第五話。首都ウィルズ。

 皇国ホーエンベルク。そしてその首都ウィルズ。

 世界で一番巨大な版図も今やスカスカで、見渡す限りの無人地帯ノーマンズランド。アルルカンからウィルズまでの道で見たような光景が、この先ずっと続いている。

 かつて人間たちが繁栄を極めていた時代、この街は最も豊かな土地のひとつとして謳われていたという。

 未来ある都市ウィルズはホーエンベルクの若者たちの憧れだった。

 金とモノに溢れた刺激的な世界。不夜城とも呼ばれた牡牛の一角塔タルス・ケルス。眠らないみやこで毎夜繰り広げられる乱痴気騒ぎ……

 しかし今や、その見る影も無し。

「あー、このビークル、地図描きの少年か」

 壁も無ければ塀も無い。それはそうだ、かつてのウィルズはもっと広くて、壁があるとするならば、ぼくらは既にそこを通過しているはずだから。

 けれどなんとなく主要道の形だけは残っていて、アルルカンからはそこを通ってきた。草がぼうぼうと生えていた景色にも、昔は鉄や石膏セメントでできた建物があったはずだ。

 そのなんとなくで残り続けた道の果てに、ぽつねんと立つ苔だらけの門。鋼鉄の支柱は雨風にやられて今にも折れそうだけれど、それでもウィルズの入り口の役目を果たしていた。

 その関所には、体裁だけでもという如何にもやる気の感じられない衛兵さんたちがいた。ぼくら以外に通る人はないようで、衛兵さんたちはすぐに対応してくれた。

「ここが門ですか?」

「そうそう。壁も無いけどな」

「誰かが入って来たり……は、しないのか……」

「アルルカンから、遠かったろ?」

「六日かかりました」

「はー、そうか、ご苦労さん。ええと、ビークル停めるところは……」

「あ、ビークルショップってどこにありますか? これ、売ってこいと言われてるんです」

「ああ、そうか。走りそうにないもんなあ……。えーと、一番デカいのは確か門をくぐって東のほうだ。宿を取ってあるから、」

「宿!?」

「そうそう、ハハハ。取ってあるんだよ。だからまずは宿に荷物を置くと良い。ただ、ビークルショップは、開いてないかもしれないな」

「休みですか?」

「ああ、お祭りなんだよ。アルルカンもちょうど収穫祭の頃じゃないか?」

 そうか、お祭りの時期って被るんだ。

「ウィルズは、どんなお祭りをやるんですか?」

「ああ……」

 そのとき、半開きの門の向こうから牛の鳴き声が聞こえた。

 猛々しい、轟くような雄牛の声だ。

「聖火祭だ」

「聖火祭?」

「そう、これからグッと寒くなるだろ? だから今年の冬を越せるように、今年の聖火を焚くんだよ」

「アルルカンにも、聖なる焚火跡エインツォフィレアという、火を祭る場所がありました」

「ああ、そういえばアルルカンの聖なる焚火跡エインツォフィレアは、ウィルズの火から生まれたんだよ」

「そうだったんだ!」

「寄り道する時間があるなら、見て行くと良い。祭りは明後日だよ」

「はい! ありがとうございます!」

 衛兵さんに挨拶をして、いよいよウィルズに入った。

 関所を抜けると、一気に視界が広がる。

 一番最初に目がいったのは、やっぱり巨大な牡牛の一角塔タルス・ケルス。四角錐で先細りした後に、てっぺん付近で二つに分かれる。どうやって作ったのかもわからないいにしえの塔は、その角の一本がぽっきりと折れている。いつ作られたのかもわからない、いつ折れたのかもわからない。

 その古塔の周りにも、アルルカンとは比べ物にならない大きさの建物が点在している。白い壁や黄色い壁、柔らかい色の街の天井は真っ赤。計っているのか偶然なのか、素材に関わらず屋根という屋根が明るい赤色だ。

