第30話 滅びのはじまり

 三十 焦燥


 吉左は宿から出なくなった。他の根城にも立ち寄らない。

 明け方にだけ、早足であたりを歩き回るが、餅菓子屋には、足を向けない。

「あの干物みたいな女と分かれたのかい」

 柏屋の一件がそれほど彼に混乱と後悔を与えたとは知らぬ右よしと左よしは、怖い顔を見合わせては、首をひねった。


「兄貴は、どう思う」左よしに聞かれたが、半次も返事に窮した。

「子猫の首を目の前で捻っても平気なお前でも気になるんだな。お頭の不機嫌は」

 混ぜっ返したが、半次にも妙案はなかった。

「でもさ、あの憎たらしい隠居は、ああしないと仕方なかったんだろ」

「まあ、そうだな。あれが、なんでもいいから動けなくなるのが一番の狙いだったからな」

「おれが、代わりにやりゃよかった」

「それは、さぞ凄惨なことになったろうな」

「ちぇっ」


 それに、吉左の謎めいた態度に潜むもうひとつの意味は、半次にだけには見当がついていた。

(怒りにまかせ、年寄りをぶちのめしたのを悔やんでなさるのは確かだ。だが、あの隠し文を読みあかそうとしているのも間違いない)

 しばらく、吉左の好きにさせるしかない。彼はそう考えていた。

 

 変化は急に訪れた。

「これを」宇佐と呼ばれるまだ若い手下から書状を受け取ると、隠し部屋で一読した吉左の顔に赤みが差した。

「半さん、ちょっときてくれ」

 手紙には、味噌を送ったという挨拶状だった。ひどい字のうえ反古紙を使っているので読みにくいこと甚だしい。しかしなんとか解読すると、味噌はひとまず江戸に送り、そこで瀬戸物に詰め替えて、吉左のいる国の港に送るとある。ただし残りは隣国に馬で運ぶので、道中の間に必要な分をとってくれ。


「これはこれは」いつも冷静な半次も眉を上げた。

「ああ、市の親父だ。親父らしく言葉足らずなのは困りものだが」

「まぼろしじゃなかったんだ」

「ああ。親父が惚けていなければな」

「どうだろ。しばらく直に会ってないですからね」

「御座舟が財宝をたんまりのせて出立したって文なら、おれもそう考える。いくらなんでも都合が良すぎる。しかし、よく読んでみな。船も相乗りだし、どうやって調べたかはともかく、江戸を経てこの国の港に荷を下ろすとある。最後にめざすのは隣の馬鹿殿の国だ。あの不出来な息子、馬鹿殿さまあてだ」

 吉左の声が弾んでいた。彼らが待っていたものに違いないと思いたいようだ。

 「お茶、入れ替えさせますね」半次は言った。

 

 手紙は二人が恨みを抱く「あの国」に潜入している市松老人からだった。

 それは、ついに財宝を載せた船便が出発すると知らせていた。彼らが長年待ちすぎて、現実味を失いつつあった情報だ。

 使われる船は、国の面子がかかった藩の御用船ではなかった。荷は民間船に便乗させて送るとしていた。すなわち非公式の輸送であり、彼らが喜楽便と呼ぶものである可能性が高い。

 これなら、盗まれても世間に顔向けできない状況までは追い込めないが、藩主と側近はかえって悔しがるであろう。自分たちの財布を盗まれるようなものだからだ。

「ふふん。なるほどね」半次はうなずいてから、

「え。てえことは、どんな路をたどるんで。この国から隣でしょう」

 隣国が目的地だといえ、当然ながら複数の径路が考えられる。横取りしやすい組み合わせになるかどうかもわからない。少なくとも市松の手紙には、逆さにして読んでもそこまでの情報は記載されていなかった。わかっているのは、目的地への到着はあまり先ではないことだけだ。

「うーん。急いで親父につなぎをとりますか」そう言った半次は、吉左が目を閉じているのに気がついた。

「半さん。できすぎだが、柏屋の文はその知らせだ」

 吉左は目をひらき、かたわらの帳面をとりだした。そこには先日奪ってきた文と、いくつかの証文がはさみ込まれてあった。

 「柏屋の隠し文はな、最初から難しく考えすぎた」吉左は言った。「市の親父の手紙がずっと頭にあったから、深い意味が込めてあると勘違いした。考えりゃ、しょせん隠居した年寄りと田舎侍の間のやりとりだ。たいした工夫はあり得ねえ。それに隠居は大事に文をしまってはおいたが、証文ごととそっくり盗まれる羽目になるとまで考えなかった」

