それ、必要かしら?」


 爪に息を吹きかけるついでと言わんばかりにフルミナが言葉を発した。


「人間の視力では見えない距離だと思うけれど。」

「え? そうなの?」


 テルセラは目を丸くする。


「肉眼では見えない距離のはずよ。鈍い生き物よねえ、人間って。」

「あいつらそんなに視力悪いの? ううん、どうしようかなあ。」


 テルセラは頭を抱えた。ヒルドヴィズルは数が少ない。出撃したのは僅かに百騎。無駄なところに割く戦力はない。


「……それで、お片付けの首尾はどうなの?」


 あれこれと思い悩むテルセラを脇に置いて、フルミナはアルボルに赤い視線を移す。

 いわおのような肉体の巨漢である。元来恵まれた体格に岩石のような筋肉が絡み付いて膨れ上がった、人間離れした体躯。岩巨人ゴレムと畏怖される無双の怪力の持ち主だ。

 彼は名をアルボルと言う。


「死者はとむらった。生者は叩き潰したが、全てとはいかぬ。ああもちょこまかと逃げられてはな……」

「あら。デスガラルを貸してあげたでしょう?」


 からかうようにフルミナが言った。


「あいつは好かん。品性の欠片もない。」


 アルボルは腕を組み、忌々しげに吐き捨てた。


「実に楽しそうに人殺しをする……。あんな輩を重用するお前の気がしれん。」


 ヒルドヴィズルは極論すれば暴力装置である。知よりも武を重んじる傾向が強いのは当然のことであり、暴力を撒き散らすことに快感を覚える輩の比率も高い。

 フルミナ麾下きかのデスガラルという男はそんな集団の中でも度を越して流血を好み、残虐を愛する下種げすだった。この場の三人に勝るとも劣らぬ実力を持ちながら地位を与えられないのはその性格故である。


 部隊の長は狂暴な部下を押さえる役割を期待されて、強力なヒルドヴィズルが選ばれる。

 だが、デスガラルを押さえる役を担うフルミナは、必ずしもその役目を積極的に果たそうとしていなかった。


「仕事を楽しんでやる姿勢は批判するようなものではないと思うわ。」


 フルミナは赤く染め上げられた爪に向けて言葉を発する。


「何より可愛いじゃない。自分にしか懐かない、自分の言うことしか聞かない。そんなペットって。」

「貴様は――っ」


 アルボルが立ち上がった拍子に、彼の重みを支えていた椅子がひっくり返った。


「はいはい、そこまで! 喧嘩しない!」


 帯電する空気にテルセラが割り込んだ。


「からかっただけよ。」


 フルミナは鼻を鳴らした。アルボルは咳払いをして、話を戻す。


「ともあれ、ビクティムの東側ではもはや組織的な抵抗が成立する余地はない。」


 世界五大陸の中で最大の面積を誇る第一大陸は、天を突く山々が連なって成す中央連峰によって東西南北を分けられている。連峰の北側は雪に閉ざされた大地が広がり、カンビアル王国が支配している。南に広がるデセルティコ砂漠は遥か昔から神聖帝国の領土である。


 かつて神聖帝国から分離したリニョン王国は、中央連峰の西側を領土とし、連峰を抜ける数少ない道の入り口にビクティム要塞を築いた。

 東西を行き来する道は他にもあるが、あまりに過酷だ。敗残兵の身で連峰を超えるのは難しい。超えたところでまともな戦力として復帰するのはさらに難しい。


「なら、とりあえずレムレス平野の残党狩りは切り上げて良いかな。」

「そりゃ助かる。俺は細かい仕事は苦手なんだ。」


 アルボルは唸り声のような溜息を発した。彼の鼻息に舞い上げられた埃がくるくると回るのを、テルセラは何となしに目で追った。


「知ってるわよ。ノックもまともにできないんだから。どうするのよ。あんたが門を破壊したせいで、要塞の東側が開きっ放しなんだけど。」


 フルミナは嫌味っぽくアルボルの失敗を引っ張り出した。赤い爪が机に律動を刻む。


「それは……だが、ラタムも止めなかったし。」

「ラタムは構わないと判断したでしょうねえ。でも、皇子様はどうかしら? 私たちの乱入に、大層お怒りのご様子よ? この要塞は軍に引き渡すのだし、傷物にしたのが解ったらますますお怒りになるかも。」


 フルミナの声には笑みの成分が多分に含まれていた。


「ふん、何が皇子か。戦も知らぬ人間の若造ではないか。」

「そうよ? でも、俗世ではとぉっても偉いのよ。」


 フルミナは爪を天井にかざして目を細めた。


「ラタムも大変ねぇ。あんな小者の相手をしなくちゃならないなんて。同情するわ、うふふふふ。」


 フルミナはとても楽しそうだった。盟友の苦労を嘲笑する彼女の態度はアルボルの神経を逆撫でしている。


「フルミナ、あなたね――」


 テルセラがフルミナに言葉をかけようとした時、彼女の耳たぶに装着された創具そうぐが熱を持った。指で押さえると、根源ノ力の揺らぎが音となってテルセラの鼓膜に情報を伝える。南西の崖に派遣した部下からの報告だった。言葉が進むほどに、テルセラの表情は曇った。


「……南西の崖に派遣した班の一人が死亡したそうよ。」


 テルセラの深刻な声を聴いて、アルボルの眉間に深い溝が刻まれた。


「敵襲か?」


 仲間の死を耳にしたアルボルは、強烈な怒りを発散していた。


「詳しいことは解らないわ。一人が先行して、仲間が追いついた時にはいなかった。砦に戻って命示めいしを確認したら砕けていた、ということらしいわ。」

「あらあら……」


 フルミナは静かに目を細めた。口元を手で押さえたのは、漏れ出でる笑い声を遮蔽する唇の歪みを隠すためだった。


「ヒルドヴィズルを殺す力のある何者かがあの近辺にいたのは間違いない。もしかしたらあの方かも……。アルボル、調査をお願い。深追いはしないように。私は――」

「あなたは部下から直接報告を聞いて来なさいな。ラタムには私から報告しておくわ。」


 テルセラの言葉を遮って、フルミナが柔らかな声で提案した。

 三人は互いに頷き合うと、それぞれ窓やドアから好き勝手に部屋を飛び出して行った。


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