 見ているだけでも楽しくなってくる賑やかさ。よく見るとほんのブロック一つ分だけ、歩道が高い。すごいぞ、歩道と車道が分けられているんだ。

 それに人がたくさんいる。いま視界にいるだけでも、アルルカンのみんなを合わせた数になるかもしれない。

「道が土瀝青ビチューメンだよ、クロエ」

「ビチューメン?」

「大崩壊の前には、この土瀝青ビチューメンっていうのが道の限りずーっと伸びてたんだって。ほら、石畳みたいにごつごつしていないし、割れにくいし、水はけも良いんだ」

「失われし先人の知恵というわけだね」

「うわ! 不吉なこと言わないでよ!」

 失われし先人の知恵はもうこりごりだ。

 アルルカンの黄ばんだ石畳と比べて、ウィルズの道は少しだけ青っぽい。それに土瀝青ビチューメンは石を組み合わせるのではなく石膏のようなものだから、おんぼろビークルのおんぼろタイヤでも難なく走ってくれる。

 今までの悪路がうそみたいに、ぼくのお尻を揺らし続けていたシートはおとなしくなっているし、荷台の荷物がガタゴト震える音もしない。

「あ! 信号がある! 本当に電気が生きてるんだ……いや、エーテルかな? どっちにしろすごいや……」

「ルチアーノ、あの塔はいったい何の塔なんだい? タルス・ケルス?」

「大きいよねえ。時計塔だったって聞いたよ。塔の中にはたくさんのレストランが入ってたけど、今はもう無いみたい。贅沢はできなくなっちゃったから」

 抜け殻の不夜城。

 どれだけのお金があっても、どれだけの人がいても、無尽の食材が降ってくるわけではない。ご飯という領域は、巨像に奪われた贅沢としてかなりの割合を締めている。

 それでもウィルズの人たちは、誇り高き巨大建造物、牡牛の一角塔タルス・ケルスを解体することはなかったようだ。

 塔は街の中心にあるようで、それを目印にして進んで行けば、すぐに目的の場所に辿り着いた。

 衛兵さんたちが教えてくれた、くだんの宿屋『風船と蹄亭』。二台だけ停められる駐車場に、ビークルをお尻から突っ込んだ。アーチ状の出入り口はちょっと狭くて大変だったけれど、ぼくは運転が結構うまいんだ。

 近くに寄ると、他の建物と素材が違うのがわかった。石造りの柱に、レンガの壁。新しい建物に見えるけど、建築用土瀝青ビチューメンに比べるとやっぱりレンガは安っぽい。ふと周りをよく見てみると、レンガ造りの家もぽつぽつとあるようだ。

「ね、クロエ、宿屋ってさ」

「うん?」

「旅行する人がいないのに、やっていけるのかな?」

 もう旅をする人なんていない。

 わざわざ不治のタビモライに冒されてまで、そんな酔狂なことをする人は。

「それが実は、泊まる人は結構いるんだよねえ、食っていけるくらいには、さ」

「あっご、ごめんなさい!」

 ぎ、と扉を開いて、中の人が出て来た。

 宿屋の人だろうけれど、マズい、今の話を聞かれてしまったみたいだ。

「ははは、良いって良いって、花屋とか、あと自転車屋なんかも不思議だよね、どうやって食っているんだろうって。でもみんな、ちゃんとやっていける仕組みがあるんだよ。さ、歓迎しますよ、地図描きくん」

 短い茶髪の、すらっとした女性だ。

 身長はクロエよりも高いかもしれない。右耳にぶら下がる銀色のピアスが夕陽に照らされて光っている。

「ありがとうございます……」

 二段だけの階段を上がる。扉をくぐると、薄暗いロビーが広がっていた。白い布を被せられた机と、赤い絨毯。高い天井からは小さなシャンデリアが降りている。どこかからか、コーヒーの香りも漏れて来た。