「てことは、つまり」

「あんたが、他のとまとめてかっ攫ってきてくれたから解けた。五年前の証文といっしょに、あの変な文を読み取る手ほどきが綴じてあったのさ」

「へえ、そうなんですか」


 吉左は数枚の紙を傍らの手文庫の上においた。

 「なんですか、これ」平次は指差した。証文のくせに、黄色くなった古い別の紙が五枚ばかりのり付けされてある。広げるとどれも「名酒番付」だった。

 「古いよ、この番付」そう言って吉左は、西の関脇を指差した。

 「おや、柏屋じゃありませんか。しかし他は知らない酒ばかりだ。それに」

 番付なら上位ほど大きく、下位が小さくぎゅうぎゅうづめで記されるのが相場だったが、この番付はみな同じ大きさだと吉左は言った。おまけに番付に記載された屋号の半分に藍色のふちどりがしてある。

「昔は柏屋の酒も人気があったってことですか。今じゃさっぱり聞かない」

「もっと簡単に考えるとな、柏屋が手前で作らせたのかも知れねえ。それでさ半さん。これを重ねると」

 柏屋から奪った手紙のくずし文字の部分に番付を重ねる。すると透けた番付の藍色の線がくずし文字をかこんでいる。「作るのに手間がかかりそうなわりに、つまらねえよな」と吉左は言った。

 彼の指すままに読むと、文の最初から「キラクタツ」「ヨシヅ」「ドマリ」と解読できる。

 「え、こんなに簡単なんですか」

 「そうだよ。どんな顔をして、酒の番付を使った隠し文を打ち合わせしたのかと思うと頭が痛くなるね」吉左の機嫌がいい。


 順に読んで行くと、隣国へと送られる荷は千両箱ではなく、大半が高値な道具類と知れた。そして、柏屋の隠居が責任を持って隣国までの搬入を手助けし、現金化の際にもすみやかに配慮せよとあった。希望の金額は、

「二マンだってよ」

「ほほう。たったそれだけ」もちろん、半次のは冗談だった。ただ、容易に信じ難い金額であるのは事実だ。「皮算用じゃないんですか。いまどき茶器なんて高値で買うやつがそうそういるもんかな」

「そうだよな」吉左もあっさり同意した。しかし、「肝心の港についても驚かせてくれるよ」と力の抜けた口調で続けた。

「ヨシヅだって」

「そりゃまた驚き」

 

 二人は顔を見合わせた。ヨシヅというのは彼らもよく知る港、この国の吉津であろう。その運河は吉左たちの根城の手前を横切り、切り込んだように走っている。そのあとに「ソネ」とあるからには、港から隣国までは陸路である曽根街道を使うものと思われる。馬で荷駄を運んでも半日あれば国境に到達する。

 ふたりが顔を見合わせたのは、曽根街道はこの地ではよく知られた道であり、いまの季節はすすきの名所となっているからだ。低山が並走する形となっており、姿を隠しやすい小さな間道も存在するが、最もよく使われる路ならば、ある地点からは見晴らしの良い高台のススキ野をひたすら突き進むことになる。

「でき過ぎ、のように思えてなりませんな」

「ああ。怪しむ気持ちが泉みてえに湧いてきた」

 ふたりはそろって胸前で腕を組んだ。「もし本当だとして、なんでわざわざ襲撃の危険をおかしてまであけっぴろげの陸路を使うんですかね」

「早いっていやあ、早い」吉左が答えた。「夕べに着いてひと休み入れても、翌朝にはやすやすと国境だ。他の海陸組み合わせだと、どうしても山越えだとか繰り返しの載せ替えが必要だよ。昼ひなかには、ずいぶんと馬が行き来している道だ」

 近年は、吉左たちの国から隣国に向けて、相当量の物資が輸出されていた。


「うーん」半次はまだ首を傾げている。「罠にも思えるし、詳しい日程が推測にすぎない。確証に欠けています。ま、こりゃ仕方ないですけど。おそらくこれの前に何度もやり取りがあったんじゃないですかねえ」

「それらしいのは、見当たらなかったな。古いのは処分したのだろう」

「ええ。すべてわかっているのは差出人と柏屋の隠居だけでしょう。あれが口を聞けないんじゃ、考えものかな」

 「それがさ」吉左が言った。彼がここまで半次の疑問に対抗しようとするのは、めずらしかった。

「そこで市松親父からの知らせがまた出てくるんだ。親父によれば船はとうに出発し、二十日過ぎには江戸に着いている」

「え」半次は「すみません」と詫びて市松からの手紙をじっくり読んだ。これなら眺めるうちに見当がつく。

「ああ。出るじゃなくて出たですね。おやじ、何かあったのかな。いつもにもまして言葉足らずだ」

「いつものことだ。江戸で荷を足してからまた出ることになっていて、多少の荒れを勘定に入れたとしても、勝田からこっちまでくるには…」

「遅くてあと七日、早ければあと三日というところでしょう。すぐ調べさせます」

 隠し部屋を半次が飛び出してからも、吉左は腕を組み、頬を薄く赤らめていた。

 

