第32話 盗賊たちの準備
三十二 準備
小さな舟を降りると目の前に切り立った崖がそびえていた。
「上からだと大した高さとは思わなかったが、こうして見たら結構あるな」
吉左は傍らにのっそり立つ磯太にいった。
「へえ。ここを上がってもらわなくちゃいけません」
いちおう足場や、手がかりとなる縄はあっても、最後はおのれの手足の力を頼りに登らねばならない。
「分かってる。お前の方が大変じゃねえか、尻を押してやろうか」吉左がいえば、へへへ、と嬉しそうに磯太が笑った。
「大丈夫でやす。何度も見にきてます」
磯太は背中に六尺棒を括り付けた姿で、大きな身体を器用に押し上げて行く。到着した崖の上は、一面胸近くまであるすすきの群れが広がっていた。
このところ都会ばかりにいて、久しぶりに目にした圧倒的な光景に、吉左は思わず深く息を吸い、吐いていた。
「ふふん、いい遊び場だな」
彼はかたわらに立つ磯太に言った。
「細い間道を通ってこの先に出るか、ここを堂々と通って行くか、そのどちらかの道を奴らは必ず使うはずだ」
「へい。どっちへに転んでもすぐ知らせがあるようになってやす」
「ああ。お前のことだ、ぬかりはあるまい」
容貌魁偉な大男の磯太は、口も重く鈍く見られがちである。知らぬ者からは、怖がられるかウスノロと馬鹿にされるか、たいていはその両方の扱いを受けてきた。吉左と知り合うまで、彼の知性など親ですら褒めたことはなかった。
だが吉左は、巨体に隠れた磯太の細やかな心の動きを見抜いたうえ、腹も据わって必要ならば的確な判断が下せると積極的に評価した。それに、決して他の賢しらな連中と区別せず、相談ごとや依頼も平等に行う。
磯太はなによりもその扱いを感謝していた。
吉左が今日、この場所へ来たのは、密書から読み取った喜楽便の経路をたしかめるためだった。
彼らが目をつけたあたりは、土の質が田畠に適さないため周囲に人家がなく、夜にはとても静かだった。集団が一斉に行動しても、音さえ気を付ければ人目に立ちにくい。舟や馬を隠しておけば、ことを終えて逃げるのにも時間はかからない。
それにここは基本的に一本道である。十数人はいるであろう相手を、押し包んで攻めるにも向いていると考えた。もし、相手の一部が列を外れて逃げたとしても、すぐ見つけられる。近くにめぼしい建物はないので籠城されることもない。
剣の遣い手に家の中へ逃げ込まれたりしたら、最悪だと吉左は考えている。
無理に追ってもけが人が出るだけで、その時点で諦めねばならない。ずっと前、狭い屋内で剣客と対決する羽目になり、仲間を失った経験がある。吉左はその事態だけは避けたいと考えていた。
それ以外の気がかりは、荷そのものだった。
宝物の多くは華奢で壊れやすい。担いで逃げたり、小舟に乗り換えたりする際にはよほどの注意が必要である。
だが、ここまできたら、その時はその時だと吉左は思っていた。なにより、国境に近いというのが気に入っていた。
(目の前で掠め取るというのが、楽しいじゃないか)吉左は思った。
街道筋に出ると、向こうから背中に小さな荷を背負った男がくるのに気がついた。旅人や荷馬は、そろそろ活動を終える時刻になっていた。おそらく早飛脚かなにかだろう。吉左は自然な動きで草むらに身を隠し、その視線を避けた。磯太もちゃんと、巨体を器用に隠している。
男が去ったのを確かめてから、磯太が立ち上がった。しかし、そのまま彼の大きな体が、吉左を隠すように前に出た。
「どうした」
飛脚らしい男の去ったあとから影が二つ、すすきの中から進み出た。
男がふたりいた。
ひとりは、布でほっかむりをしている。いつ洗ったのか、わからないぐらい汚れている。もう片方は顔が髭でおおわれ、蓬髪を風になぶらせていた。そしてどちらも菰を片手に担いで半身の姿勢をとっている。
「磯」吉左が言った。「大丈夫だ」
こんな所で会えば追い剥ぎにしかみえないふたりだったが、そろって薄い片頬を歪めた。笑顔を浮かべたつもりらしい。
「おう。虎、権六。わざわざきてくれたのか」そう言って吉左がうなずいた。
盗賊兼殺し屋のふたり、煮売り虎と赤城の権六だった。
