第一話。光の嵐。

 二人旅をしている。

 エーテルで動く四輪駆動。新品ビークルの荷台の上で、黒髪の女の人があくびをした。

 狩猟の女神クロエテオトルは、数日振りの晴れ間を満喫している。

 まさに晩秋のただ中、朝と晩はずいぶんと冷え込むくらいの季節だけれどそんなことは気にも留めず、クロエのお気に入りの場所は相変わらず荷台の上らしい。

 皇国ホーエンベルグの首都ウィルズを出てから六日が経った。出発の日を除いて今日まで、日中はずっと雨が降っていたから、クロエが荷台に出たのは久しぶりだった。

 クロエの様子はアルルカンを発ったときとあまり変わらないけれど、ついにぼくたちの、地図を描く旅が始まっていた。ぼくの両親が描いたホーエンベルグまで地図からにょきっと、ぼくが通った道が生えていた。神の白地図は、この六日間で通った道を忠実に描画してくれている。


 けもの道の両側に生えた針葉樹は、しばらく続いた雨にくたびれた様子で、しんなりと葉を垂らしている。

 しっとりと湿った空気は冷えていて、冬の気配を感じさせた。

 冬は好きだ。春も夏も秋も好きだけれど、冬が一等好きだ。

 特に、雪がウンと降った次の日の朝が好きだ。とても静かで朝陽がきらきらと輝いていて、そんな朝はとても特別なものに感じる。

 もちろん、雪かきは大変だけれど。

「ねえ、ルチアーノ。せっかく晴れているんだけれど、また少し荒れそうだよ。まったく、ため息が出そう」

「そうなの。車の中に入っておいたら?」

「うん、そうしよう。残念だ」

 ため息をつきながら、クロエが荷台の扉から助手席へともぞもぞ這入ってきた。

 心底残念そうな顔だ。

「荒天は別に、嫌いなわけではないんだけれどね」

 物憂げな瞳で窓の外を見るクロエ。ぼくの眼には、まだまだ快晴が続きそうに思えるけれど、クロエは天気の崩れを予期しているようだ。

「ウィルズに着く前も雨に降られたね」

「あの時は雨だったけれど、今度は風だ。嵐が来るよ」

「それじゃ、幌を降ろしておこうか」

 ビークルを停めて、荷台の幌を引き下げる。連日続いた雨がまだ乾ききっていなかったようで、しわが寄っていた。

 譲り受けた酒屋のビークルと違って、ロッドを立てたり掛けたりする必要がない。幌自体に鉄骨が入っているから、それだけで自立するという優れものだ。だからクロエと一緒に作業する必要もなく、一人の仕事で事足りてしまう。

 幌を荷台に固定して運転席に乗り込んだ時に……

「ルチアーノ、誰か来るよ」

「え、誰か?」

 こんなところを誰かが通るのだろうか。

 タビモライ……産まれた場所から遠く離れると発症する死に至る奇病。呪いのような病があるから、人は気軽に移動なんてできないはずだ。

 街は、もしくは村は……あるいは集落はここから近いのだろうか。ウィルズから六日間ビークルを走らせて来た道では、そういった場所は見えなかったけれど。

 ブロロ……とエンジンの重低音が聴こえてきた。

 クロエが焦る様子はない。

「誰だろう?」

「きみは呑気だなあ、ルチアーノ。逃げる必要はなさそうだけれど、毎回こんな調子じゃいつか痛い目に遭うよ」

「クロエを信頼してるんだよ」

 と言いつつ、念のため腰回りを確認して、短剣の所在を確かめた。

 エンジンの音はゆっくりと小さくなり、ぼくらが乗っているビークルのバックミラーに正体が映る頃には、スピードは落ちて、遂には止まった。

 二輪のバイクビークルだった。大きな獣のようなそれから降りてきたのは、布で顔をぐるぐる巻きにした人間だった。

 首都ウィルズで服を買う前のぼくみたいなありさまで、ぼろきれを身に纏っている。それは本当にぼろきれだった。執拗に重ねたその布は、まるで肌を覆い隠すためにそうしているようだった。

 その人はバイクビークルに設置してある箱から布を取り出して、機体をぐるぐる巻きにしていた。バイクまでぼろきれで隠している!

 作業が終わるとこっちに近づいてくる。両手を広げて、武器を持っていないことを示してくれた。

 旅慣れをしている印象だった。

「きみたち、まさかとは思うが旅人か?」

 人物はビークルの窓に手をかけて、運転席側から声を掛けてきた。

「まあ、そんなところです。あなたは?」

「俺は墓守だ。墓守のリーヴ。警戒しなくて良い。武器は持っていないから」

「墓守?」

「話は後にしよう。しばらくここにいるのか? 停まってるつもりなら、中に入れてほしい。風が通り過ぎるまで」

「風ですか」

 クロエが言っていた嵐のことだろうか。当のクロエは興味もなさそうにあくびをしている……

「良いですよ。狭いですけれど」

 ピックアップスタイルのビークルでは後部座席が無い。代わりに荷台になるベンチが設置されいて、そこに座ってもらった。

「やあ、助かるよ。あのバイクの布の中でもやり過ごすことはできるが、しばらく身動きが取れないのはつらいから」

 ぐるぐる巻きの顔から布を剥ぎ取った。首にかかる程度の長さの髪は、驚いたことに灰のように真っ白だった。肌も真っ白で、すっと通った鼻筋の両側にある瞳は、青空の色をしていた。

「そんなに強い風が来るんですか?」

 ぼくの質問に、リーヴさんは切れ長の目を丸くしていた。

「なんだ、もしかしてここにあるものを知らないのか?」

「え、なに?」

 リーヴさんが窓の外へ目を遣った。

 チリ、チリ、となにか硬く小さいものが擦れる音が聞こえる、気がする。

「この先には海があるって、聞いてます」

「間違いではない。でもその海はただの海じゃない――」

 チリチリ、カリカリ、音は次第に大きくなっていた。

 木々が揺れ始める。でもこれは葉擦れの音ではない。

 砂、金属、あるいは――

「――硝子の海。巨像の力で天変地異に曝された、忌々しい呪いの海だ」

 突風が運んでいたのは砂礫のように細かい硝子。

 ぎらぎらと輝く光の粒が縦横無尽に舞っている。

 あっという間にフロントガラスを覆いつくした白銀の嵐は恐ろしくも、綺麗だった……

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穏やかな終末に、一杯の葡萄酒を。 きゃのんたむ @canontom

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