「ふうん。面白いな」

「なんです」調査を命じて戻ってきた半次は、小さなかきもちを盆においた。吉左はまだ市松からの手紙を読んでいた。

「ほら」

 市松のよこした礼状の後段には、なぜか今年の正月に行われた御前試合のことが長々と記されてあった。

「勝ち残ったのは馬廻り三百石、馬場左門。三年続けて負けなしらしいよ」

「そりゃご立派。石高もこの国の馬廻りとはかなり違いますな。けど、御前試合を知らせてくるなんて親父にしちゃ珍しい、侍嫌いなのに。ということは、なにか意味があるわけですね」

「思うんだが、こいつがお宝番の頭じゃないかな。そんで試合に出た他のやつの名がぞろぞろ書かれてるのは、左門の配下になるってことかもしれない」

「どのぐらいいます?」

「合わせて十人。少ないような、多いような。船で国元から荷物についてくるんだったら、こんなもんか」

「じゃあ、あっしたちは二十、いや三十は集めないとね」半次が軽薄な口調で言うと、吉左はにやっと笑ってみせた。


「そうだな、半さん。あまりに時がなさすぎる。人手はいるし、剣客相手は危険だし、はなっからひでえ罠かもしれない」吉左が努めて冷静になろうとしているのがわかった。

「かもしれません。しかし、うまくかすめ取れりゃいい小遣いかせぎだし、どちらの国にも痛手だ。剣術使いが十人もいたら、宿を襲っても荷の周りでいらっしゃいと待ち構えているでしょう。それより、横に広がる野天で仕掛けた方がいいですかね。油虫の群れを一匹づつ叩くみたいにやっつけて、ぱっと散る」

 半次のひどい言い草に、吉左がくすっと笑った。

「ああ、そうだな。あの国の目の前まで来たところで、左門に吠え面書かせるのも面白いかもしれねえな」

 自分の前の何もない空間を吉左はじっと見た。

 その様子を見て、半次には彼の高揚と迷いがわかった。いつものお頭ならもう少し慎重かもしれず、どこか焦りがあるのかもしれない。

 しかし半次の内心は、吉左の久しぶりの高揚を嬉しく感じてしまっていた。その姿を見ると、なぜだか押しとどめようとする気が湧かない。

「どうします、一晩思案されますか」

「いや。悩んでも同じだ。実は半さん、おれの親父は今度の喜楽便と同じものに、殺されたんじゃないかと思うのさ」

 うっと半次は言葉をつまらせた。


「運命なんて信じないし、ただの思いつきだ。ただ、葬式のようにあわただしくても、やはり俺はこの機をのがしちゃならん気がする。そうとしか、考えられない」

 半次はうなずいた。

「右よしと左よし、それに磯たちは、悪いが手伝ってもらおう。剣客を相手にするなら、轆轤二平と弟たちもいるな。印地打ちは役に立つ」吉左が思案もせず考えを口にしはじめた。回り出したな、と半次は思った。

「佐吉も呼んでやると、喜ぶでしょうな。あと猿と蓑助も」

「しかし、今度のは、いつものとは大違いだ。いわば野伏せりの仕事だ。まずいと見たらすぐ自分で逃げ道をきりひらける奴じゃなければな。そんな仕事に、若いのをわざわざ呼び返すことはねえ。長と草太がやられたばっかりだしな。つまりこれは、煙の仕事じゃない。やるなら外のを雇うべきだろうよ」


「それなら、文吉がいい話を持ってきてました」半次は言った。

「赤城の権六と煮売り虎が、ぜひまたお頭と仕事がしたいと言ってよこしたんです。急ぎの仕事はないと小遣いだけ渡しましたが、まだ近くにいるはず。奴らは、しんじつお頭を好いている。他でひどく裏切られてますから。喜んで受けるでしょうよ」

 権六と虎は息のあった二人組の盗賊で、もっといえば名うての殺し屋だった。大商人だろうと腕の立つ侍だろうと、関係なく手にかける。吉左は彼らの荒廃した表情を思い浮かべ、思案している風だったが、

「よし。呼べ。あれほど腕の立つのは、そうはいない。剣の大関だろうと、二人掛かりで始末してくれるかもしれん」と、心を決めたように言った。

「荷が港に入ってくれば、さっそく誰かに追いかけさせましょう」

「そうだな。焦っても仕方ないが、やるならほえ面をかかせてやりたい」

 壁にもたれかかると、吉左は頭に手を置いて、思案をはじめた。だが、

「半さん」と、急に声をかけた。

「しつこいようだが、今度のは煙じゃねえ。やり口も荒くなるはずだ。煙なら、もっと時間をかけ寝込みを狙う。今度のは、はなから襲うことにしちまった。それでもいいのかい」

 半次は、にやっと笑っただけだった。

 それを見て、吉左もまたうなずき、あらためて思案に取り掛かった。

 半次はそっと部屋を出た。そして、

「お頭に新しい茶を。だが声をかけるんじゃねえ」と命じた。

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