負の連鎖

木下美月

負の連鎖

 この世は理不尽な事ばかりだ。

 忌まわしい上司の言い掛かりによって起こった、吐き気の様な不快感を胸に蟠らせたまま、俺は医者と対面した。



 「……え?夢遊病?」


 ここ最近、いくら眠っても取れない疲れに限界を感じて、俺はここにやって来た。


 「本当にそんな病気があるんですね」


 「ええ、症状の重さは人により様々です。軽いものなら眠ったまま歩いたりしますが、重いものだと家族と簡単な会話をするケースもありました。原因は一概には言えませんが、ストレスに影響される方がほとんどですね」


 ストレスなら、心当たりがある。間違いなく職場の、あの上司が原因だろう。

 なぜ俺があいつのせいでこんな不幸を被る羽目になるのだ。

 許せない。

 こんな病気に見舞われるくらいなら、あいつに害を与えてやりたい。一層のこと殺してしまってもいいかもしれない。でなきゃ俺の精神が危険だ。

 精神の死というのは、実質的な死よりも深刻だと俺は考える。街で見かける様な頭のおかしい奴に、俺はなりたくない。そうなるくらいなら死んだ方がマシだ。

 だからアイツを殺して、俺も相応の罰を受ければ、少なくとも現状より良い未来が待っているはず……。


 「とにかくストレスは溜め込まない事です。趣味や運動で発散するなりーー」


 医者の言葉もロクに聞かず、俺は病院を後にした。


 一人暮らしのアパートに帰り、ベットに倒れ込む。

 上京して六年が経った。

 思い返すのは故郷の家族や友人。

 俺のザマを見て皆んな心配してくれるだろうか。笑わないで欲しいけど。

 俺が打ちのめされたのはきっと、環境が悪かったんだ。

 別の場所に居られれば、今より上手くやれてたはず。

 だからアイツが憎いーー


 その時、チャイムが鳴った。


 「もう、心配したのよ、本当に大丈夫なの?」


 部屋を訪れたのは俺の唯一の癒しである恋人だ。


 「悪いな、あまり重く考えるなよ」


 俺は今夜自分を見張ってもらう。

 医者の言葉を疑ったわけじゃない。

 しかし夢遊病という、眠ったまま行動する人類の謎が自分に降りかかっているとは、どうにも納得できなかった。きっと今まで健康体であったから尚更なのだろう。


 「うーん……軽い症状だといいけどね……」


 彼女は心配をあらわにしながらコーヒーを淹れた。

 眠る俺に対して、眠れない恋人。

 少し申し訳なくも思ったが、俺は少しの好奇心と不安を胸に、夜を迎えた。


 「ねえ、貴方が誰かと話していたらどうしよう」


 「まさか、一人暮らしじゃそれはあり得ないだろ。家族がいればまだしも、眠ったまま家を出るなんて考え付かない」


 「じゃあ逆に、貴方が普通に眠っていたらどうしよう」


 「それは面白くないけど、その方が健康的だな。しかし医者には文句を言わなくてはならない」


 どんな結末が訪れるか、二人は心配を会話にしながら時間を過ごした。


 「じゃあ俺はもう寝るよ……面倒ごとを頼んで悪いね」


 「いいわよ、私と貴方の仲だから……おやすみなさい」


 果たして、病は本当なのだろうか。

 未だ信じきれない病気と、その原因である上司への恨みを思い浮かべながら、自分の病気の重さによっては殺してやろうと決意を固めながら、俺は眠りに就いた。



 最初に感じたのは、背中に走る痛みだった。

 まるで何かに叩きつけられた様な。

 目を開くと、知らない天井が見れた。


 「ここはどこなんだ?」


 自分が床に倒れている事を知って、ゆっくり起き上がる。


 「貴方……!まさかこんな事になるなんて……」


 隣で泣き叫ぶ恋人は足から血を流してへたり込んでいた。

 驚いて正面を見ると、そこには包丁を持った女が怒っていた。


 「ねえ、どういう事なの?誰なのよこの女は。どうしてここに別の女を連れて来たの?今までの私との時間は遊びだったの?貴方、何を考えているの?許さない……絶対に……」


 俺は瞬時に事の大きさを理解した。

ここは知らない女の部屋で、相手は俺と随分仲が良い様だ。

 まさかとは思うが、夢遊病で無意識の内に知らない女の家に上がり込み、仲良くなっていたのか。

 しかも大変な人格の持ち主な様だ。


 「待ってくれ!君は勘違いしている。俺は病気で……」


 「バカにしてるの?これ以上わたしを傷つけるつもり?もう、いいわ。私は貴方が何を言っても許せないから」


 頭が真っ白になった。俺の胸も、隣の恋人の胸も貫かれて真っ赤になっていた。


 まさか夢遊病が原因で殺されるなんて。

 いや、元を辿れば上司のせいだ。

 アイツのせいで俺は病気になり……。

 そうか、傷付いた俺は、目の前の女を知らないうちに傷付けていたんだ。

 こうやって傷は広がっていく。

 俺は胸の血を見る。

 まるでこの社会の様だ。

 傷付き、傷付け、その負の連鎖が社会を腐敗させる。

 俺を思いやってくれた故郷の人たちの顔が最後によぎる。

 俺を愛してくれた人は、俺の死を受け入れてくれるかな。

 どうか許してほしい。

 勝手に死ぬ俺を許してほしい。

 俺を殺したこの女を許してほしい。


 許す事だけが、負の連鎖を止める唯一の方法だから。

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