 失礼な言い方だけれど、建物の外見からは想像ができないほど奇麗な内装だ。

「ちぐはぐなんだよね、全部」

「え、あ……」

「新しくすると古くなるんだ。一度壊れてしまうと、一度風化してしまうと、もう戻せないんだよ。建築用土瀝青ビチューメンはあまりにも高くてね」

 この街を未来ある都市ウィルズと呼ぶのは、いささか皮肉が効きすぎている気がした。新しくすると古くなる。未来がある都市。

 宿屋のお姉さんは、奥からコーヒーを二つ持って来てくれた。

 ぼくとクロエはテーブルについて、暖かいマグカップを受け取る。

「ところで、サンタマリアというのはきみで良いのかな?」

「あ、はい、ぼくです。ルチアーノ=サンタマリア、こっちは……」

「クロエです。クロエ…………クロエ=テオドール」

 なにそのやっつけ感があるごまかし方……

「神様みたいな名前だね。よろしく。わたしはジェニカ=モニカ。この宿屋の支配人」

「よろしくお願いします。あの、誰が宿を取ってくれていたんでしょう?」

「あら、聞いてなかったの。アルルカンの手紙に書いてあったわよ」

「衛兵さんたちかな……お礼を言いに帰ったほうがいいかな」

「ふふ、粋な計らいには粋に応じることが一番のお礼になるんだよ、ルチアーノ」

「なるほど、貴女は保護者か」

 ジェニカさんは白い歯を見せて大きく笑った。

「ただ、悪いね、ちょっとまだ部屋の掃除が終わっていないんだ。連日、家を締め出された酔っ払いどもがなだれ込んできちゃってさ。あっ、今日は立ち入り禁止にしてあるから、そこんところは安心して」

 なるほど、これが宿屋が経営できる理由か……

「荷物だけ置いて、観光でもしてくるのはどうだろう。治安はどこもかしこも良いから大丈夫。ご飯はどうする? 言ってくれたら用意できるよ。お酒もね。聖火祭のことは聞いたかな」

「明後日でしたっけ?」

「そう、本番は明後日のお昼。屋台なんかは明日の夜出るよ」

「じゃ、今日はここで食べさせてもらおうか、クロエ?」

「任せるよ、ルチアーノ」

「じゃ、お願いします。モニカさん」

「合点承知。あとジェニカで良いよ、地図描きくん」

 宿屋を出ると、夕陽はもう沈みかけていた。

 建物の多いウィルズの影は深い。ぼくらの影もすっかりと飲み込まれている。

「保護者って……」

「ふふ」

「なにさー笑って!」

「よしよし」

「撫でないでよ!」

 ぼくとクロエは街を歩き始めた。

 人がこんなに歩いているのなんて見たことがない。アルルカンはみんなの顔を知っていたけれど、ウィルズの人たちはさすがにそれは無理なんだろうな。

 寂しい気はするけれど、都会ってそういうところだ。たぶん。

 ウィルズの空は遠い。建物が上に伸びているからかな。

 ぼくの小さい身長では、どれだけ腕を伸ばしても届かないと思い知らされる。

「ビークルショップも休みかもしれないし、どこ行こうか、クロエ」

「こういうときどうするべきか、教えてあげようか」

 クロエは階段を降りて振り返る。

「路地を目指すんだ」

「路地?」

「そう、路地。あえて地図は持たないで、たくさんの路地を見て、ピンと来た路地に入るんだ。どうだい」

「行ってみよっか」

 陽が沈みかけたウィルズの街並。

 今にも眠りにつく夕陽が白い建物を真っ赤に染めていた。

 宿屋の扉を出て左。ビークルで来た方向とは逆だ。

 その道を進むと大通りに出た。

「すごいビークルの量……」

 信じられない。二車線の車道を色んなビークルがひっきりなしに走り去って行く。

 アルルカンには全部で五台しかビークルが無かった。これはちょっと信じられない。ビークルってこんなにあったんだ。こんな量の燃料を用意できるはずがないから、きっとエーテル車だろう。だとしたらあの信号もエーテルか。