男たちは一緒に頭を下げた。
ほっかむりの権六が、「半次さんに聞きまして」と言った。
「おかしら。仕事に呼んでいただいて、まことにありがとうございやす。先に、お礼が言いたかった」
言葉こそ殊勝だが、この男が口にすると殺しの前の口上に聞こえなくもない。
しかし、吉左は快活に答えた。
「こっちこそ、今日来てくれるとは思わなかったよ。出迎えもなくて、すまねえな。けど、よくここだとわかったな」
すると髭面の虎が、ひどいしゃがれ声のまま、偶然さっきの飛脚の荷物に関心を持ち、ついて回っていたらここにきた、という意味のことを説明した。
「それは……さっきの飛脚は、運が良かったなあ」と吉左がいうと、権六が謝った。
「すんません。おかしらの邪魔をしちゃならねえのはわかってますが、ここはほどよくさみしいところで、つい」
反射的に追い剥ぎをしそうになっていたらしい。
吉左は権六たちと二、三楽しげにしゃべったあと、懐から紙包みを出した。
「いや、困りますおかしら」権六は首を振った。「いただくもんは、もう十分いただいてます」
はじめは断った二人だったが、結局は吉左から小遣いを受け取った。そして、二人で繰り返し頭を下げながら姿を消した。
二人が見えなくなると、磯太が鼻から息を盛大に吐いた。
「あいつらは、おまえにゃ合わねえかな。磯よ」
「いや、あいつらがお頭を好いているのはわかるよ。だから構わねえ」
「そうだな。好かれて嬉しいかは、別だがな」
「さすがの左よしも、さっきの二人にはあまり近寄りたくないって」
吉左は片頬だけで笑ってから、聞いた。
「そういや、右と左の二人はどうした。先にきてるんだろ」
「へえ。朝から回ってくたびれたそうですよ」
「ちっ。あいつらめ」
「ここを下見するのも、はじめは左よしが間道、右よしがこっちを受け持つと言ってやしたが、そのあとお頭が舟を使うのを知って、えらく揉めてやした。そうなったら話は違うんだそうです」
「なんだ、それは。で、どうなった」
「いまはどっちもこの先のお堂にいます。お頭の近くがいいって」
「ふん。野郎のくせに、くっつき虫どもめ」と吉左は吐きすてた。いつもの憂鬱はまだ出てこず、上機嫌だった。
彼は一面のすすきを見渡すと、
「いっぱい生えているとはいえ、はじめのうちは目立たないよう気をつけろよ。相手には、えらく腕のたつ侍がついてるらしいからな」と言った。そして磯太の肉が盛り上がった肩を叩くと、
「田舎の腕自慢なんて一番たちが悪い。なんでも刀ですむと思っていやがるから、見つかった途端に斬りかかられるぞ」
「ここなら、印字打ち(投石)でやっつけるよ。隠れて投げるのにぴったりだ。それでもまだ暴れるようなら、おれが首をひねってやる」
「そうだな。お前を刺身におろすのは大変だもんな」磯太の負けん気に、吉左は微笑した。「よろしく頼む。だがな、やつらはおそらく、絵とか書とか、高価な茶道具とか壊れやすいのをたんまり持ってるはずだ。特にひとつ、上等なのがあるらしくてな。そいつは一番お偉い方がそばにいるからすぐ分かると思う。おそらく上等な着物を着てて、じじいかもな。だからあんまり張り切りすぎて、それを割っちゃ元も子もないぞ」と言ってから吉左は、
「まてよ、割った茶碗をお城に届けるというのも面白いな」と軽口を言った。「書画に落書きするのもいい。そうだな、みんなで落書きするか」
久しぶりに明るい吉左を見て、大男もにやっと笑った。
「お頭、この仕事が終わったら、姉さんを迎えたらいいな。できれば家は山のそばにしなよ」
「なんだ、急に。お前らしくない」
「おれも、お頭の相手を見たい」
いやおうなしに身体の目立つ磯太は、あまり宿屋のあたりに姿を出せず、もっぱら里山の付近を転々として暮らしていた。
「誰に聞いたんだ。そんなんじゃねえ」
「ふふふ。楽しみだ。楽しみだ」
すすきが夕日に映えて、金色に光っている。
一度、かよとここに来てもいいな、と吉左は思った。
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