 アルルカンにこの技術を持っていっても……技師がいないから、無駄な話か……

 都会の喧騒をかき分けて、鉄柵が立てられた歩道を進む。カバンを背負った小さな子どもたちが、きゃっきゃと騒ぎながら駆け抜けて行った。

「クロエ、赤だよ、赤」

「赤?」

「ほら、信号、赤のときは止まる」

「どうして止まらないといけないんだい? わたしはわたしが進みたいときに進むし止まりたいときに止ま――」

「ちょっ!」

 びゅん、とクロエの目の前を大型ビークルが通り過ぎて行った。ポニーテールがびくりと揺れる。

 間一髪で轢かれずに済んだクロエが唇を引き結んで振り返って、

「なるほど」

「もー、気をつけてよ……」

 神さまが轢かれてしまっては大変だ。

 人工物に対しては、本当に勘が効かないらしい。

 しっかりと青信号になるのを待って、道を渡る。歩道と車道が分かれていると、色んな決まり事が生じるんだ。

 道では露店の準備が始まっていた。

 平台にはぎっしりと白い封筒が並んでいる。首都ともなると、手紙の量も増えるのかな?

「ルチアーノ、気になっていることがあるんだけれど」

「なに?」

「例えばアルルカンには家畜がいなかったよね。けれど干し肉を貰った。あれは牛の肉だと思うけれど、村で手に入らないものはどうやって作っていたんだい?」

「ああ、それはね、それぞれの村や街の中間地点に繋ぎヴィクラットっていう場所があって、そこに必要なものを届け合うんだよ。ものだけじゃなくて、これを手配してくれっていう発注書なんかも」

「なるほど、そうやってタビモライに抗っているんだね。気高く立派な『たたかい』だ」

 クロエは嬉しそうに微笑んでいる。

 どうしてだろう。ぼくが旅に出ると口に出したときも、同じように笑っていた気がするけれど。

「ルチアーノ、あそこの路地はどうだい?」

「ん、行ってみようか」

 路地があった。アーチ状の入り口には『車輪通しの路地ヴェロレットクロス』というメッキの看板が貼付けられていた。

 クリーム色の壁に囲まれた陽の当たらない路地。ここの地面は、石畳だ。

「こんな路地でも、窓はあるんだね」

「よく見て、ルチアーノ。これは絵らしい」

「絵?」

 ……本当だ。壁に窓があると思ったけれど、どうやら絵らしい。鉄の窓枠まで使って、どうしてだろう?

 クロエは壁に指先で触れながら前に進んで行く。

 ぼくの前を行く袖の無い真っ白のワンピースは、光の届かない路地でも存在感を存分に放っていた。

 ご機嫌に踊っていた編み上げの革サンダルがふと止まり、ぼくの方を振り向いた。

「ルチアーノ、あそこに何かお店があるよ」

「何のお店だろう?」

 鉄の看板には管のプルムスと書いている。看板に施されているメッキの意匠は、やっぱり配管がモデルだろうか。

 扉のドアノブも、配管のカーブが使われていた。妙に握り心地が良い。

 開けてみると、階段が地下へと伸びていた。ひんやりとした石壁に囲まれた石段の先からは、オレンジ色の光が漏れ出していた。

「悪いねお客さん、祭りの準備で忙しいんだ」

「あっ、す、すいませ……」

「おや」

 光の先から顔を出したのは分厚い眼鏡をかけたおじいさんだった。

 髭をもごもごしながら、眼鏡を上げてぼくを見ている。

「見ない顔だね」

「あー、えっと。アルルカンから来ました」

「アル……え? アルルカンは、遠いはずだ」

「あの、ぼくは……」

「きみ、タビモライという病気を知っているかね。まだ戻れる、これくらいの距離ならまだ大丈夫だから、今すぐアルルカンへ戻りなさ――」

「彼は地図描きです」

 差し込まれるクロエの声に、おじいさんの目が見開かれた。

 次いで眉根を寄せて、溜め息をつく。

「ああ、そういえば来ると言っていたな。こんな少年が……であれば、歓迎せねばなるまい。こんな工房だけど、何かご用かい」

「いえ、何のお店なのかなって、気になって」

「ここはプルムの店さ。上水道、下水道、ガス管やエーテル管、細いのは煙管キセルから太いのは煙突まで、なんでもござれ」

 壁には、無数の『管』が飾られていた。犇めくように、上下左右を組み合わせて、クロエの指みたいに細いパイプから、酒屋のおじさんの腕みたいに太いパイプまで。色んな素材が所狭しと。

 目映く輝く灯りの元は、ランタンではなくエーテル灯だ。やっぱり、この街ではエーテルがまだ生きているんだ。

 階段の壁に取り付けられた一本の真鍮色の管は、たぶんドアが開く音をこの地下まで伝えるものだろう。本で読んだことがある。伝声管というやつだ。

 現に管の終点はラッパのように開いていた。

「今はなにを作っているんですか?」

「明後日の祭りのことは知ってるかい?」

「はい。聖火祭」

「そのときに使う管さ。耐熱ゴムを手に入れるのにえらく時間がかかってしまったから、こんなに納期ぎりぎりだがね。材料が無くって大変だよ」

「す、すいません、お邪魔でしたか?」

「いやあ、良い良い。もうすぐ終わる。それに偉大なる地図描きさんだと知ったからには、追い返すわけにもいかないしな」

 管、か……

「もし、ビークルを売りますって言ったら、助かりますか?」

「……ルチアーノ?」

 クロエがぼくを見た。

 良いのかい、という顔だ。

「親父さんも、パーツで売って良いって言ってたし……。どうでしょう、管屋さん」

「アルルカンのビークルって言うと、さしずめ酒屋のものか? ああ、そういえば、言っていたな、小さな子どもがいると。そうか……ハッハッハ!」

 おじいさんは眼鏡を外して苦笑した。

 膝をパンと叩いて立ち上がる。

「いやな、あのビークル、おれが何度も修理してやったんだ。帰ってきやがったぜ、ハッハッハ! 良いだろう。言い値で買おう。まさかおれが使ったパーツが、おれの手元に戻ってくるとはな」

 そうか……

 あの型落ちのビークル、村の工屋さんでは直せないから、たまに首都へ修理に出していたと言っていたな。

 偶然にも、このお店だったんだ。

「でも旅にはビークルが必要になるんじゃないか?」

「それは、買います。新しいやつ。ビークル屋さんが閉まってるかもしれないから、お祭りが終わった後に」

「ああ、じゃあ良かったらせがれに言っておくよ。金があるなら、明日にでも用意できるだろう」

息子せがれ?」

「ビークル屋の店主だよ。おれの息子だ。このご時世、一族郎党、みんな同じようなことをしてるもんさ」

 そうなんだろうか。

 いや、そうなんだろう。ぼくは地図描きのサンタマリア。一族郎党、地図を描くために生まれて、そして地図を描いて死んでいる。

「この工房はおれの代で終わりだが、技術はせがれが受け継いだ。あいつはエーテルエンジンも直せるさ……」

 おじいさんが目尻に皺を寄せて笑った。分厚い眼鏡が少しだけその皺を深く、大きくしていた。

 そうこうしているうちに、『伝声管』から鈴の音が聞こえた。やっぱり、これはドアが開いたときの合図だ。

「ああ、帰って来たな」

「おじいちゃーん!」

 ばたばたと騒がしい音と共に階段を降りて来たのは、ぼくと同い年くらいの女の子だった。

 その小さな鼻は、おじいさんに似ている。短い金髪と青い瞳。

 階段の影にいるぼくらにまだ気付いていない。

「完成したわ! 間に合った! おじいちゃんは大丈夫そう?」

「ああ、おかえり、アニー。こっちももう出来上がるよ」

「良かった! これで今年も暖かいカリダニクスができるのね……ウワ! 誰!」

 ぼくらを見つけた途端、謎のポーズを取ってぼくらを警戒する女の子。

 おじいさんは苦笑して立ち上がり、女の子の肩を優しく叩いてぼくらを紹介してくれた。

「彼らは地図描きさんだ」

「地図描き……地図描き!? 地図描きって、あの地図描き!?」

「あ、あの地図描きがどの地図描きかは知らないけれど……そうです、地図描きのルチアーノ=サンタマリアです。こっちはクロエ…………クロエです」

「へえーッ! すごいすごい、おじいちゃん! 地図描きさんだって!」

「そうだなあ」

 元気な子だなあ……

「ち、地図描きって、そんなに喜んでもらえるものなの?」

「だって! だってだって、地図描きさんがいなくちゃ地図ができないじゃない! 地図があれば新しい繋ぎヴィクラットだって作れるし、新しい繋ぎヴィクラットがあれば新しい素材も新しい技術も手に入るかもしれないんでしょ? 私、豊かな黄昏を……世界を終末から救うのは、地図描きさんだって思ってるわ!」

「は、はあ……がんばります……」

「あ! 私アニーって言うの! よろしく! ルチアーノくん!」

 ババ! と右手を差し出して来て、思わずその手と握手する。これまた力強く振り回されて、肘のあたりがびりっと痺れた。

「クロエさんはびっくりするほど美人さんね……ルチアーノくんのお姉さん……じゃ、ないよね」

「ふふ、なにに見えるかな」

「……保護者? ま、私いそがしいの! ごめんね、また会いましょ!」

 じゃあね、と言って再びばたばたと音を立てて階段を上がっていってしまった。

 クロエはお腹と口の辺りを押さえて笑いを堪えている。

 また、保護者と言われてしまった……

「嵐のような子じゃろう」

「元気ですね……」

「おれの孫だ。さっき言ったせがれの、その娘」

「お孫さんですか」

「不思議なもんだよ。あの子の中におれの血が流れているのかと思うと、不思議なもんだ」

 自分の子ども、孫……

 父さんと母さんは、ぼくのことをどう思っていたんだろう。写真でしか見たことがないおじいちゃんが生きていたら、やっぱりぼくのことを『不思議』と思っていたのだろうか。

 脈々と受け継がれるサンタマリアの血は、張り詰めたたった一本の糸のようだ。

 旅に生きて旅に死ぬ。同じ土地に根を張ることがない流浪の一族。ぼくの母さんにも父さんと母さんはいて、やっぱりタビモライで死んでしまったと聞いた。

 遥かなる南の地、極南に近い場所にあるというサンタマリアの本家は、最早残っているのかもわからない。

 サンタマリアに帰る場所は無いのかもしれない。

 けれど、誰よりも確固たる目的の場所さいはてがある。

 それはきっと、とても心強いことだと思う。

「今日は他に用事はあるのかい」

「うーん……」

「酒屋のおじさんが言っていたよ、ルチアーノ。寒くなる前に服を買おう」

「ああ、そうしたほうがいい。大通りに服屋はたくさんある。明後日は『雪』が降るからな。寒くはないだろうけれどね」

 そう言うと、おじいさんはニカっと笑った。

 強靭そうな白い歯と、分厚いメガネで拡大される目尻のシワ。きっと良い人なんだろうなと、そう思えるような顔だった。

「ではまた明後日、祭りで会えたら」

「うむ。ビークルは後で引き取りに行かせよう」

 お礼を言って、ぼくらは階段を上った。

 踏みしめるたびに音が反響する。冷たいてすりにハッとして、どうしてか振り向いてしまったけれど、おじいさんは自分の仕事に戻っていた。ぼくの腕くらいの長さと太さの、柔らかそうなゴムの管。

 あれがどう使われるかも、暖かいカリダニクスとはなんなのかも聞かなかったけれど、そのおかげで明後日の聖火祭が楽しみになった。 

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